第03話 清風荘で待つもの

 上りよりも、下りのほうが楽なのは言うまでもない。

 だがそれは、あくまで比較してみればの話であって、下りの石段であってもその段数が尋常じゃなければ大層疲れるものだ。

 正門のところで橘凛と別れ、長い石段を流一郎と宵子が下りてきたのは、世界が夕焼け色に染まった頃だった。普段から戦いに身を置いている流一郎にはそれほどでもなかったが、主にインドア派の宵子にとってこの石段は拷問に近いものがあった。

「こんなに疲れるとは思わなかった……」

 すでに宵子はノックダウン寸前である。

 それを苦笑しながら見ていた流一郎は、何気ないタイミングでこう言った。

「美鶴御前と会ってみてどう思った?」

「うーん……ちょっとがっかり」と宵子は赤く染まった夕焼け空を見上げる。

「がっかり?」

「うん。がっかり。もっと私の両親について、話が聞けるものと思っていたから」

「そうか……」

「死ノ儀くんはどうなの? あんなに頑張って戦っていたのに、それほど褒められてる感じじゃなかった。悔しくない? 私は何だか悔しい」

「美鶴御前はいつもあの調子だからな」

「そうなの?」

「御前様には全てが見えているのさ。見えているけれど自分では決して手を下さない」

「何それ。それってずるい」

「御前様が直接干渉すると、全てが御前様の意のままになってしまうからな。強すぎるんだよ。強すぎるから、自ら動くと周りに大ダメージを与えてしまう。それを防ぐために俺のような渡殺者を使役して、事にあたらせているんだ」

「ふーん……何だか面倒な話だね」

「だがそれで八〇〇年やって来たんだ。今さら仕組みは変えられないさ」

「八〇〇年?」

「美鶴御前が、この町を治めている年数さ」

「は!? それって何かの比喩?」

「比喩も何も、そのままの話だ」

「ウソでしょ!?」

「美鶴御前の年齢は八〇〇歳。その間ずっと美鶴神社の――いや、その上部組織である攻類神道のリーダーであり続けた。冗談で言ってるんじゃないぞ。事実、俺が小さかった頃も、美鶴御前は今のままの姿だったからな」

「二十代後半くらいに見えたけど……」

「あと何百年生きるんだろうな。もしかすると、人類が滅亡しても生き続けるのかもしれないな」

「それはそれで寂しい話だね」

「美鶴御前本人は、そういう感傷から解脱してるだろうけどな。考えてもみろよ、八〇〇年生きたんだ、一体どれだけの親しい者を見送ってきたのか」

「そうなんだ……」

「時女」

「何?」

「今から時間を作れるか?」

「一人暮らしだから、別に門限はないけど……」

「じゃあ、俺の部屋に寄っていかないか」

「えっ!? ちょっ……ちょっと待って。それこそ何かの比喩?」

「そのままの話だよ。俺の部屋できみに話したいことがある」

「ちょっと――!」

 宵子は、またたく間に赤面した。

 一昨日の夜、偶然知り合ったばかりの死ノ儀流一郎。その彼が、夜も迫ろうという時間に自分の部屋まで来いという。伏見小夜子の自宅を訪れるのとはワケが違う。宵子にそのような経験はないが耳年増ではあったので、その申し出を軽く受け止めることは出来なかった。

 考えるな、感じろ――否、考えろ、時女宵子。

「あっ、そうか! 誰か他の人もいるんだね。頂五郎君とか!」

「なんで五郎を呼ぶんだよ。俺ときみの二人だけだ」

「どうしよう……」

「何か不埒なことを想像しているのなら、それはきみの考えすぎだからな」

「そんなこと、考えてませんッ」

「美鶴御前が言っただろう、時女宵子を俺の従者にすると」

「えっ……」

「その意味が、きみにも少し分かるかもしれない」

 だったら最初からそう言ってよ、と宵子は思った。



 夕焼け空はすでに紺色に染まり、夜の帳が下りようとしていた。

 流一郎の部屋は、美鶴神社から歩いて三〇分ほどの場所にあった。

 それは築年数が数十年を超えたオンボロアパートで、名を清風荘せいふうそうと言った。確かに女の子を連れ込むような部屋ではないかもしれない。錆びた鉄製の階段を軋ませながら二階へ上ると、流一郎と宵子は二〇一号室のドアの前に立った。表札には「しのぎ」と平仮名で書いてある。

「死ノ儀と、そのまま漢字で書いたら物騒だからな」と流一郎。

 宵子は、幼稚園の頃に「わたしは、よいこです」と名乗ったら大人たちに困惑されたことを思い出した。

 流一郎はポケットから三本の鍵を取り出した。

 二〇一号室のドアをよく見ると、ドアノブの他にも二か所、錠前が増設されている。

「厳重だね」

「空き巣が間違って入ると困るだろうからな――」

 そりゃ空き巣に入られれば誰だって困るだろうと、宵子は心の中でツッコんだ――が、今、流一郎は何と言っただろうか?

