第五章『故郷なき侵略者』

第01話 エマージェンシー

 清風荘二〇一号室、死ノ儀流一郎の部屋。

 現在時刻、早朝六時四五分。

 本来ならあと一五分で目覚まし時計のアラームが鳴るはずだった。

 流一郎はそれよりも早く自然に目覚めると、部屋の壁に身を委ねて座り込み、畳の中央に屹立する鬼包丁をじっと見つめていた。すべては、明け方からこの町に漂い始めた「死の匂い」に反応してのことだった。この雰囲気は危うい。何かよくないことが進行している匂いだ。

 ジリリリリン、ジリリリリン。

 黒電話が耳障りなベルを鳴らした。

 流一郎は落ち着いた物腰で受話器を取る。

「死ノ儀だ」

「おはようございます、風月丸様――」

 受話器から聞こえてきたのは橘凛の声だったが、明らかに声音がこわばっている。

 だが全てを察している流一郎はあわてることなく、凜の次の言葉を待った。

「――緊急連絡です。新たな三流麒族が外部から舞鶴市に侵入した模様。現在、舞鶴学園を目指すコースを取っています」

「麒族? 町の外部から? 美鶴神社の結界は機能していないのか?」

「今はまだ解析中です。詳細は割愛しますが、どうやら結界に綻びを作ったのは餓鸞童子の亡霊人たちのようです。例の魔方陣がおそらく……」

「あれは、餓鸞童子の復活じゃなく、舞鶴市の結界を解くためのものだったのか――!?」

 ここで初めて流一郎の声が大きくなった。

 先代の鬼包丁に、絶対零度の凍刻の陣で動きを封じられてもなお、餓鸞童子は七年間かけてようやく一つの呪法を発動させたのだ。それは一流麒族である餓鸞童子の執念に思えた。

「やってくれたな、餓鸞童子!」

 流一郎は部屋の中央で立ちつくす鬼包丁に向かって毒づいた。

 そして取り急ぎ学生服に着替えると、金属バット片手に部屋の外へ飛び出す。

 三つの錠前を締めるのが地味に面倒くさい。

 それでも過去最速タイムで施錠を終えると、軋む鉄階段を三段飛ばしで下りていった。

「――――!!」

 すると、招かれざる客がそこにいた。

 私立探偵・千賀俊作である。

「よう、死ノ儀くん。あわててどうした?」

 その足もとにはタバコの吸い殻が何本も散らばっている。ずいぶんと待たせてしまったようだ。

「今はあんたに構っているヒマはない」

「時女宵子と接触したようだな」

「…………」

「まぁ、そんな顔するなって。彼女も麒族被害者だから、俺はよく知ってるんだ」

「麒族? 何だそれは?」

「とぼけなくてもいい。調べはちゃんとつけてある――美鶴神社のこともな」

「オカルトは信じないんじゃなかったのか?」

「程度にもよるさ。あの子の両親は、お前たちの言う麒族とやらに焼き殺されて、手首の骨しか残らなかった――そうだろ? 当時の報道では放火だとされていたが、真実はそうじゃない」

火焔童子かえんどうじの仕業だ」

 いきなりの結論に目を見張る千賀。息が荒くなる。

「そう、それだ。それが麒族だ」

「あんたの家族を殺した餓鸞童子がらんどうじとは別者だ。あんたにとっては、あまり重要じゃないと思うが?」

「まあ、な。だが探偵の血はうずく」

「好奇心が身を滅ぼすこともあるぞ」

 心からの忠告だったが、千賀は意に介さない。

「指と指を絡めあった――」

「……?」

「時女宵子の両親の遺骨さ。指と指を絡めあった手首の骨だけを、遺骨として渡されたそうじゃないか。それ以外は灰にすらならなかった。彼女は、いや彼女も、麒族への復讐を誓ったのかな?」

「さあな。だがもしそうだとしても、復讐は無理だな」

「どうしてだ?」

「一流麒族への復讐を誓ったところで返り討ちにあうのが関の山だ。核兵器を落としても奴らは死なないだろうから」

「フッ……ひでえ化け物だ。人類最強の武器も効かねえ、か」

 千賀は皮肉を込めて笑い、さらに言葉を続けた。

「じゃあ、銀の銃弾ならどうだ?」

「銀の銃弾?」

「純粋な銀かどうかは俺も知らねえが……そういう特別製の武器が、お前らにはあるんだろう? ドラキュラだって殺せるような武器がさ」

「ずいぶんと買い被ってくれる」

「そうでもしないと、説明のつかないことだらけでな。一晩中考えていた」

「その調子で、俺の邪魔をしないでもらうと助かるんだが」

「つれないこと言うな。それと俺の仇討ちはまた別の話だ」

「……そうだな」

「ところで――」と千賀は話題を変えてきた。

「当の餓鸞童子の行方はつかんでいるのか?」

「言えるわけがないだろう。あんたのような一般人を危険にさらすわけにはいかない」

「こっちはとっくに当事者のつもりだがな」

「俺は今、急いでるんだ。井戸端会議はここまででいいか?」

 すると千賀はあっさりと肩をすくめてみせた。

「ああ、十分だ。ありがとよ」

 その言葉を聞くや、流一郎は学園へ向かって駆けだした。

 だがすぐに、千賀が大人しく引き下がったことに違和感を覚えた。

 思えば、自宅の前で千賀に遭遇したのは初めてだ。相手は探偵だから、こちらの個人情報を調べることくらいお手のものだろうが、わざわざ流一郎が外出するまで外で待っていたことが気になる。

 流一郎は想像した。

 今ごろ千賀は、流一郎の部屋――二〇一号室に侵入しているのではないだろうか?

 話を聞く限り、彼は非合法な手段も取るタイプのように思えた。必要な情報を得るためなら、不法侵入くらい厭わないに違いない。

「まあ、いいか――」

 流一郎がそう考えるのも当然ではある。

 部屋に侵入されたところで、千賀の目に鬼包丁は映らないだろう。渡殺者でない彼にとって、麒族との戦いはやはり異世界の話なのだ。そこにあるのはせんべい布団といくつかの文庫本だけ――単なる貧乏生徒の一室に過ぎないと判断されるに違いない。千賀はあくまで一般人だ。これ以上関わるのは、彼にとってさらなる不幸を呼ぶ。

 麒族との戦いは、そう運命づけられた者だけが背負えばいいのだ。

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