第03話 偽りの七ツ怒鬼
遠雷が依然として鳴り響いている。
そろそろ生徒たちが登校してくる時刻だ。
皆の安全を確保するため、流一郎は、戦場を無人の校舎屋上に設定した。
結果として、結界を破り侵入してきた麒族は、先ほどの闇雲だけではなかった。
さらに七つ――七柱の闇雲たちと一気に対峙することとなった。
『これだけの数の闇雲が侵入出来るほど結界が破られているなんて……美鶴神社のコンピュータ予測も形無しだな』
七柱の闇雲たちは、それぞれ液化してアメーバのようにうごめいている。
闇雲は、通常は一見すると大きな黒曜石のような岩塊だが、実は微小な粒子の集まり――「
群れれば群れるほどその強さを増す――そういう意味では人類に近しいのかも知れない。
人間もまた一人では麒族には敵わず、集団で行動する習性を持ち合わせるようになった種族だからだ。
七柱のアメーバ闇雲たちは、流れる水のように一か所に集まった。大きな油だまりのように屋上に溜まっている。
「さて、次はどんな芸当を見せてくれるんだ?」
流一郎は金属バットを握りしめた。
大きな油だまりとなった闇雲の中心部が波打った。そして柱のようにせり上がってくる。まさに群体と言うべき動きだ。柱はすぐに二メートルを超え、やがて屈強な鬼の姿へと変貌を遂げた。その鬼の姿に流一郎は見覚えがあった。
「二流麒族の
あくまでそれは、三流麒族の闇雲が擬態した姿に過ぎない。だが寸分違わぬ姿に変貌を遂げた闇雲=偽りの七ツ怒鬼が、今まで以上の強さを得た可能性も否定は出来なかった。
本来、七ツ怒鬼は、命を七ツ持っていると言われている。七回倒すまでは幾度も立ち上がるその生命力は、場合によっては一流麒族さえ凌駕しているかもしれなかった。まだまだ経験の浅い流一郎には、少しばかり過ぎた相手だと言えよう。
「さて、金属バットがどこまで通用するかな――」
そう言った流一郎の金属バットは、すでにボコボコにへこんでいる。先ほどの闇雲一柱を割るのにこれだけのダメージを受けたのだ。ここからさらに闇雲七柱ぶんの敵を前にして、勝算は無いと言っても過言ではない。
「グオオオオオオオオオーーッ!!」
七ツ怒鬼が雄叫びをあげた。それは戦わずして勝ち鬨をあげているようでもあった。
「全く、遠慮のない
言うや、流一郎は全速力で七ツ怒鬼に向かって駆け出した。それに合わせるように、七ツ怒鬼もこちらへ向かって走り出す。
迫る七ツ怒鬼。流一郎は全体重を乗せて金属バットを振り抜いた。
「秒殺!!」
一撃入魂。次の一手など考えていない渾身の一振りだった。
だがしかし。
バァァァン!!
突如、金属バットのグリップに嫌な感触が伝わり、破裂音があたりに響き渡る。ついに金属バットが折れた……いや、裂けたのだ。
「くっ、ここまでか!」
流一郎は、裂けた金属バットを惜しみなく投げ捨てた。ここから先は素手での殴り合いになる。そうなれば十中八九、いやほぼ一〇〇パーセントの確率で流一郎は敗北するだろう。そしてこの場合の敗北とは、すなわち死を意味する。
「グッグッグッ――」
七ツ怒鬼がいやな笑い声を上げた。
その直後! 七ツ怒鬼は持ち前の巨躯からは想像もつかないスピードでストレートパンチを繰り出してきた。それをまともにボディに入れられて、流一郎の身体は屋上の端まで吹き飛ばされる。
「ぐはっ!!」
流一郎の呼吸が、心拍が、脳波が一瞬止まった。
横隔膜から、突き上げるような衝撃と激痛が走る。
「ちっくしょ――……」
恨み節の一言を言い終わる前に、七ツ怒鬼の次なる攻撃が流一郎を見舞う。
「グオオオオオオッ!!」
パンチとキックの乱れ打ち。流一郎の身体は安全柵の金網に磔にされたまま、七ツ怒鬼の攻撃を浴び続けた。全身の骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げる。
滅多打ちである。これにはさすがの流一郎も意識が遠のいていった。
武具がなければ、人間と麒族の戦闘能力にはこれだけの格差があるのだ。
さらに、ひときわ強烈な回し蹴りが流一郎の脇腹にヒットした。不自然なポーズのままで放物線を描くように二〇メートル以上飛ばされる。流一郎の身体は屋上の
「グッグッグッ――」
七ツ怒鬼が再び笑う。おそらく、次でとどめを刺すつもりなのだろう。
一歩、また一歩と七ツ怒鬼が流一郎に迫る。
流一郎は激痛に耐え、なんとか片膝で立ち上がろうとした。
その時、予定外の救世主は現れた。
流一郎の足もと――塔屋の中から新たなる戦士が飛び出す。
「どおおおおっせいッ!!」
無数の釘を打ち付けた木製のバット、通称・ヤンキーの釘バットを天高く振りかぶったのは頂五郎だった。流一郎を大きく越える上背から、それは七ツ怒鬼の顔面に振り下ろされる。
ガキーーーーン!
