第04話 月下の死闘
一五分前。
おそらく道祖神の結界が解かれたのだろう。カミヤムネに向かう登山道には、二流麒族の群れが目立つようになってきた。奴らは一流麒族たちの匂いに惹かれ、この山に集まってきているのだ。流一郎と五郎は、思わぬ苦戦を強いられていた。
「おいおいおい死ノ儀、麒族は八匹――八柱しかいねーんじゃなかったのかよ」
「一流麒族だけならな。こいつらは二流麒族だ。街灯に集まる虫たちのように、戦いの匂いに惹き寄せられているのさ」
「なんか、金属バットだけじゃ心許ねーな」
「まがつ鋼付きの特製品だ。心配するな」
「そうは言ってもよ、残り三本しかねーんだぜ? 今後の勘定が合わなくね?」
「何とかなるさ。時女のところにたどり着ければ、きっと何とかなる」
「根拠のない自信ってヤツだな」
「ああ、そうだな、根拠はない」
「ないのかよ! ……ん? なんだ?」
五郎はふと足もとを見やった。
満月に照らされた流一郎と五郎の影のほかに、もう一つ別の人影が登山道に落ちているのだ。まるで透明人間がそこに立っているかのように、影だけが道に落ちている。
「なんだこりゃ……」
「五郎! 上だ!」
流一郎の声に反応して五郎も見上げると、上空には鼻高天狗が静かに浮かんでいた。
顔の右半分にダメージを負った姿が印象的だ。
「おいおい……ボスキャラ感満載だぜ……」
「あいつが時女をさらった麒族だ」
「なにっホントか! やっちまえ死ノ儀!」
「五郎」
「なんだ?」
「巻き込んで済まなかったな」
「急によせやい」
流一郎の謝罪は本心だった。本来なら五郎は途中で帰すつもりだったのだが、予想以上に二流麒族が出張ってきたせいで、それも出来なくなってしまったからだ。五郎一人でこの登山道を帰してしまっては、彼の命はないだろう。ここは危険を承知で同行させるしかなかった。今のところは。
「ほら、これ含めて残り三本だからな、死ノ儀」
五郎が金属バットを手渡してきた。流一郎はそれを受け取ると、流れるような所作で腰だめに構えた。上空の鼻高天狗は未だ空中に静止している。
「とりあえず、一柱だけで現れてくれたのには感謝するぜ」
まがつ鋼をガムテープでヘッドに貼り付けただけの急造仕様とはいえ、この金属バットは十分な戦果を上げてくれている。一流麒族相手でも、巫女たちの薙刀程度の威力は発揮してくれるはずだ。
空中から鼻高天狗が話しかけてきた。
「うぬに問う。それが得物か?」
「規格外の武具だがな。実績は折り紙付きだ」
「ならば参らん」
鼻高天狗はそう言うとわざわざ地上に降りてきた。自在に空を飛べるというのになぜそんな真似をするのか。もしかすると、互角の条件で戦おうとでもいうのだろうか。そういった武士道精神が麒族の中にあることに、流一郎はあらためて感嘆した。
「これなら真剣勝負が出来そうだぜ」
流一郎はバットを握る手に力を込めた。
対する鼻高天狗は
一流麒族がどの程度のエナジーを放出するのか、今の流一郎には分からなかった。下手に被弾するよりは、先の先を取って逃げ切るほうが賢いかもしれない。
「行くぞ!」
ためらいを捨てて流一郎が飛び出した。
「秒殺!!」
野球のバットスイングとは全く異なる「舞い」のような軌跡を描いて、流一郎の金属バットがうなる。鼻高天狗はそれを光団扇で軽々受け止めると「ぬん!」と気合いを入れた。光団扇の輝きが最高潮に達し、流一郎は電気ショックを金属バット越しに受ける。それは想像を超越したエナジー量で、先だっての「七ツ怒鬼戦」で受けた
「ぐあっ!」
