第05話 絶え間なき侵攻②

 音のありかは、巫女たちの背後……美鶴神社の境内だ。

 二五人の巫女たちがゾクリと青ざめて後ろを振り返ると、そこにはあろうことか三柱の麒族の姿があった。その全てが一流麒族だ。

 一柱は鼻高天狗。

 そして鼻高天狗が両脇に抱えている大入道が二柱。

 全員が大物の麒族である。それは名ばかりではなく、実際の大きさもそうだった。

 大入道はその名のとおり身の丈二メートルをゆうに超える大きさだが、それを抱えている鼻高天狗のほうが遙かに大きかった。おおよそ見積もって、三メートル半はあろうかと思われた。このサイズの麒族を見たのは、さすがの凛も初めてだった。残り二四人の巫女たちも思いは同じだろう。その証拠に全員が戦意喪失して、ただ青ざめている。これが年頃の少女たちの正しい反応ではあるのだが。

 鼻高天狗は、抱えていた大入道二柱をゆっくりと地面に下ろした。のそりのそりと歩き始める大入道たち。

「弓矢隊、甲、前へ! まがつ鋼は我々のもとにあり!」

 それでも凛だけは冷静さを取り戻し、弓矢隊に檄を飛ばした。

 おたおたとしながら、甲隊が隊列を作る。だが一同が弓を構えるより先に、鼻高天狗が羽団扇を大きく振るった。大旋風が巻き起こり、巫女たちは紙くずのように吹き飛ばされる。

 能力の違いは圧倒的だった。

 それでも凛は「弓矢隊、各自、てーッ!」と指示を出す。

 境内に散り散りとなった二四人の巫女たちは、あたりに散らばった弓矢をあわてて拾い集め、各々矢を射ようと試みる。だがその度に鼻高天狗の羽団扇が大旋風を巻き起こし、あわれ、境内を縦に横にと吹き飛ばされてしまった。

 まがつ鋼の武具を所持しているからといって、必ずしも勝つとは限らない。

 一流麒族に勝つためには渡殺者の存在が必要だった。

 百戦錬磨のつわものの存在が。

 鼻高天狗の羽団扇攻撃に惑わされて注意がおろそかになっていたが、二柱の大入道も厄介な相手だった。大入道たちは、境内の奥に向かってすでに侵攻を開始している。その方向には美鶴御前の寝所があった。

 麒族たちの目的は美鶴御前の命なのか――?

 凛の脳内に疑問が湧き起こる。

「凛!」

 そのとき、聞き慣れた声が凛の名前を呼んだ。流一郎と宵子が石段を上り終え、境内までやって来たのである。

「風月丸様! あれを!」と凛は、境内の奥深くへ歩もうとしている二柱の大入道を指さした。鼻高天狗も気がかりだが、喫緊の脅威は、美鶴御前のもとに麒族が到達することである。

「まかせろ!」

 流一郎は頼もしい言葉を発すると、大入道たちに向かって駆けだした。

 しかしそれを黙って見過ごす鼻高天狗ではなかった。流一郎と大入道たちの間に割って入ると、羽団扇で大旋風を巻き起こし、流一郎でさえも吹き飛ばそうと試みる。

「くっ……!!」

 だが流一郎は飛ばされなかった。鬼包丁を縦に構え、大旋風の気流を二つに裂いたのだ。

 流一郎はその体勢のままで鼻高天狗に向かって駆け出す。はたして、なまくら刀となった鬼包丁でも鼻高天狗を割ることは出来るのだろうか。

 境内にいる全員に緊張が走った。

「せいっ!」

 ここでまさかのスライディング。

 流一郎は鼻高天狗の股下に向かって足から滑り込みをすると、それを難なくくぐり抜けた。

 鼻高天狗をやり過ごした流一郎は、そのまま駆け出すと大入道に接近する。その足音を聞きつけて大入道たちがようやく振り返った。

 大入道たちはそれぞれが手にした巨大な金棒を流一郎に向かって振り下ろし、彼を潰そうと試みた。それを鬼包丁でまともに受けとめる流一郎。

 ガン! という重い音がして、流一郎の膝が崩れる。

 体格差がありすぎた。

 身長一八〇センチあまりの流一郎が鬼包丁、そして二メートルをゆうに超える二柱の大入道が巨大な金棒である。単純に考えるだけでも威力の差は歴然としていた。だがそれを流一郎は何とか踏ん張っている。

 ズズズッ! と流一郎の靴の裏が地面を滑る。本来なら、いとも簡単に潰されて終わりだったろう。それを持ちこたえているのは、まがつ鋼が持つ超自然的な力の助けがあってこそだ。

「くっ……重てえんだよッ!」

 流一郎は全身の筋肉を振り絞って、二本の巨大な金棒を押し返した。それだけでも驚嘆する戦いぶりである。

 金棒を押し返された大入道たちは、バランスを崩して倒れそうになる。

 流一郎はその一瞬の隙を見逃さなかった。

「秒殺!!」

 腰だめに構え直した鬼包丁を振り抜き、大入道の胴体にその刃を食らわせる。

 ガシャーーーーン!

