第七章『鬼包丁』

第01話 カミヤムネの八柱

 麒族の侵攻を押しとどめることに成功した美鶴神社だったが、時女宵子が拉致されたことは痛恨の極みだった。非戦闘員が被害に遭うことは何よりも重大な「事件」だからだ。一同が集った謁見の間には、いつにも増して重苦しい空気が立ち込めていた。

 上段の間に美鶴御前と橘凛。下段の間には流一郎と一二人の巫女たちがいる。残る半分の一二人の巫女たちは、今も境内の監視にあたっており、未だ戦闘終了には至っていないことを如実に物語っていた。

 橘凛が、自ら汎用コンピュータのアクセス端末を操作して情報収集に努めている。

 彼女の表情は一貫して浮かない。現場に時女宵子を連れてきたのは流一郎だったが、現場の指揮者として責任を負っていたのは凛だったからだ。取り返しようのない過ちを犯してしまったことに、悔やんでも悔やみきれない思いでいた。それはもちろん流一郎も同じ気持ちだ。

「先程までの戦闘結果と現状についてご報告します」と凛。

「本日一六時〇〇分までに舞鶴市に侵入した麒族は推定値で二八柱。うち二〇柱を巫女の弓矢隊と風月丸様の加勢によって祀ることが出来ました。これで残るは推定値で八柱となります。なお残存する麒族は全て一流麒族だと推察され、今後如何によっては増える恐れもあります。これは戦後最悪の数値であり、私、橘凛は現場指揮者として大変な責任を感じているところです」

 凛がそう言ってうなだれる。

 美鶴御前はいつものように冷静な声音で「かつて三〇〇〇柱の侵入を許した大事変に比べれば圧倒的に少ないが……それでも楽観視するわけにはいかない数ではあるな――泣くな、凛、貴様も初陣じゃったのだ。よくやった」

「はい……」

「ならば現状についての報告に努めよ」

「はい」

 凛は涙をぬぐうと、アクセス端末のキーボードを叩いた。

 CRTディスプレイに、ここ舞鶴市の地図がグリーン一色で表示される。ワイヤーフレームで描かれたたその全景は、まるで町全体を鳥の俯瞰視点で見たかのように立体的に表現されている。普段、汎用コンピュータを見慣れない巫女たちからは、どよめきに似た声が上がった。

 立体的に表示された舞鶴市の地図。狭い盆地である舞鶴市は、上空から見るとほぼ円形に近い形状をしている。外輪山に囲まれたその地形は、かつて存在した巨大な火山の噴火口とも、太古の昔に隕石が落ちてきて出来たクレーターだとも言われているが、真実は定かではない。

 その外輪山の東部に美鶴神社は存在している。地図上でも鳥居のアイコンでその位置が表示されているのが分かりやすい。

 さらに凛がキーボードを叩くと、地図上に八つの星印が表示された。それぞれが舞鶴市内のランダムな場所に散らばっており、これが残存する八柱の一流麒族の位置だということが見て取れる。

「時間を一〇分ごとに進めていきます。画面の変化をご覧ください」

 凛がそう言ってキーボードの実行ボタンを押すと、八つの星印は点滅しながら動き出した。

 初めはウロウロとおぼつかない様子だったが、じきにその全てがある一点に向かって移動を始めた。

 西へ、西へ――八柱の一流麒族たちは、外輪山の西部に向かって一様に集まっている。

 外輪山の西部。つまり美鶴神社の対岸に位置するその場所は――。

 巨石遺跡・カミヤムネ。

 ダークエナジーの吹き溜まり。

 舞鶴市で最凶の曰く付きスポット。

 麒族が集うには、なるほどうってつけの場所だと言える。

「このように、麒族たちは現在、カミヤムネに集結していると思われます」

「一網打尽にするには絶好のチャンスというわけだな」と流一郎は意気込んだが、今の彼には鬼包丁がない。

「凛よ、渡殺者たちの招集は進んでおるか?」

「定宿を決めている三名とは連絡が付きましたが、舞鶴市に帰還するのは早くとも明日の朝になる模様です」

「麒族撲滅のキャンペーンが裏目に出たな」

「はい……残念です」

「じゃが、三名の所在が知れただけでも僥倖と言わねばなるまい。麒族たちも疲弊している。今夜の再襲撃はないだろう。あとは、時女の娘の安否だけが気がかりじゃが……」

 謁見の間に、再び沈痛な空気が流れ込んだ。

 誰もが思っているに違いない――もう生きてはいまい、と。

 その重苦しい雰囲気を打ち破ったのは、外から漏れ聞こえる喧噪だった。

 何やら巫女たちが騒いでいる。どうやら誰かと揉めているようだ。

 すわ麒族襲来かと一同が臨戦態勢に入ろうとしたとき、だしぬけに下段の間のふすまが開いて一人の男が現れた。その男の侵入を押しとどめようとしたのだろう、巫女たちが数珠つなぎになって男にぶら下がっている。