強烈な感電で全身が硬直する。流一郎はその場に崩れ落ちた。
学生服の裾からは薄く煙が上がっていて焦げ臭い。
「おい! 死ノ儀!」
「だ、大丈夫だ、問題ない……我慢の範疇だ」
よろよろと、金属バットを杖代わりにして立ち上がる流一郎。その意識はもうろうとしていて頼りない。
一方の鼻高天狗は無表情に立っていてその感情が読めない。今の電撃が小手調べなのか必殺なのかも判断のしようがなかった。さすがは大天狗の系譜である。妖術を使うのには長けているのだろう。地火風水雷すべての攻撃方法を持っていると考えるのが妥当だ。チートが過ぎる気もするが、それが一流麒族たる所以でもある。
だが、流一郎に勝機がないわけでもない。まがつ鋼は全ての麒族にとって等しく脅威なのだから。金属バットに貼り付けた「まがつ鋼の矢じり」を相手の身体にヒットさせれば、一流麒族であっても割れる運命から逃れることは出来ないはずだ。
流一郎は再びバットを腰だめに構え、精神統一をした。
妖術によるダメージは精神的な負担が大きい。冷静に考えれば大したことがなくても、妖術という呼び名だけで過大評価してしまいがちなのが人間だ。
先ほどの電撃は感電に過ぎないし、そのほかに地火風水雷どの属性の攻撃があったとしても、それは日常に存在する現象であって未知の脅威ではない。
『よし――行ける!』
流一郎は覚悟を決めた。
妖術に惑わされないという確信をもって再び駆け出す。
鼻高天狗の表情は依然として読めないが、相手も生きとし生けるものである。死に対する恐怖は人間と同じように持っていることだろう。そうだとすれば、相手の注意は流一郎が振るう金属バットに集中していることになる。ならばそれを攪乱すればいい。
流一郎は勝負に出た。
「無秒三千殺!!」
それは、一撃必殺の「秒殺」とは異なり、続けざまに無数の打撃を繰り出す連続技だ。その威力は「秒殺」に劣るが、無尽蔵に繰り出される打撃のうち一撃でもヒットさせれば、鼻高天狗に不可逆なダメージを与えることができる。
無秒三千殺の連続攻撃に、鼻高天狗の光団扇は追い付けない。
「そこだ!」
流一郎は鼻高天狗の光団扇が大きく翻る隙を突いた。
金属バットの打撃が鼻高天狗の右脇腹にヒットする。
ガシャーーーーン!
破砕音と共に鼻高天狗の胴体の一部が割れ落ちた。
もしこれが鬼包丁だったなら、もしこれが秒殺だったなら、勝負の決着はここでついていただろう。それだけが口惜しいが、無い物ねだりをしても始まらない。流一郎は、無秒三千殺の連続打撃でぐにゃりと折れ曲がった金属バットを惜しみなく捨てた。
「ほいきた! 死ノ儀! これがラスト前一本だ!」
五郎もわきまえたもので、絶妙のタイミングで次の金属バットを投げ渡してくれる。
流一郎は新しいバットを構えて、鼻高天狗の状況を観察した。
右脇腹を割られた鼻高天狗は、上半身の力がうまく入らないようだ。こうなると俄然、流一郎のほうが優位に立つが、このようなハンディキャップを与えるのは流一郎にとってもあまり本意ではなかった。鼻高天狗が最初に見せた武士道精神に従うなら、ここは一撃で葬り去ってやりたかったところだ。そうでなければ、ここから先の戦いは、ただのリンチになってしまう。
「勝敗は決しただろう。その傷は致命傷だ、ここは大人しく退け」
それは自分でも意外な台詞だった。
麒族は全て割る。
それを心に刻んで生きてきた流一郎だというのに、敵に情けをかけるときが来ようとは。
まるで鼻高天狗との間に理解が深まったかのようではないか。
