第04話 焦燥と達観

 もうとっくに授業が始まっている時刻だが、宵子は保健室のベッドで横になっていた。姫野先生の姿はすでにない。一時限目から受け持ちの授業があるのだという。

 宵子はベッドの中で、さまざまな思いを巡らせていた。

 流一郎のこと、美鶴神社のこと、麒族のこと、そして両親と鬼包丁のこと。

 いくつものキーワードが浮かんでは消えたが、両親と鬼包丁のことは何度考えても気がかりだった。

 両親の本当の姿。鬼包丁を作る名匠としての姿。

 そしてそのことを全く知らなかった自分。

 ああ……頭が混乱する。

 昨日今日と、初めて耳にすることばかりで、気持ちの整理が追い付かない。

 真実を知るためにこの町にやって来たのに、かえって謎のほうが増えた気分だ。

 ガラガラガラガラガラ――保健室の引き戸が開けられた。

 宵子が音の方向を見やると、そこには流一郎が立っていた。

 学生服は泥汚れでボロボロになり、顔や手には生傷がいっぱいだった。やはり麒族との戦いは、亡霊人相手とは違う、一段も二段も格上の真剣勝負なのだろう。

 引き戸のそばに立ったまま、流一郎はベッドの宵子に問いかけた。

「時女宵子、最後にもう一度だけ聞きたい。新しい鬼包丁の所在は知らされていないんだな?」

 ああ、ここで「知っている」と答えることが出来たらどれだけよかっただろうか。

 死ノ儀流一郎の力になれれば、どれだけの喜びがあっただろうか――。

 しかし、宵子の答えは「知らない」なのである。

「うっ……」胸の奥が痛んだ。

 それは自分の不甲斐なさを恥じる痛みであり、もっと自分には出来るはずだという、心の奥底で燃えたぎる何かであった。

「あのっ!」

 宵子が声を発したときには、すでに流一郎の姿はそこになかった。目的地は分かっている。彼のアパートの八畳間、畳に突き刺さり直立する鬼包丁を抜きに行ったのだ。


        × × ×


「若気の至りで済む話ではないのだがな――」

 保健室の入り口で、姫野先生は頭をかきながらそう呟いていた。

 一時限目の担当授業を終えて、時女宵子の様子を見に戻った姫野先生だったが、そこにあったのはきれいにベッドメイキングされた無人のベッドだった。当然のように横になっていると思った時女宵子の姿はすでになかった。

 性分として受動的な彼女がいなくなったということは、死ノ儀流一郎にそそのかされて連れ去られたか、あるいは死ノ儀流一郎の後を追ってこの場を去ったと言うことだろう。

 姫野先生はこめかみに指をあてて学園内の状況を探った。

 すでに三流麒族の気配は霧散していた。

 おそらく、死ノ儀流一郎が討伐に成功したのだ。

「平穏な楽園気分もここまでか……」

 姫野先生がそう呟くと同時に、伏見小夜子が現れた。

「時女宵子さんが動いたのですか?」

「ああ。まだ何も理解していないというのにな」

「それは危ういですね」

「危うさと脆さと幼さと。不確定要素の塊だ」

「美鶴神社は――攻類神道は黙って見ているでしょうか?」

「さあな……だが以前、美鶴御前がこう言っていたことがある。麒族と渡殺者を総勢でぶつけ合い、最後に立っている一人が渡殺者であれば、それは勝利なのだと」

「それが美鶴御前の本心……」

「美鶴御前が護っているのは、何も知らぬ市井の人々だからな。渡殺者たちは平和のために揃えられた暴力装置に過ぎない。事が成就すれば、無用のものということだろう」

「それでも渡殺者の方々は使命に殉じるのでしょうね」

「ああ、わずか数十年の命を散らす。理解しがたいな、人間というものは」

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