第06話 名前のない怨念①
「くそっ、餓鸞童子はどこだ!?」
流一郎は焦りの色を隠さなかった。自分が餓鸞童子の呪詛に倒れるのが先か、カミヤムネのエナジー充填が完了して美鶴神社を焼き払うのが先か――それとも、そのいずれよりも早く、餓鸞童子を秒殺して祀り上げるのが先か。
赤き惹麒空間の中で、巨石たちは自在に宙に浮かび、エナジー砲のパーツとしてそれぞれの位置に移動している。すでにエナジー砲の輪郭は組み上がっていて、その図太い砲身は明らかに美鶴神社を指し示していた。
そのとき、再びあの耳障りな「ノイズ」が聞こえた。ネイティブで喋る餓鸞童子の肉声だ。そんな「声」のする方向を見上げると、中央巨石の上に餓鸞童子の姿はあった。
まるで皇帝のように眼下を見下ろしている。確かにあそこならカミヤムネの全体像を見渡すことが出来るだろう。
風月丸は鬼包丁をズボンのベルトに差し込むと、その巨石に手をかけ、フリークライミングの要領で登り始める。
巨石の表面には凹凸の深い紋様が施されていて、それを足がかりにして登ることは苦ではなかった。振動も規則的なものでたいした障害にはならない。それよりも体内を巡る呪詛のほうが厄介だ。すでに風月丸の目は著しくかすんでいた。
それでも風月丸は渾身の力でじわりじわりと巨石を登ってゆく。途中、幾度か落下しそうになることもあったが、持ち前の気合いで何とかカバーした。
ようやく巨石の上面にたどり着くと、そこはテーブルのように平たく、縦横七メートルほどの広さがあった。その縁の部分に餓鸞童子が立っている。風月丸に背を向けたまま微動だにしない。
真っ赤に彩られた惹麒空間の中、一対一で対峙する風月丸と餓鸞童子。
「やめろ! 餓鸞童子!」
風月丸がベルトの鬼包丁を抜刀しながらそう叫ぶと、餓鸞童子はゆっくりと振り返った。
その一言目は予想だにできない言葉だった。
「助けておくれ……風月丸」
「なに!?」
赤い涙を流しながら、よたよたと餓鸞童子がこちらに近付く。芝居がかってはいたが、決してそうではないように思える。その頼りない足取りは今にも転んでしまいそうでおぼつかない。
「老獪どもの好きにはさせないぞ……僕は麒族の未来を切り開くんだ……そして麒族の王になる。僕が王になるんだ……」
やがて事切れるように、餓鸞童子の首がだらりと垂れ下がった。
「餓鸞童子――」
風月丸は立ち尽くした。この赤く染まる巨大な惹麒空間が、餓鸞童子の命を吸い取ったかのように思えたからだ。餓鸞童子は、自分自身が展開した惹麒空間に蝕まれてしまったのか。
――否、そんなことがあるはずもない。
ならば答えは一つ。
この惹麒空間を作りだした大きな存在が陰に潜んでいるのだ。
首をだらりと下げた餓鸞童子は、それでも倒れることなくよたよたと歩いている。
一歩、また一歩……やがてその足取りは確かなものとなり、垂れ下がっていた首もむくりと起き上がる。その瞳には明らかな「意思」が宿っていた。
風月丸は一つだけ悟った。
今この瞬間が「それ」を倒す千載一遇のチャンスであることを。
「秒殺!!」
かすむ目を
「――――!!」
風月丸の鬼包丁が空を斬った。
餓鸞童子は元の身体性を取り戻したのか、軽く宙を舞うと紙一重のところで鬼包丁の刃をやり過ごしたのだ。
餓鸞童子は再び巨石の上面に足を付けると、風月丸をまっすぐに見据えて言った。
「――はじめまして、三十八代目の風月丸。黄泉の入り口へようこそ」
「!?」
さっきまでとは明らかに何かが違っていた。
今、目の前にいる「それ」は、餓鸞童子であって餓鸞童子ではない。何か別の存在だ。
「ああ、これは失礼。初対面だというのに名乗るのを忘れていた。しかし、さて困ったな……私には名乗る名前がない」
餓鸞童子の姿をした「それ」は、あごに手を当てながらそう言った。
「名乗る名前がなくても、自分が何者かは言えるはずだ」と風月丸。
「ほう、確かにそのとおり――私は、このカミヤムネの建造に携わった三〇〇〇柱の麒族たち、その集合意識のようなものだ。だから、そうだな……強いて名乗るとすれば、その名前は「カミヤムネ」だと言えるだろう」
「カミヤムネ……」
それを聞いた風月丸は自分が思い違いをしていたことを思い知らされた。この巨石遺跡・カミヤムネを発動させているのは餓鸞童子の力だけではない。今なお残り続けている三〇〇〇柱の麒族たちの残留思念があればこそなのだ。
「伝わる。伝わるよ三十八代目。きみの中で今、芽生えた感情が直接伝わってくるよ……これはそう、畏怖だね。麒族と人間が互いに持つべき感情、畏怖だ。きみの反応は全くもって正しいと言わざるを得ない」
「餓鸞童子はどうなった?」
するとカミヤムネを名乗る、かつて餓鸞童子だった肉体は大きく両手を広げた。
「ご覧のとおり、きみの目の前にいるよ。三〇〇〇柱の麒族との精神融合を果たしたが、この肉体が餓鸞童子のものであることに変わりはない。用件が済めば、私たち三〇〇〇柱はこの身体を去る。どんな用件かは言わずもがなだろう」
「今まさにその用件が実行されているわけだな」
風月丸は真っ赤な惹麒空間に染まった周囲を見渡した。
「餓鸞童子が我を無くすほど激高しなければ、私たち三〇〇〇柱との精神融合もなかっただろう。その後押しをしてくれた三十八代目――きみには心より感謝する」
「俺は麒族の手伝いをしたってことか……」
「あるいはそれが地球の意思かもしれないね」
「淘汰の話か。美鶴神社や渡殺者が淘汰されるべき対象だとでも?」
「私たち麒族から見ればそういうことになる」
「ならば抗うまでだ」
風月丸は鬼包丁を腰だめに構えた。
「ほう。三〇〇〇柱の意識を前にしても、真っ向勝負を挑んでくるというのか……愚かしいと言いたいところだが、現状を鑑みれば、きみに残された戦法はそれしかないな。きみの戦いはカミヤムネの発動を止めさえすれば勝ちだ。きみ自身の命がどうなったとしても」
「死ぬつもりは毛頭ないけどな」
「それも戦ってみれば分かるだろう――さて」と、餓鸞童子の姿をした者は、何も持っていない自分の右手のひらを見つめた。
「さっき落とした鉄扇を拾うくらいの時間なら待ってやってもいいぜ」
「いや、よそう。それよりももっと強力な得物を私たちは持っている。刀には刀でお相手しようじゃないか」
そう言って、餓鸞童子の姿をした者は右手を天に掲げると、そのまま勢いよく振り下ろした。
すると、その手にはいつの間にか一振りの日本刀が握られている。
鬼包丁であった。
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