そんなものは幻想だ――と、流一郎は自分自身に言い聞かせた。鼻高天狗の武士道精神は、その行動を見て流一郎が勝手に思い込んだだけに過ぎない。もしかすると鼻高天狗は単に自分に有利な戦法として地上戦を選んだだけかもしれないのだから。
「それは次の一撃で分かることだな――」
流一郎は、そうつぶやいた。
窮地に陥ったときほど、その者の本性が浮き彫りになるのは自明の理だ。右脇腹を割られ、剣戟をうまくこなせないはずの鼻高天狗が、次にどのような戦法を取ってくるか――それで品格が決まる。
再び鼻高天狗が羽団扇を天にかざす。今度は激しく燃える炎、いわば
いや、火団扇という言いかたでは生ぬるいかもしれない。その炎はあまりにも高温なため、火団扇全体がプラズマ化しているのだ。それが戦いにどのような影響を与えるのか、流一郎は判断しかねた。ただ、まともに身体に食らえば即死してしまうことは想像に難くない。
流一郎と鼻高天狗が同時に駆け出した。
「秒殺!!」
「ぬん!」
流一郎の金属バットと鼻高天狗の火団扇が激突する。それはまるで、実剣でしのぎを削るような体勢だった。
「ぐっ!」
流一郎が鼻高天狗の膂力に押されている。それは当然のことかもしれない。何しろお互いの身長差は二倍近くあるのだ。事実、剣戟をするために鼻高天狗は片膝をついて、流一郎の身長に合わせてきている。それだけの余裕が鼻高天狗にはあった。
プスッ! ズズッ!
金属バットが赤熱化した。火団扇のプラズマによって溶かされているのだ。
ズバッ!
あっという間に金属バットは熱で切断されてしまった。ヘッド部分が地面に落ちて転がる。
刀身全体がまがつ鋼で出来ている鬼包丁とは違って、即席の「まがつ鋼バット」はヘッド部分にしかまがつ鋼が使われていない。そうではない部分で鼻高天狗の攻撃を受ければ、破壊されるのは目に見えていたことだ。
流一郎は、単なる超々ジュラルミンの棒っきれとなってしまったバットを手放した。
「五郎!」
「おうよ、死ノ儀! ラスト一本だ!」
五郎が金属バットをやや高めに投げてきた。
流一郎は路傍の岩をジャンプ台にしてそれを空中でキャッチすると、そのままの勢いで大きく振り下ろす。
これで駄目なら勝機は見出せない。
「行くぞ!」
「ぬん!」
流一郎のバットスイングが先制し、火団扇とぶつかり合うことなくすれ違う。
流一郎が先の先を取った形だ。千載一遇のチャンスが訪れた。
「秒殺!!」
金属バットのヘッド部分が、鼻高天狗の立てた片膝に激突する。
鼻高天狗の膝に無数の亀裂が入り、すぐさま砕け散った。
その直後、鼻高天狗のプラズマ火団扇が流一郎の頭をかすめていく。チリチリと髪が灼ける匂いがしたが大したダメージではない。
それよりも鼻高天狗が受けたダメージのほうが何倍も重篤なものだった。
「やったか!?」と流一郎。
片足を失いバランスを崩した鼻高天狗は、大きな羽根を広げると羽ばたいて宙に舞った。だが、まがつ鋼に割られた部分のダメージがひどいのか、バランスを崩してうまく飛べないでいる。
次の切り結びで決着が付く――流一郎は確信した。
上空にいた鼻高天狗が急降下して、頭から流一郎に迫る。それは死を覚悟した特攻のようにも見えた。
この勝負に「逃げ」はない。
流一郎は、再び金属バットを腰だめに構えた。
鼻高天狗が、全身を巨大な弾丸のようにして迫る。
「秒殺!!」
流一郎が金属バットをフルスイングする。「まがつ鋼の矢じり」を貼り付けたヘッド部分が、鼻高天狗の顔面を、まさにその高い鼻を捉えた。
ガシャーーーーン!
