第三章『麒族(きぞく)』

第01話 流一郎という男

 翌朝。金曜日の午前五時に自宅で目覚めた宵子は、そのまま身支度を始めた。

 登校の準備をするには明らかに早い。しかし、そうせずにはいられなかった。

 昨夜は、私立探偵・千賀俊作の突然の告白に冷静さを欠いた宵子だったが、今はもう両親の死に正面から向き合う覚悟が出来ている。それは一晩中泣き明かしたおかげか、それとも宵子の元来の強さなのか――。

「行ってきます」

 宵子は誰もいない部屋にそう告げると、舞鶴学園に登校するためにマンションを出た。

 さすがに六月ともなると、早朝でも空気は熱を帯びていた。汗をかくほどではなかったが、湿気が肌にまとわりつくのが感じられる。

 宵子の自宅から舞鶴学園までは、徒歩で二〇分くらいの距離がある。

 決して長い時間がかかるわけではないが、それでも宵子の気持ちを整理するには十分な長さだった。校門を通過する頃には、宵子はこの町にやって来た初心を思い出していた。

 両親の死の真相を知る。

 それだけだ。彼女の望みはそれだけなのだ。

 裏玄関の靴箱エリアで上履きに履き替えると、まっすぐに二年A組の教室へ向かう。

 階段を上って三階へ――そして右手へ曲がって一番奥が二年A組の教室だ。

 ガララララララ。

 教室の引き戸を開けると、意外なことに室内は無人ではなかった。

 窓際の一番後ろの席――そこに一人の男子生徒の姿がある。

 死ノ儀流一郎。

 物憂げに窓外を見つめている流一郎だったが、宵子が入室したことに気付いていないはずはないだろう。昨日のディスコ「ケイオス」での顛末を知りたかった宵子は、自分の席に鞄を置くと、流一郎に近付く。

「おはよう」

 宵子は努めて平静さを装った。流一郎が宵子に視線を向ける。

「……昨日は済まなかったな。危険な目に遭わせてしまって」

「気にしてないよ。あれは私が無理矢理ついていったからだし、自業自得。それよりありがとう、その、伏見さんの家に連れて行ってもらって」

「俺は伏見小夜子に連絡を入れただけだ。礼なら彼女に――いや、きみのことだからもう済ませてるな」

 そう言いつつ、流一郎は視線を窓外に戻す。

「困ったときには、いつも伏見さんに?」

「ああ。伏見家は、この町では一般人代表ってことになっているからな」

 宵子はその言葉に些細な違和感を覚えた。

「…………」

「どうした?」

 流一郎は視線を窓外に向けたまま問いかけた。

 宵子は堰を切ったように質問を投げかける。

「麒族って……麒族って何? 亡霊人とはどう違うの? 惹麒空間って? あんな不思議な術を使う相手と、死ノ儀くんは戦っているの?」

「一気に来たな。質問は一つずつにしてくれ」

「じゃあ、まず、麒族ってなに?」

「麒族の定義は今でも議論が絶えないが、俗な言い方をすれば怪異――妖怪の類いだな。人間の天敵としてこの世に設定された存在だ」

「人間の天敵……この世に設定……?」

「麒族と人間が出会えば、即、殺し合いだ。天敵で間違いないだろう」

「全然知らなかった……そんなのが世の中にいるなんて、学校じゃ教えてくれなかった」

「この町以外じゃそうかもな」

「でも……」

「生徒手帳はもう見たか?」

 うなずく宵子。

「亡霊人のことなら載ってただろう? 秘密にするより公表しておいたほうが被害も少なくて済むからな。例えば地方によっては熊が町中に出没する事件だってあるだろう。土地が変われば脅威が変わってもおかしくはない」

「それは、そうだけど……あっ、でも、麒族のことは載ってないよ」

「色々あるのさ。事情ってヤツが。真実を告げることだけが、いいこととは限らない」

「何か矛盾してる」

「確かにな。正解も不正解もない話だ」

「麒族のことを隠しているのは、もしかして美鶴神社の差し金?」

「そうだ」

 宵子としてはカマをかけたつもりでいたが、流一郎はあっさり認めた。

「私がお世話になる美鶴神社は、麒族とどういう関係なの?」

「麒族討伐組織。それが美鶴神社の実態だ」

「麒族の討伐……」

「組織の正式な名前は攻類神道こうるいしんとうと言う。美鶴神社は日本における麒族討伐組織の総本山だ」

「日本における? じゃあ、そういうのが世界中にあるってこと?」

「全容は俺も知らないが、世界中の組織はアリストクラート機関が束ねている。攻類神道はその日本支部のようなものだ」

「麒族は……世界中にいる?」

「そりゃそうだろうさ。民間伝承の中に、怪異が登場しない土地なんてないだろう?」

「それもそうか……」

「それより、いいのか?」

「えっ?」

「俺と話しているところを見られたら、時女もクラスの除け者にされるぞ」

「そんなの慣れてる。死ノ儀くん、自分だけが孤独だなんて思わないで」

 宵子がそう断言した瞬間、教室の引き戸が開かれ、五人の男子生徒たちが入ってきた。皆一様に、流一郎と宵子が膝を突き合わせて話しているのを見るや、気まずそうに視線をそらした。

「死ノ儀と親しいようじゃ、残念女子だな」

 そんな言葉が、ふと宵子の耳に届いた。



 流一郎と宵子が親密にしていたことは、一時限目を終えた休み時間のうちにクラス全員が知るところとなった。他のクラスにも伝播の真っ最中だろう。「悪い噂」は光よりも速く広まるとはよく言ったものだ。昨日の時点では「華やかな転入生」だった宵子は、一瞬にして「クラスの腫れ物」になった。

 だが宵子は、そんなクラスの空気などどこ吹く風だった。

 今までも「両親を火事で失った可哀想な子」と本人の知らぬところで話題になっていた宵子にとって、学校で噂話を立てられるくらい、どうということはなかった。

 時はすでに四時限目。国語の授業中。流一郎と宵子の噂話は静かに盛り上がっていた。

 時折、奇異なものを見るような視線を浴びせられたが、宵子は全く意に介さない。

 隣の席の金髪リーゼントこと頂五郎が、心配そうに「あんま、気にすんなよ」とささやいてくれたので、宵子は「大丈夫」と小さな声で返した。

 宵子はふと流一郎に目をやった。相変わらず、物憂げな表情で窓の外を眺めている。

 思えば、早朝に宵子が登校したときから、流一郎は外を眺めていた。なにか興味をひくものでもあるのだろうか? 次は昼休みだからじっくり訊いてみようと宵子は思った。


        × × ×


 同時刻。舞鶴学園の校門に一組の男女が立っていた。

 バーテンダーとバーテンドレス――学園には不釣り合いな服装の彼らは、昨夜、ディスコ「ケイオス」から逃亡した二人組に間違いなかった。

 二人は何かに誘われるように、二年A組の教室を目指す。

 惨劇が近付いていた。

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