「うおっ!?」
その五郎の膂力に対して、釘バットは一〇〇%の抵抗で跳ね返された。よろめいて手をつく五郎。
「グッグッグッ――」
七ツ怒鬼は五郎を見ようともせず、さらに笑う。その顔面は全くダメージを受けていなかった。相手が三流とは言え、麒族を割るためには単なるパワーが備わっていればいいものではない。鍛錬を経ていない五郎の打ち込みでは麒族は割れないのだ。
「おい、死ノ儀! どうすればいい!?」
後ずさりしながら五郎が叫ぶ。流一郎は、塔屋の上で五郎を見下ろしながら立ち上がると、すぐそばに立てられた鉄の棒につかまった。
「――――?」
それは避雷針だった。その長さ三メートルほどの鉄の棒は、麒族を貫く槍に思えた。
流一郎は避雷針を力任せに引き抜くと、ためらいもなく塔屋の上から七ツ怒鬼に向かって飛び降りた。早く行動に移さなければ、五郎の命が危ないからだ。
「でやぁっ!!」
流一郎は七ツ怒鬼の脳天めがけて避雷針を突き立てようとした。だが、そのままでいる七ツ怒鬼ではなかった。逆に流一郎に向かって跳ねる。
「くそっ!」
先にジャンプした流一郎の方が不利なのは間違いない。流一郎は放物線を描いて落下する以外に、もう為す術はない。
だが、それでも。
流一郎は避雷針を槍のように繰り出した。そしてそれは、七ツ怒鬼の肩口に深々と突き刺さった。その成功を祝福するかのように、天に雷鳴が轟く。
七ツ怒鬼と流一郎の両者は、バランスを崩したまま屋上の床面に叩きつけられた。
「どうだッ!」
素早く立ち上がったのは流一郎の方だった。
一方の七ツ怒鬼は肩口に突き立てられた避雷針が気になるのか、座り込んだままそれを抜こうと試みていた。
その瞬間――天からの一閃。あたりが白一色に照らし出される。
そして同時に爆裂音が降ってきた。
天と地を結ぶように伸びてきたプラズマは、稲妻という名のエネルギーとなって、七ツ怒鬼の肩口に突き刺さる避雷針に落ちた。自然界の莫大な威力を一身に受けた七ツ怒鬼の身体は、いとも簡単に内側から爆散した。それは欠片であることすら許されない、全てを磁器の粉末にしてしまうほどの威力だった。
だが、稲妻のパワーはそれだけでは飽き足らず、
「がっ……!」
流一郎の身体が硬直してそのまま倒れ込んだ。
「死ノ儀!」
思わず五郎が駆け寄る。
流一郎はまともに落雷を受けたも同然だった。見れば、学生服の端々から煙がたなびいている。
「おい! 死ノ儀!」
流一郎の身体を抱き起こし、大きく揺さぶる五郎。目覚める気配はなかった。だがそれでも五郎は流一郎の身体を荒々しく揺さぶり続けた。本来なら、人工呼吸や心臓マッサージなど、有効な処置はいくつかあったのだろう。しかし残念ながら頂五郎の辞書に、そのような項目は存在していない。身体を揺らすことで気付けとする――それだけだ。
それでも、人並み外れた生命力のおかげだろう。完全に弛緩していた流一郎の身体に力が戻った。
「くっ……ぐはっ……」
苦しく息を吐く流一郎。
「大丈夫か!? 死ノ儀!!」
その問いかけに、流一郎は首を巡らすので精一杯だった。
「七ツ怒鬼は……?」
「心配すんな、粉々だよ。金属バットで割るよりよっぽどだったぜ」
「そうか……付け焼き刃だが、うまくいったみたいだな」
「おいおい、アレも技のひとつかよ」
「俺には雷を手なずけるスキルはないが……そういう
「なんでもアリなんだな、
五郎が感心していると、流一郎はひとりで立ち上がろうとした。思わず手を差し伸べようとした五郎だったが、流一郎は思った以上にしっかりした腰の入れ方で見事に立ってのけた。学生服から立ち上っていた煙はもうない。
「お前にかかっちゃ、雷様も形無しだな」
「俺の学生服は特別製なんだ……」
「ああ、そういうことね」