金属バットは、鼻高天狗の頭部を砕き割ると、続けざまに胴体を、そして残された片足をも粉砕する。
鼻高天狗はその巨体を無数の欠片に変貌させ、まるで粉雪のようにあたりに舞った。
登山道の草陰から五郎が飛び出してきて「やったぜ死ノ儀!」と叫ぶ。
流一郎は勝った。残された金属バット三本を全部使い切るという辛勝だったが、鬼包丁なしで一流麒族を祀ったのだ。これは誇ってもいい戦果だ。
金属バットは案の定ぐにゃりと曲がっていたが、これが最後の一本だ。おいそれと捨てるわけにはいかない。
流一郎と五郎は再び登山道を登りだした。二人の目的は、あくまで時女宵子の救出だ。目の前の一つ一つの戦いに一喜一憂している場合ではなかった。
ただ、今の血戦の結果を、ほかの一流麒族たちも本能的に察知しているはずだ。これで次の一流麒族が対戦を挑んで来るも良し、このままカミヤムネに到着して待ち伏せされるも良し、と流一郎は考えていた。
流一郎と五郎の行軍は続く。肉体はボロボロに疲弊していたが、カミヤムネが近づけば近づくほどに、流一郎の神経は研ぎ澄まされていった。
やがて流一郎たちの目の前に大きな岩が林立する地帯が見えてきた。
あれが巨石遺跡・カミヤムネだ。
満月の輝きがあたりを照らしている。
その月明かりの中――並び立つ巨石の周囲には、数柱の一流麒族たちの姿が見えた。
いよいよだ。いよいよ本当の戦いが始まる。
周囲を徘徊していた二流麒族たちが一斉に流一郎に飛びかかってきた。流一郎は臆することなく前に出ると、ぐにゃり曲がったままの金属バットを無理やり振り抜いた。破砕音が連続してあたりに轟き、二流麒族たちは全て粉々に飛び散った。
流一郎は最後の金属バットを投げ捨てると、カミヤムネの一流麒族たちに向かってこう叫んだ。
「貴様ら!
流一郎は、近くに宵子の姿を求めた。
宵子は正面の巨石の根元、ここから三〇メートルほど離れた場所に立っていた。
それほど離れていてもすぐに宵子だと分かったのには大きな理由がある。彼女の胸――心臓と思しき部分から青白い炎が立っていたのだ。その輝きは、かつて清風荘の二〇一号室で見慣れたものと同じ色彩を放っていた。
「風月丸!」
「宵子!」
お互いに名前を呼び合う二人。
そして核心に触れる言葉を宵子は叫んだ。
「風月丸! 私を使って!」
そう叫んだ宵子のすぐ後ろには餓鸞童子が立っている。
餓鸞童子が全てを悟る前に、宵子のもとへたどり着かなければ。
流一郎――いや、風月丸は全力で芝生を駆け上った。それを見た宵子もまた駆け下りてくる。
餓鸞童子は状況が飲み込めずに立ち尽くしていたが、やがてあることに気が付いて、走りゆく宵子の背中を睨みつけた。
「そういうことか! やらせるもんか!」
餓鸞童子が羽根を広げて飛んだ。ものすごい勢いで宵子を追う。
風月丸と宵子はあと三メートルというところまで近づいていた。
右手を伸ばす風月丸。両手を大きく広げる宵子。
そしてついに風月丸と宵子が触れ合った。
風月丸の右手が、まるで水中に没するかのように、宵子の胸の中に差し込まれていく。
「あっ……」
進入するその異物感に小さな声を上げる宵子。
やがて風月丸の右腕は、肘まで宵子の胸の中に埋没した――そしてその先で確かに何かをつかみ取った。ぐいっと腕を引く風月丸。
みるみる抜き出される風月丸の右腕、その手には一振りの日本刀が握られていた。
それは鬼包丁だった。
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