第02話 始業前の戦い

 遠く雷鳴が轟き、戦いの始まりが近いことを知らせている。

 自宅を出発してジャスト六分後、流一郎は舞鶴学園の校門を通過した。そのまま職員室へ直行する。

 流一郎の目当ては姫野先生だった。彼女なら、麒族が学園に侵入してもその詳細な場所を察知出来るだろう。こんな早朝から登校している確証はないが、彼女のことだから、意味もなく学園に居座っているだろうと流一郎は予想していた。

 職員室の引き戸に手をかける。

 ガラガラガラガラガラ――スムーズに開いた。すでに登校している教師がいるということだ。それが姫野先生である確率は十分に高い。

「ちょうどよかった、風月丸」

 入室するや、姫野先生から声がかかった。

 彼女が流一郎をこの名で呼ぶときは、周囲に誰もいないことを意味する。

 それにしても、ちょうどよかったとは?

「千賀な――」

「え?」

「私立探偵の千賀だよ。あいつはどうにかならんのか? さっきも職員室に侵入してきたぞ、私がいるとも知らずに。もちろん追い返してやったがな」

 麒族の秘密を求めて、学園にまで侵入していたとは。流一郎が思う以上に、千賀俊作という探偵はアグレッシブな存在のようだ。

「今のところは無害な相手だ。適当にあしらっておけばいい」

「そうかな? 麒族について知りすぎているようにも思うが――」

 姫野先生は氷結の笑みを浮かべた。

「ちょっと待った。それどころじゃないんだ」

「皆まで言うな、分かっている。結界が破られた件だろう? だが、所詮は下っ端の三流麒族だ。お前の金属バットでも、気合い次第で割れるだろう」

「いいのか?」

「何がだ?」

「雑魚とはいえ、麒族を割るんだぞ」

「今さら人間のセンチメンタルを持ち込むな。白磁の鬼を凍らせたこと、忘れたか?」

「それじゃあ、今、三流麒族はどこにいる? 出来れば生徒たちが登校する前にカタを付けたいんだ」

「まぁ待て、今、探る――」

 そう言うと姫野先生は、こめかみに人差し指を立てて集中した。

 前に聞いたことがある。人間の五感以外の感覚器で同族を探知出来るのだという。

「ふむ。旧校舎裏の焼却炉付近だな。ダイオキシンを摂取して喜んでいるようだ――さすが下賤の種族だ」

「助かった。礼を言う」

「なぁに、いつでも来い」

 流一郎はきびすを返して駆けだした。

 ガラガラガラガラガラ――。

 引き戸を開けて職員室を飛び出ると、そこで女子生徒と鉢合わせた。

「きゃっ!」

「時女!? どうしたんだ、こんな早い時間に」

「凛さんから電話があったの。麒族が結界を破ったって」

 流一郎は面食らった。情報伝達が早いのはいいことだが、宵子の行動がここまで迅速だとはさすがの凛も予想していなかっただろう。場合によっては流一郎よりも先に登校していた可能性すらある。それは大変危険なことだ。

「麒族はすでに学園内にいる。きみは職員室で姫野先生のところにいろ」

「いやです」

「どうして!?」

「私は風月丸の従者に任命されたの。任務には忠実でありたいわ」

「従者だからといって実戦に同行する必要はないんだがな」

「でも、死ノ儀くんは私に何かを思い出して欲しいんでしょう?」

 痛いところを突いてくる。

 確かに、宵子にも戦いに身を投じてもらうしか、解決策はないのかもしれない。

「お願い。役に立ちたいの」

「仕方ない、ついてくるといい。ただし離れて観戦だからな」

 そう言って二人は廊下を歩き出した。

「どこへ向かうの?」

「旧校舎裏の焼却炉だ。ダイオキシン好きな三流麒族が餌をむさぼっているらしい」

 職員室のある主校舎から旧校舎までは、木造の古い廊下を進むことになる。

「鬼包丁なしで大丈夫? 昨日の白磁の鬼には、金属バットはなかなか効かなかったじゃない」

「だからと言って、俺の部屋の鬼包丁を抜くわけにはいかないだろう」

「それはそうなんだけど」

「ずっと考えていたんだが」

「なあに?」

「実は新しい鬼包丁のありかが、きみに託されているということはないだろうか?」

「急にそんな……私、両親が刀鍛冶ってことすら知らなかったのに」

「きみの両親が鬼包丁を遺さずに亡くなったとは到底思えないんだ。希代の名匠と謳われた二人だから」

「そりゃあ、思い出せるものなら思い出せるよう努力はしてみるけど、両親が死んだのは子供の頃の話だし……」

 宵子が腕組みをして考え込んだのと同じタイミングで、流一郎が金属バットを腰だめに構える。その気迫は宵子にも瞬時に伝わった。

「えっ!? 居るの!?」

「きみはこのまま引き返せ!」

「モウ……オソイ!」

 天井から闇が染み出てきた。黒曜石こくようせきのようなそれは、俗に「闇雲やみくも」と呼ばれる三流麒族だった。闇雲は、この世のネガティブなエナジーが集合したもので、高い知性を持つには至らなかった反面、ダイヤモンドより硬いボディを手に入れることに成功した変わり種である。

