第02話 道祖神、破壊
流一郎がペダルをこぐと、自転車は颯爽と滑り出した。
頬をなでる風が気持ちいい。
「道祖神はひとつなの?」
宵子は荷台にまたがったまま流一郎に訊いた。
「いや、四つある。町の東西南北にそれぞれ一つずつ。今から行くのは、その北側だ」
「餓鸞童子はどうして四つのうち、北から攻めたのかしら?」
「北の道祖神が一番古いからな……そのあたりに理由があるのかもしれない」
「一番古い……」
宵子は流一郎の言葉を反すうした。
そういえば餓鸞童子は何歳なのだろう? 宵子はふと思いを巡らせる。もしも数百歳としたならば、餓鸞童子はその間、一度も討伐されなかったことになる。それはそのまま餓鸞童子の強さを表す尺度になるのではないだろうか。麒族の世界では、「年齢=強さ」と考えて概ね間違いではないのだろう。
そんな餓鸞童子を相手に、初めて鬼包丁を手にした流一郎が単身で戦いを挑もうとしている。はたしてこれは大丈夫なのだろうか?
「向こう見ず」と「勇敢」はまるで違う。宵子にはその見極めが出来なかった。
もしかしたら、ここは流一郎を押しとどめるのが従者としての役割なのかもしれない。
ガタン! 自転車が大きく揺れた
ここから先の道路は、未舗装の上り坂になっている。前方を見ると小高い丘が待ち構えていた。なるほど、亀の甲羅にそっくりだ。だから亀の甲と呼ぶのか――と宵子は得心した。
丘の頂上が近づくにつれ、一本の大きな菩提樹が見えてきた。その根元でごそごそとうごめくものがある。それが餓鸞童子であると二人が気付くまでには、さして時間はかからなかった。
「時女!」
流一郎が振り返って宵子の名を呼んだ。宵子はすぐにその意味を察して自転車の荷台から飛び退いた。流一郎は自転車を急停止させると、前かごから鬼包丁を抜き取る。
「餓鸞童子!」
自転車を降りながら流一郎が叫んだ。
餓鸞童子はゆっくり首を巡らすと流一郎と宵子を視界に捉えた。その口元は何を食べているのか、激しく咀嚼している。流一郎と宵子の到着に慌てるそぶりも見せない。
「思ったより早かったね。ここだと気付くにはもう少し時間がかかると思っていたよ」
餓鸞童子は美鶴神社の汎用コンピュータのことを知らない。自分の現在位置が算出されていることも知らないのだ。
「この道祖神は町で一番古いものだからね。僕にとっては大変な滋養強壮になる」
言いながら、餓鸞童子は咀嚼をやめない。
何を食べているのだろう――と宵子は流一郎越しに覗き込んだ。
「――――!!」
餓鸞童子が食べていたのは古い人骨だった。道祖神の根元には、結界を維持するために必ず人柱が立っている。餓鸞童子はその骨を掘り起こして食べていたのだ。
「きみたち人間は、皆を守るためと言いながら、こうやって仲間を生き埋めにしたりもするよね。その二枚舌も食べてあげようか」
バリバリと音を立てながら、掘った骨を食べる餓鸞童子。
そんな餓鸞童子に鬼包丁の一撃をしかける流一郎。
「何が麒族だ! この蛮族が!」
「おっと……」
流一郎の攻撃をひらりとかわす餓鸞童子。
「蛮族呼ばわりはひどいな。キミたちの倫理観でも、命を大切にいただくことは――食べることは罪じゃないだろう?」
さらに人骨をバリバリと食べる餓鸞童子。
それを見ていた宵子は激しく動揺した。全身で嫌な汗をかき、「ああああああ!」と頭を抱えてうずくまる。
「どうした!? 時女!!」
宵子の突然の変化に、思わず駆けよる流一郎。彼女は顔面蒼白だ。
「甘いよ風月丸。まだ戦いの途中なのに」
そう言うと餓鸞童子は鉄扇を取り出してバッ! と開いた。
無防備な流一郎の背中を、餓鸞童子の必殺技「霞羽根」が狙いをつける。
――と、そのときだった。
パン! と乾いた音が炸裂し、餓鸞童子が頭を撃たれた。
その「かむろ頭」が大きく揺らぐ。人間だったら即死していただろう。
「痛いじゃないか!」
餓鸞童子が周囲を見渡すと、そこには拳銃を構えた私立探偵・千賀俊作の姿があった。
みるみる怒りの形相に包まれる餓鸞童子。渡殺者ですらない、単なる人間の攻撃を受けてしまったことに激高しているようだ。
「今のは痛かったよ! 許さないぞ!」
「チッ……無傷かよ。特注品だってのに」
再び銃を構える千賀。だが銃には不慣れなのだろう――照準が定まらない。
そんな千賀に対してひるむことなく、餓鸞童子の影が迫る。
だがしかし、さらにその背後には流一郎の影が迫っていた。
「餓鸞童子! まだ戦いの途中だ!」
流一郎の鬼包丁が、餓鸞童子の背中を袈裟切りにする。
「秒殺!!」
手応えあり! しかし刃こぼれした鬼包丁では、一流麒族である餓鸞童子を砕き割るには至らなかった。あろうことか、餓鸞童子は無傷である。
