第05話 伏見家、その矜持②

 広大な伏見家の屋敷内を案内され、ようやくガレージにたどり着く。そこはガレージというよりも自動車整備工場といった規模のもので、ざっと見ただけで三台のリムジンと、二台のワンボックスカー、そして宵子が名前を知らない高級スポーツカーが一台停められている。宵子はそのうちの一台のリムジンに案内された。白いリムジンだった。

 見送りに来た小夜子が後部シートのドアを開けたそのとき、野太い男性の声がそれをさえぎった。

「ずいぶん立派な車庫ですなあ。土地の重鎮ともなるとこれだけの車が必要になりますか」

 素直に感心している様子ではない、何とも慇懃いんぎんな挨拶がガレージ内に響き渡った。声の主はガレージの出入り口に立っている初老の男。そしてもう一人、三〇代とおぼしき背の高い男の姿もあった。

「おやおや、分水嶺刑事と腕利き探偵殿、ずいぶんとお早いお着きですな……これは一本取られました」と谷口。

「正しくは刑事ではなく警部補ですがね……なあに、先ほどは屋敷の前の公衆電話から連絡させていただいたもので。まあ、それでもここまで五分ほどかかりましたがね」

「小細工を弄される」

「ははは、まぁまぁ――さて本題だ、その女学生は何者ですかな?」

「私のクラスメイトですわ。遅くなったので家の者に送らせるところですが……何か?」

「お友達の送迎にリムジンを使うとは恐れ入ります。かねというものは、あるところにはあるもんですなあ」

「雑談をなさりたいのなら、お引き取りいただけますか?」

 小夜子は分水嶺刑事に臆せず言い放つと、いつもの優しい笑顔で宵子のほうを向いた。

「さあ、時女さん、車に乗ってください」

 すると、先ほど谷口に「腕利き探偵殿」と評された男――千賀俊作が声をあげた。

「時女!? あんた、時女宵子か!?」

 ふいにフルネームで呼ばれて、宵子の身体が一瞬固まった。

「俺は千賀俊作、さっき紹介のあったとおり探偵をやってる」

 宵子は千賀の言葉に聞き入っていたが、あらためて小夜子にうながされ、リムジンに乗り込もうとする。

「待ってくれ! 俺はあんたと同じなんだ! 家族を化け物に食われた!」

 その言葉に宵子の全身から血の気が引いた。

 今、目の前の男――千賀俊作は何と言った?

「時女さん、あんたは両親を食った化け物のことを知りたくて、この町に来たんじゃないのか!?」

 確信を持って言い切る千賀に、宵子は動揺を隠せなかった。

 両親が化け物に食われた?

 違う。両親は火事に遭って命を落としたのだ。

 家に火をつけた犯人はまだ捕まっていないが、両親は放火で死んだのだ。

「遺体が見つからなかったはずだ! 当然だよ、化け物が食ったんだからな!」

「やめてください!」

 宵子は両手で耳を塞いで座り込んだ。即座に小夜子が寄り添う。

「そこまでにしていただけますか。風聞で惑わすようなことはご遠慮ください」と小夜子。

「確かに証拠はない。だが時女さん、あんたも勘付いているはずだ、何かがおかしいってことに」

 宵子は耳を塞いだままへたり込んでいる。だが千賀の言葉は、指の隙間を通り抜けて宵子の心に届いていた。

 両親は化け物に食われた――。

「……つっ!」

 宵子の脳裏にフラッシュバックが起こった。

 ディスコ「ケイオス」で遭遇した二人組のバーテンダーとバーテンドレス。

 その開かれた大きな口に並ぶ数十本の牙……まるで人間の姿をしたサメのような異形。

 あのとき、宵子はまさに食われようとしたのではなかったか?

 宵子の全身から力が抜ける。

 寄り添っていた小夜子は、その赤い瞳で千賀を睨みつけた。

「お引き取り願えますか。ここは伏見家の敷地内です。不法侵入で通報してもよろしいんですよ?」

 その気迫は、普段の小夜子からは考えられないほど鬼気迫るものだった。さすがの千賀も一歩退く。が、すぐに気を入れ直し、宵子を問い詰める。

「……ちょっと待ってくれ! なあ、時女さん! あんた自身は分かってるはずだ!」

 再び身を乗り出した千賀を、今度は分水嶺刑事が制する。

「帰るぞ、千賀――」

「!?」

 身内からの撤退宣言に、さすがの千賀もうろたえた。

「ちょっ! 待ってくれブンさん、こいつは重要な手がかりってヤツだ!」

「出直すって言ってるんだ。駄々はよせ」

「ブンさん、あんたも化け物のネタは欲しがってただろう。この子はそれを持ってる」

 すると分水嶺刑事の糸のような目がクワッと見開いた。

「お前、その子の顔色を見ても、まだそのセリフを言えるのか?」

「え?」

「その子は知らんよ。何も知らん。ただ両親を失った悲しみだけを背負っている」

「何だよ、それ……刑事としての、長年の勘ってヤツかい?」

「人としての真心だよ」

「…………」

「千賀、道を踏み外すなよ――それは最後の手段だ」

 分水嶺刑事は千賀の肩をポンポンと叩いた。そして小夜子に向きなおる。

「大変ご迷惑をおかけしたようですな。今回は私どもの勇み足でした。ですがこれも市民の皆さんの安全を思えばこそと、ご理解いただければ幸いです」

 そう言って一礼すると、分水嶺刑事はきびすを返し、ガレージ前から去って行く。

 残された千賀は、「不躾にすまなかった。だが時女さん、きみも俺と同じものを背負ってると信じている。いつか話を聞かせてくれ」と言うと、分水嶺刑事の後に続いた。

 二人の男が去った後も、宵子はしばらくへたり込んだままだった。小夜子はそれを優しく抱きしめる。

「大丈夫ですよ、時女さん。あなたはこの町に来た。それだけでも勇気なんです」

 小夜子の腕の中で、宵子が小さくうなずいた。

 宵子はしばらくそのままでいたが、ふいに身体に力を取り戻すと、すくっと立ち上がった。

「……帰ります。ありがとうございました」

 もう、小夜子も谷口も、リムジンでの帰宅を無理強いすることはなかった。

 歩いて帰宅するまでの数十分という時間が、宵子の心を穏やかにするのだと二人とも分かっていたからだ。

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