「これも……麒族」

「三流だがな」

 闇雲は、天井からバラバラバラと欠片になって舞い降りると、廊下一面に散らばった。

 そして次の瞬間、一気に欠片が集合すると猛犬のようなシルエットを形作る。闇雲がこのような戦術をとるのを、流一郎は見たことがない。

「どこで覚えた芸当か知らないが、虎や熊になられるよりはマシだったぜ」

 流一郎は漆黒の猛犬に向かって一気に駆けだした。対する猛犬も飛ぶように跳ねる。

「秒殺!!」

 ガキン!

 予想以上の闇雲の「重み」に、流一郎の金属バットは弾かれた。それでも手を離さなかったのは流一郎の意地だ。

「死ノ儀くん!」

「いいから下がってろ!」

 間髪を入れずに闇雲が牙をむく。作り物の犬人形のような単純な動きしかしないが、ダイヤモンドより硬い牙に捉えられたら一命を落としかねない。

 シンプルだが厄介な相手だ。

 流一郎は勝機がどこにあるのかを分析していた。まともにぶつかっても、闇雲のダイヤモンドを超える硬さと、金属バットの超々ジュラルミンでは、こちらの分が悪い。いかに相手の脆い部分を打ち砕くかが勝利の鍵になる。

 猛犬のシルエットから推測される弱点は首筋だ。だがこちらに向かって突進してくる猛犬の首を叩き落とすのは、射られた矢を打ち落とすように難しい。

 猛犬が絶え間なく突撃を繰り返してくる。一方の流一郎は金属バットでそれを防ぐだけで精一杯になっている。

「死ノ儀くん――!」

 見守る宵子もまた苦悩していた。焦燥で胸がうずく。

 少しでも流一郎の助力になれるのならなりたい。だが今の宵子には、流一郎の勝利を祈ることしか出来ないのだ。緊張と高ぶりのせいで過呼吸になった宵子は、壁にもたれかかるようにして、何とか正気を保っていた。

 それに気付いた闇雲は、すぐさまターゲットを宵子に変更した。弱っている者を先に攻撃する。これが三流麒族の浅はかさである。闇雲は悩むことなく宵子に向かって飛んだ。

 流一郎はそれを見逃さなかった――闇雲は自分の脇をすり抜けて宵子に迫ろうとしている。

「秒殺!!」

 流一郎の金属バットが漆黒の猛犬、つまり闇雲の首筋を捉えた。激しい破砕音と共に、闇雲が粉々に砕け散る。その破片は宵子の全身にも降り注いだ。

「時女! 大丈夫か!?」

 流一郎はフラフラとした足取りの宵子に駆け寄った。

「大丈――」と言いかけて宵子が崩れ落ちた。過呼吸での失神だが、流一郎はそれが闇雲の破片の霊障れいしょうだと誤解した。宵子に駆け寄って抱き起こすと、全身にまとわりついた破片を急いではたき落とす。

 そこに姫野先生が現れた。

 白磁の鬼のときと同様に、戦局を鑑みて助太刀にやって来たのかもしれない。

 姫野先生は、宵子を見るやこう告げた。

「違うぞ、風月丸」

「えっ」

「気を失ったのは、おそらく過呼吸のせいだろう――大丈夫、今は正常に戻っている。念のため保健室で安静にさせよう。担げ、風月丸」



 数分後。宵子はベッドの上で目を覚ました。

 また天井だ――と宵子は思った。

 首を巡らすと、保険医の椅子に腰掛けた姫野先生の姿がある。その向こうには、さまざまな市販薬を並べた棚が二つ並んでいた。

「目覚めたな、時女宵子」

「ここは……保健室?」

「正解だ。認知機能に障害が出なかったようで何よりだ」

「死ノ儀くんは、確か……勝った?」

 宵子はまだぼんやりとしている。

「私は……倒れた?」

「ああ。慣れない戦いで気疲れしたんだろう。とりあえず今日は休め」

「はい――あの、でも死ノ儀くんが」

「相手が三流麒族なら、今の風月丸でも大丈夫だ」

 ズキン、と宵子の胸がまた痛んだ。

「先生も、死ノ儀くんのことを風月丸と呼ぶんですね」

「ああ、あいつの二つ名だからな」

「先生も美鶴神社にご縁が?」

「ご縁……か。腐れ縁と言ったほうがいいかもしれんな。美鶴御前とは古くからの顔見知りだ」

「そうでしたか。先生は色々ご存じなんですね」

「自慢するほどの知識ではないさ。単にお前よりは長く生きているというだけの話だ」

 その時、遠くで窓ガラスが割れる音がした。流一郎が戦っているのだ。

「もう一柱いたか……相変わらず派手にやっているようだ。いやそれとも苦戦しているのかな」と姫野先生は愉快そうに笑った。

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