『空き巣が間違って入ると困るだろうからな』と言ったのだ。困るのは空き巣のほうなのだ。

 ガチャ、ガチャ、ガチャ。

 三つの錠前を手慣れた感じで解錠すると、ドアがギィィと軋みながら開いた。

「おもてなしは何も出来ないが、とりあえず入ってくれ」

「おじゃまします……」

 宵子は玄関で靴を脱ぐと、細い廊下を進んだ。この奥に部屋がある雰囲気だ。

 明かりはまだ点いていないので室内は暗い。

 しかし、流一郎は一向に明かりを点けようとはしなかった。

「そのまま奥の部屋に進んでくれ」

「うん、わかった」

 まさか冗談で明かりを点けないのではあるまいし、電気代を未払いで止められたということもないだろう。このままで、この暗い状況のままで入室することに意味があるのだろうと宵子は察し、流一郎の言うことに従った。

 足下を確かめながら部屋に入ると、青白い光が宵子を出迎えた。その八畳間全体が、ぼうっとその光に照らし出されている。

「何これ……刀……?」

 そこにあったのは一振りの日本刀だった。

 八畳間の中央――畳に深々と突き刺さって直立し、青白い光を放っている。

 それはまるで伝説の聖剣エクスカリバーのようであった。

「やっぱり、きみにも見えるんだな」と流一郎。

「やっぱりって、これが見えない人なんているわけ?」

「渡殺者以外の人間でこの刀が見えたのは、時女――きみが初めてだ」

「うそっ」

 にわかには信じられないことだった。

 目の前の刀が幻影のようにぼやけているならまだしも、はっきりと存在感をもってそこに立っているのだから、これが見えない人間がいるなんて宵子には到底意味が分からなかった。

「これが麒族を打ち砕く銘刀、鬼包丁だ――そしてここは、俺の両親が死んだ場所でもある」

 そう言うと流一郎は部屋の明かりを点けた。

 ジジッ、とグロー管の音がして、数秒後に蛍光灯が点灯する。

 室内が明るくなっても、鬼包丁は部屋の中央に直立していた。さすがに青白い光は弱すぎて見えなくなってしまったが。

「鬼包丁……死ノ儀くんの両親が亡くなった場所……」

 宵子は、流一郎が言った言葉を繰り返した。

餓鸞童子がらんどうじという麒族がいる。極めて高い能力を持つ厄介な相手だ。俺の両親は、その餓鸞童子をこの部屋まで追い詰め、ここで死んだ」

「……負けちゃったの?」

「いや、命と引き替えに、餓鸞童子をここに封じた。凍刻の陣といって、敵を絶対零度に凍らせてその時間さえも止めてしまう呪法だ。ここに立つ鬼包丁は、その凍刻の陣を封印するお札のような役割を果たしている」

「じゃあ勝ったんだね」宵子の表情は神妙である。

「だが、凍刻の陣は永遠に続くものじゃない。あれから七年経って、刻を止めるのにも限界が近づいている。いつかこの鬼包丁を引き抜いて封印を解き、餓鸞童子を改めて倒さなければならない」

「それが風月丸としての宿命?」

「そうだ」

 宵子は恐る恐る鬼包丁に近づいた。

 刀身の銀色は、テレビや書物で見たような一般的な日本刀よりも強く輝いて見える。それがこの鬼包丁の特別な存在感を醸し出していた。宵子は寡聞にして知らないが、使われている鋼が一般的なものとは異なるのだろう。

「まがつがねだ――まがつ鋼だけが麒族を割ることが出来る」

「まがつ鋼……でも、ずいぶん刃こぼれしてるんだね。これで戦えるの?」

「よく気付いたな。さすがだ。しかしこの鬼包丁が最後の一振りだ――今のところは」

「今のところは?」

 その宵子のリアクションに、流一郎は落胆した表情を隠さなかった。

「きみは両親から本当に何も聞かされていないんだな。きみの両親は腕利きの刀鍛冶だった。この鬼包丁も、きみの両親の逸品だ」

「まさか! 私の両親は外資系の企業に勤めるサラリーマンで――」

「だったら出張も多かったんじゃないか? その行き先がこの舞鶴市だったとしたら?」

「あっ」

「きみを巻き込むまいとして、きみの両親は身分を偽っていたんだろう」

「…………」

「なぜきみは両親の足跡をたどろうとしたんだ? そのきっかけはなんだ?」

「それは……」

 だが、それ以上の答えは宵子から返っては来なかった。

 鬼包丁がブーンと低い周波数でうなる。まるで餓鸞童子が嘲笑っているかのようだった。

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