「惜しかった。今のは惜しかったねえ。千載一遇のチャンスを、なまくら刀で無駄にしてしまった」
「期待に添えなくて悪いな」
「いや、とても興味深いよ、第三十八代風月丸――きみほど未完成な風月丸は過去にいなかった。そんな未熟さで戦いにおもむくなんてさ」
「全部貴様のおかげだ!」と鬼包丁を振り上げる流一郎。
パン! パン! と再び乾いた音が炸裂する。
またも千賀が発砲したのだ。その弾丸は餓鸞童子の背中に二発とも命中した。
「これでどうだ!!」千賀が叫んだ。
「さっきからうるさいな……人間の分際で」
その刹那、餓鸞童子は瞬間移動に近い俊敏さを見せると、千賀の目の前に立ちはだかった。あまりの出来事に、千賀は一切反応することを許されず、餓鸞童子の右腕になぎ払われた。宙を舞った千賀の身体は、そのまま菩提樹にしたたか打ちつけられる。
「ぐおっ!!」
「ふぅ……興が冷めたね。愚かな人間に関わると、ろくなことにならないよ」
そう言うと餓鸞童子は、千賀のもとに歩いて行こうとする。
とどめを刺そうとでもいうのか。
「待て! 餓鸞童子!」
流一郎が鬼包丁を腰だめに構えている。いつでも秒殺出来る体勢だ。しかもこの間合いなら、鬼包丁の刃は必ず届くだろう。
「本当……ろくなことにならないね」
そう言うと、流一郎を無視して、餓鸞童子は白い羽根を広げた。
「道祖神の骨はもっと食べたかったけど、これ以上の面倒はゴメンだ」
飛び立つ餓鸞童子と同じ瞬間に、流一郎は「秒殺!!」と叫んだ。
すれ違う二者の身体。
流一郎の鬼包丁は、餓鸞童子の左羽根の根元をとらえていた。
ガシャーーーーン!
大きな破砕音と共に、餓鸞童子の左羽根が砕け散る。
流一郎が餓鸞童子に対して、初めて一矢報いた瞬間だった。
だが……。
餓鸞童子は何ごともなかったかのようにそのまま飛翔した。片翼でも飛べるのだ。
「あはは……また会おう、三十八代目。僕たち麒族はこの町を決してあきらめないよ」
流一郎はさらに追おうとしたが、とても届くわけはなかった。
みるみる上昇する餓鸞童子の姿は、やがて青空の白い雲にかき消えた。
流一郎はしばらくその空を見つめていたが、やがて踏ん切りをつけるように後ろを振り返った。ふと足もとに目をやると、そこに拳銃が落ちている。千賀が使っていたものだ。
流一郎はそれを拾いあげた。見た目よりズシリと重い。
それにしても――拳銃ごときで一流麒族が割れるはずもないのだが……千賀にはきちんと伝わっていなかったようだ。
菩提樹のそばで、宵子が千賀を介抱している。
「大丈夫ですか……!」
「うっ……うう……」
頭を切ったのだろう、顔は血まみれだが深手ではなさそうだ。
流一郎が「一般人が無茶をする――」と言うと、千賀は、ばつが悪そうに答えた。
「無茶は承知の上だったんだが、甘かったな」
流一郎は千賀に拳銃を手渡した。
千賀はその拳銃をまじまじと見つめながら、「この日本でも裏社会をあたれば拳銃なんざいくらでも手に入るが……問題は銀の弾丸だな。腕のいい職人に作らせたんだが、効きゃあしねえ。あいつ「痛い」だってよ」と自虐的に笑う。
「麒族相手に銀を使うというのは間違った民間伝承だ。確かに似てはいるが、こいつとは根本的にモノが違う」と鬼包丁を見せる。
「へっ、きれいな銀色だ。うまく言えねえが、銀色以上に銀色だな」
「まがつ鋼だ。世界中に幾ばくもない希少金属――下っ端相手ならまだしも、一流麒族はまがつ鋼でしか割ることが出来ない」
「なるほど、まがつ鋼ね。次に調達するときには気を付けるよ」
言いながら、千賀はメモを取った。
「次はない。あんたは手を引け」
「俺は真実を知りたいだけだ」
「死ぬことになるぞ」
「本望だね。嫁さんに会える」
誰もこの男を止めることは出来ない。
また、止める資格もないのだろうと流一郎は思った。
「死ノ儀くん、ちょっといい――?」と流一郎を呼ぶ声がした。
宵子が道祖神の前にたたずんでいる。
「これってもう駄目だよね?」
見れば、道祖神の周囲は深く掘り返され、餓鸞童子が食い散らかした人骨が散見された。
「ああ、してやられたな……」
「どうにかして元に戻せないかしら?」
「結界を完全復活させるためには、もう一度、人柱を埋めるしかない」
「今の時代に、そんなこと出来るわけないじゃない」
「この道祖神が効力を失うのは時間の問題だな――多分、今夜が山だろう」
「……そうなったら、一体どうなるの?」
宵子の問いかけに流一郎は歯ぎしりをした。
「一流麒族が来る」
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