五郎は得心した。毎日を戦いに生きる流一郎にとって、学生服は戦国武将の鎧のようなものなのだろう。一見してそうは見えないが、攻類神道によって作られた「強化服」なのかもしれない。
「それにしても五郎、よくここが分かったな」
「ああ、登校してきたら姫野先生に声かけられてな。この釘バットを持って屋上に行けっていうからよ」
「それでバカ正直にやってきたのか?」
「死ノ儀……お前は、あの先コーの怖ろしさが分かってないんだよ」
姫野美人の怖ろしさ――。
なるほど、番長としてケンカに明け暮れている五郎だからこそ、天性の感覚で感じ取るものがあるのだろう。そしてその特性は決して間違ってはいない。流一郎でさえ、姫野美人と真っ向勝負をするのは避けたいと思っているのだから。
「それにしてもよ、なんか最近、急に物騒になってきたよな」
「今までが平和すぎたのさ……麒族の怖ろしさを忘れるほどに」
「麒族? ああ、たまにお前が言ってるアレか」
「この町に麒族が侵入するのは七年ぶりだ……」
「まずい状況なのか?」
「美鶴御前の張った結界にほころびが生じるはずがないんだ。内側から崩さない限り」
「なんだそりゃ。結界を壊す裏切り者がいるみてぇな話だな」
「本当の黒幕――真の犯人捜しは骨が折れそうだ。だが対症療法ならやれないこともない」
「対症療法?」
「この町に侵入してきた麒族を、片っ端から割ってまわるのさ」
「へん!」と、五郎が鼻の頭を指でこすった。
「俺に言わせりゃ、そっちのが正攻法だな。まかせとけ死ノ儀、お前が存分に戦えるように、得物をたっぷり揃えといてやる」
「野球部から金属バットを拝借するってのなら、無しだぞ」
「うぐ……固いこと言うな。この世の平和を守るんだ。金属バットも本望だろうよ」
そう言うと五郎は親指を立ててみせる。
『それにしても、朝っぱらからこれじゃ、夜が思いやられるぜ……』
流一郎は、粉末になって風に舞う「かつて七ツ怒鬼だったもの」に目をやった。
元来、麒族が活動するのは夜だ。それなのに、この七ツ怒鬼は陽の光のもとで流一郎に戦いを挑んできた。人間が夜の世界を侵略したように、麒族もまた昼の世界に攻め入ろうというのだろうか。昼夜を問わずに麒族が全面侵攻してきたら、攻類神道はそれを撃退することが出来るのだろうか。
時代は移る。長年の均衡は崩れ去ろうとしているのかもしれない。
そんな中で、流一郎が鬼包丁なしで勝ち続けるのは、とてもじゃないが無理だろう。
今までは亡霊人たちを金属バットで秒殺してきたが、相手が麒族となれば話は変わる。歴代の風月丸がそうだったように、得物として鬼包丁を手にするのは必須条件だ。
だが、第三十八代風月丸――死ノ儀流一郎は最悪のパターンも考えなければならない。
それは「新しい鬼包丁が存在しない」という可能性だ。
刀鍛冶であった宵子の両親は火焔童子に焼き殺されて、両手首の骨しか残らなかったのだという。そんな状況で当時一〇歳の宵子が鬼包丁を受け取り、どこかへ隠す余裕があったとは到底思えない。そもそも彼女は鬼包丁のことを知らないと言っているのだ。嘘をつくはずもないだろう。
過去に鬼包丁を持たない風月丸が存在したのか、流一郎は寡聞にして知らない。
だが、鬼包丁を持たない風月丸が無力な存在であることは誰の目にも明らかだ。
そうなれば、清風荘の八畳間に直立する鬼包丁――あのボロボロの鬼包丁こそが、この世で最後の鬼包丁ということになる。それを流一郎が振るうことは、必然の流れのようにも思える。
もしそうだとすれば、抜くべきときは「今」ではないのか?
時間が経てば経つほど、麒族たちの脅威は舞鶴市を蝕んでいく。
もはや、餓鸞童子一柱の災いを超える危機が、この町を飲み込もうとしているのだ。
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