第05話 血戦のカミヤムネ⑤

「うそだ! うそだ!」

「人間が夜闇に生み出した電気の光は、確かにお前たちの世界を侵略した。それが昭和というこの時代なんだよ! 人間が成す七年の重みをお前は知らないんだ!」

「そんな馬鹿な……かつては夜闇の数だけ麒族がいたんだ。数万の仲間たちと一緒に、人間どもの軍勢と戦ったことだってある……それが今じゃたったの四十九柱だって?」

「麒族はもうとっくに黄昏の時代を迎えている……いや、お前たちにとっては逆かもしれないな。麒族は夜明けの刻を迎えようとしているんだ」

 餓鸞童子は激高した。どうしようもない怒りで正気を失ってしまいそうになる。

「僕たちを侮辱したな。許さない、許さないぞ!」

「もうお前たちに明日はないんだよ」

「忌まわしき侵略者め!」

 餓鸞童子は唯一の得物である鉄扇を惜しげもなく足もとに投げ捨てた。そして両の手で印を結ぶと、聞いたこともないような高音の声を発し始める。

 これが餓鸞童子本来の声質なのだろうか? 大変に耳障りで、とても「声」とは呼べない不快さ――そう、「ノイズ」だった。そのノイズが一定の周期をもって同じフレーズを繰り返している。それは何かの言霊のようであり、呪文でもあった。やがて周囲の空気全体がこのノイズに従うように震えだした。そしてそれはカミヤムネの巨石にも波及した。巨石たちが微細な振動を始める。

 風月丸は、最初何が起こっているのか理解出来ずにいたが、やがて気付いた。餓鸞童子は自分だけでカミヤムネを発動させようとしているのだ。

 五〇〇柱の一流麒族によって発動すると言っていたカミヤムネを、たった一柱の餓鸞童子だけで動かすことが出来るのかは分からない。しかし、現に今、カミヤムネの巨石たちは餓鸞童子の呼びかけに反応していた。

 それは餓鸞童子が超一流ゆえになせる業なのだろうか?

「させるか!!」

 風月丸が鬼包丁で斬り込むと、餓鸞童子は今まで手元に残していた四〇柱の亡霊人たちを一気に解放した。わっと出現する亡霊人たち。その人津波に風月丸は一気に飲み込まれてしまう。たかが亡霊人と言えども、同時に四〇柱を相手にするのはさすがの風月丸でも骨が折れた。

 四〇柱の亡霊人たちは老若男女様々な人たちで構成されていた。これらは全て、過去に餓鸞童子に食われた人間を模したもので、誰かの友であり、家族であり、愛する人であった者たちだ。もちろんあくまで外見を模したものであり、それ本人ではない。しかし縁ある人々から見れば、生き写しの亡霊人たちは本人以外の何者でもないように映ることだろう。風月丸が殺人鬼と誤解される理由はそこにあった。麒族によって誰かを失った人々も理屈では分かっている。しかし誰かの罪にしなければ、心の平穏を保つことが出来ないのだ。

「亡霊人を盾にして! 無駄なあがきを!」

 風月丸は鬼包丁を振るった。

 ガシャーーーーン! ガシャーーーーン! 破砕音が響く。

 鬼包丁の刃は吸い込まれるように亡霊人の身体に触れると、次々にそれを「割れた磁器人形」へと変貌させていった。そこに繰り広げられる光景はまさに「虐殺」だ。

 残りの亡霊人はあと一体。

 ところが――。

「ぐっ……!?」

 突然、風月丸の視界がぼやけた。がくりと膝が落ちる。

 先ほど噛み付かれた際の呪詛が全身にまわり始めたのだ。

 遅効性の毒は、これから風月丸の肉体をじわりじわりと蝕んでいくことだろう。致死率がどれだけなのか分からないが、麒族の毒だから人間にとっては「天敵」と呼べるレベルなのは間違いない。

 あまり戦いを長引かせるのは得策ではないようだ。

 風月丸は気力を込めて立ち上がった。まだここで終わるわけにはいかない。今、餓鸞童子の暴走を止めることが出来るのは風月丸ただ一人なのだから。

 全身から流れ出る嫌な汗を振り払って、風月丸は顔を上げた。

 そして目の当たりにした。

「これは――!!」

 激しく鳴動する巨石たちが徐々に浮かび上がろうとしている。これを全て餓鸞童子が一柱でやっているというのか。何という強靱な精神力だろう。巨石たちの荒ぶりは最高潮を迎え、それぞれが禍々しく赤い光を帯びていく。その色はまさに血の色に思えた。

惹麒じゃっき空間か!」

 それは麒族のパワーを数倍に増幅する異空間。風月丸たち渡殺者をほふるための忌まわしき赤の空間。餓鸞童子ほどの一流麒族になれば、カミヤムネ全体を包み込んで余るほどの巨大なエリアを惹麒空間として展開することが出来るのだ。

「くそっ……」

 餓鸞童子の毒が蝕みつつある風月丸の肉体。その瞳には惹麒空間の赤が刺激的すぎて、まともに目を開けていられない。それを分かってか、空間の赤色はまぶしいほどに輝きを増した。

 光の勢いはそれだけにとどまらず、植物の蔓のように巨石の各所から伸び出してはそれぞれを結びつけていった。そのつながりは、初めはか細く心許ないものだったが、次第に太さを増していき、ついには重厚なパイプのようになる。

 まさに巨石を結ぶ光のネットワーク。今までは山肌に雑多に林立する巨石群にしか思えなかったカミヤムネだったが、徐々に巨大な砲台を形作ろうとしている。カミヤムネ発動のときが近づいているのだ。

 風月丸は最後の亡霊人を割ると、餓鸞童子の姿を探した。

 ところが、いつの間にか周囲で蠢いているのはたくさんの二流麒族たちだった。案の定、戦いの匂いをかぎつけて、カミヤムネまで登ってきたのだ。流一郎にとっては余計な戦闘を強いられることになるが、そのぶん登山道を徘徊する二流麒族がいなくなったのだとすれば、五郎と宵子の安全は確保されたようなものである。それは歓迎すべき出来事だ。

 流一郎は鬼包丁で次々に二流麒族を割りながら、ここそこにと餓鸞童子の姿を求めた。近くには見当たらないが、惹麒空間内のどこかに必ずいるはずだ。

 流一郎は、波のように押し寄せる二流麒族たちを割る、割る、割る。

 やがて二流麒族の撃破数が一〇〇柱を超えた。新しい鬼包丁は未だ刃こぼれ一つせず、絶妙な「割れ味」をキープしている。今の風月丸にとって二流以下の麒族は敵ですらなかった。

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