 大入道は割れ落ちた。その体格からも分かるとおり、ものすごい分量の欠片たちがあたりに散らばった。

 一方で、相棒を割られたもう一柱の大入道は、怒りで顔を真っ赤にして突撃してくる。

 もはや正常な判断が出来なくなっているのだろうか、力任せに巨大な金棒を何度も振り下ろしてくる。そこには戦略も戦術もない。流一郎の鬼包丁は、その荒々しい打撃を幾度となく受け続けた。結果、鬼包丁の刃こぼれが次第に大きくなっていった。

『折れる――!!』

 それは一瞬の判断だった。流一郎は、振り下ろされた巨大な金棒を右から左へ受け流すと、自ら大入道の懐に飛び込んだ。ここまで接近すれば、大入道は自慢の金棒で流一郎を潰すことは出来ない。自分自身をも傷つけることになるからだ。

「秒殺!!」

 流一郎はコンパクトに腕を畳んだままで大入道を股下から斬り上げた。

 ガシャーーーーン!

 見事に二柱目の大入道を割った流一郎。

 しかし、だ!

「――――!」

 振り抜いた鬼包丁の刀身は、柄から一〇センチくらいを残してその先を失ってしまっていた! とうとう折れたのだ! まだあと一柱、鼻高天狗を残しているというのに!

 流一郎は、まるで短剣のようになってしまった鬼包丁を右手に構えた。戦いはまだ終わりではない。得物が日本刀から短剣になっただけだと考えれば、戦闘の続行は可能だ。

 身の丈が三メートル半もある鼻高天狗に、その攻撃がどれだけ効くかは保証の限りではないが……。

「弓矢隊、全員、構え! てーッ!」

 突如、境内に凛の声が響いた。流一郎が戦っている間に、凛が巫女による弓矢隊を再編成していたのだ。二四人の巫女たちは一斉に弓矢を構え、号令に従って矢を放つ。

 ストトトトトトトトト――!!

 鼻高天狗の身体に一斉に突き刺さる二四本の矢たち。まるで容赦なく降り注ぐ雨のような攻撃は、鼻高天狗の全身に微細なヒビを大量に発生させた。しかし割れ落ちるには至らない。これが一流麒族の力であると言わんばかりである。

『仕留めることが出来なかった――!!』

 巫女たちの間に動揺が走ったのが分かる。

 しかし、その攻撃はまだ終わりではなかった。陣頭指揮を執っていた凛はすっくと立ち上がると、自らもまがつ鋼の弓矢を構えたのだ。

「てーッ!」

 己の号令で矢を放つ凛。

 飛び立ったその矢は、鼻高天狗の顔面へと一直線に向かっていった。

 ガシャーン!

 瀬戸物が割れるような音がして、鼻高天狗の顔が右半分だけ吹き飛んだ。

 人間だったら致命傷である。

 しかし、鼻高天狗はまだ死んではいなかった。重傷ではあるが、依然として「死」からはまだまだ遠い。

 だが、回復が容易ではないほどのダメージを与えられたのは確かである。

 鼻高天狗はバッ! とその羽根を開くと大空に羽ばたいた。

「逃がさない! 弓矢隊、次なる矢を装填、用意、てーッ!」

 凛の指揮で、再び二四本の矢が鼻高天狗の身体を狙い撃つ。だが縦横無尽に大空を舞う鼻高天狗には一本たりとも当たらなかった。それでも凛は追撃の手を緩めない。

「弓矢隊、次なる矢を装填――あっ!?」

 どうしたことか、鼻高天狗は再び境内に舞い降りた。

 一瞬、飛ぶことが出来ないほどのダメージを受けたのかと考えた者もあったが、実際はそうではなかった。

 鼻高天狗の次なるターゲットは、誰あろう、宵子だった。

 巨大なかぎ爪を持つ鳥のような足で、鼻高天狗は宵子の身体を掴みにかかった。

「いやっ!」

 いとも簡単に胴体を掴まれ、宵子の身体が軽々と宙に舞う。

 だがまたしても異変が起こる。宵子の胸から青白い光が発されたのだ。

 それにダメージを受けたのか、鼻高天狗は宵子を手放してしまった。高さ五メートルから地面に落とされた宵子は、落下の衝撃で気を失ってしまう。

 巫女の弓矢隊はすでに次なる矢を装填していたが、あまりにも宵子が鼻高天狗に接近しているので、それを射ることが出来ないでいる。

 鼻高天狗は、再びその巨大な鳥足で宵子の身体をつかむと、今度こそ完全に宙を舞った。

 今度は青白い光は発動しなかった。それは宵子が気を失っているせいかもしれない。

「時女!!」

 流一郎は大空を見上げた。

 鼻高天狗は宵子を軽々と持ち上げたまま西の空へと消えていった。

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