 金髪リーゼントのヤンキーがそこにあった。その傍らには伏見小夜子の姿も。

「聞いたぜ、死ノ儀!」

 金髪リーゼントこと頂五郎は、両肩それぞれに大きなスポーツバッグをかけていた。中途半端に開いたチャックからは、多数の金属バットのグリップが飛び出している。きっと野球部から「拝借」してきたものだろう。野球部員たちの「同意」が得られているかは甚だ怪しいが。

「何をちんたら会議してんだよ! こうしてる間にも、時女宵子は麒族たちに囲まれて震え上がってるんだろ!? 善は急げだ! 助けに行かなきゃ男が廃るってもんだぜ!」

「貴様、どこでその情報を得た? 伏見家の差し金か?」と美鶴御前。

「伏見家にはそのような情報機関はありませんわ。それは美鶴御前が何よりもご存じのはず」と小夜子はとぼけてみせた。

「ならば舞鶴学園の姫野美人からもたらされたのだろう。違うか?」

「うおっ!? そ、それは……」五郎は言葉に詰まった。実に分かりやすい。

 確かに、美鶴神社以外で麒族の情報を得たとすれば、姫野先生――いや、真那霞姫をおいて他にいないだろう。彼女は麒族だ。それゆえに同じ麒族の動向も手に取るように分かるのだという。

 そのことについて、五郎は全く感付いてはいないようだが……。

「それはそうと死ノ儀、お前は行くよな? ってか、お前が行かねーんなら、この金属バットが全部無駄になっちまわぁ。これで時女宵子を助けに行こうぜ!」

「ああ!」

 流一郎は、一も二もなくその話に乗った。

 その覇気を美鶴御前がさえぎる。

「正気か、風月丸よ。鬼包丁なくして、どう一流麒族と渡り合うつもりじゃ?」

 それはもっともな意見だ。一流麒族が八柱も集結しているスポットに、金属バットだけで乗り込もうというのは、正直、自殺行為だろう。

 しかし、流一郎は立ち上がらないわけにはいかなかった。もちろん宵子のことが心配なのが一番の理由だが、それと同じくらいに、自分の身体に流れる渡殺者としての血が煮えたぎっていたからだ。

「時女なくして鬼包丁はない。それに、俺は麒族との戦いを自分の代で終わりにしたいんだ。そのためには、いついかなるときでも逃げるわけにはいかない」

「貴様も自分の血に背くことは出来んというわけじゃな――」

 美鶴御前は感慨深げにそう言った。

 永遠に近い歳月を戦ってきた彼女のことだ、流一郎のような若輩者が宣言するまでもなく、全てのことを理解しているのだろう。

「では私たちもお供を」と凛。

「ならぬ」即座に断じる美鶴御前。

「ですが御前様、非力なる私たちでも後方支援の戦力としての――」

「風月丸の戦いに助力は無用じゃ」

 美鶴御前は頑として譲らない。

 すると五郎が流一郎の耳元で「おい死ノ儀、あんなこと言ってるけどよ。自分のボディーガードがいなくなって、神社がもぬけの殻になるのが怖いんじゃねーの?」とささやいた。

「聞こえておるぞ」

「ひえっ」

 あたふたと手を振る五郎。

 対する流一郎は落ち着いたものだった。

「俺たち渡殺者に代わりはいくらでもいるが、美鶴御前はただ一人だ。何も問題はない」

「そりゃ、言いようだけどよ」

「では風月丸様、せめて私たちの「まがつ鋼の弓矢」をお持ちください」

 凛の申し出を、今度は美鶴御前も了承する。

「まがつ鋼なくして一流麒族は割れぬ。その金属バットの先端に、まがつ鋼の矢じりを取り付ければ、攻撃力上昇の一助になるじゃろう」

「いや……それは結構だ。俺は鬼包丁以外で、まがつ鋼を使うつもりはない」

「なりません! 風月丸様!」

「凛……」

「死んではなりません。私たち巫女の矢じり、どうかお持ちください」

 凛のまなざしがいつにも増して真剣だった。

 微力とは言え、流一郎の力になりたいと願う彼女の思いを無下にするわけにはいかない。

「――ならば借りよう。凛、ありがたく頂戴する」

 凛の表情に生気がよみがえった。

「風月丸様の武運長久をお祈りしております」

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