第03話 亡霊人の午後①

 全ての授業が終わり、下校の時間。

 宵子の転入初日は、つつがなく終了を迎えた――はずだった。

「死ノ儀、明日から登校するってよ」という声を聞くまでは。

 この舞鶴市には五つの高校がある。だから、彼が現役の高校生ならば、二〇%の確率で舞鶴学園の生徒であると予想はしていたが……まさか同じクラスだったとは。

 死ノ儀流一郎。

 金属バットで亡霊人を割る男子。

 宵子の素性を知っている謎の男子。

 宵子は俄然、高ぶってきた。もちろん亡霊人は恐ろしいけれど、彼がなぜ宵子の素性を知っているのか気になって仕方なかったのだ。彼と再会出来ることに宵子は感謝した。

 だが、クラスメイトたちの反応は、あまり芳しいものではなかった。

「また騒がしくなるなぁ……」

「いい加減うんざりだよ」

「どこかへ転校しちまえばいいのに」

 ネガティブな言葉が飛び交っている。

 それは無理もないのかも知れない。

 舞鶴市に住む人間全員が、亡霊人に関わる人生を送っているわけではないだろう。亡霊人が怪異の一種だとは言え、それを「倒す」ということは「殺す」こととほぼ同義なわけで、それを良しとしない人たちがいることも理解出来る。

 宵子が複雑な思いでたたずんでいると、五郎が「明日から楽しくなりそうだぜ」とつぶやくのが聞こえた。やはりヤンキーともなると、死ノ儀流一郎のような「暴力的存在」に血湧き肉躍るのだろうか。

 ガラガラガラガラガラ――!!

 少し乱暴に、教室前方の引き戸が開いた。居残っていたクラスメイトたちの視線も、おのずとそこに集まる。

「ひっ!」誰かが息を飲んだ。

 はたしてそこに立っていたのは、死ノ儀流一郎だった。

 その右手には、相変わらず金属バットが握られている。学園内でその姿を見れば、野球部員に見えなくもない――などと宵子はくだらない妄想を浮かべる。

 それにしても、明日からの登校ではなかったのか? もう放課後なのに何の用だ? 流一郎の登場に一瞬訪れた緊張と静寂だったが、教室内はすぐに喧噪を取り戻した。

 ただしそれは偽りの喧噪だ。皆、思い思いの雑談をしているように見えて、その五感は全て流一郎に向けられている。明日から登校するはずの彼が何をしにやって来たのか、知りたくてしようがないのである。

 流一郎は、教室内を一通り見渡すと、ツカツカとある男子生徒の前に立ち塞がった。

 何かが起こる予感に、クラスメイトたちが沈黙する。

「そういや、あれ誰だ?」と死ノ儀流一郎を指差し、五郎が素っ頓狂なことを言い出した。

「えっ、あれが死ノ儀くんでしょう?」と宵子。

 すると五郎がイヤイヤと首を振った。

「ちげーよ。死ノ儀の目の前に立ってる相手の方さ。よくよく考えても、あいつが誰だったか思い出せねー」

「うちのクラスの人じゃないの!?」

「つーか、うちの学園ですらねーんじゃねーか?」

 流一郎は金属バットを腰だめに構えながら、目の前の人物に言った。

「わざわざ登校しているとは思わなかったぜ。律儀な奴だ」

 言うや、目の前の男子生徒に向かって、金属バットを勢いよく振り抜く。

「秒殺!!」

 ガシャーーーーン!

 今まで人間だと思っていた何かが、瀬戸物のように割れ落ちた。

 一斉にクラスメイトたちが音の方向に注目する。だがそこにあったのは、流一郎と、床に散乱した磁器の欠片のみである。誰も、殺人? 人体破壊? が為された瞬間を見ていなかった。いや、何がおこなわれたのか、皆、理解しているのかもしれない。知った上で、意図的に見て見ぬふりをしたのだ。

「悪いな。掃除はよろしく頼む」

 流一郎は、誰に言うでもなくそう呟くと、教室を出て行った。

 教室の引き戸が閉じられると、クラスメイトたちは安堵し、再び談笑を始める。

『ええっ! ちょっと待って! ちょっと待って!』

 宵子は心の中で叫んだ。

『たった今まで人間だった存在が、真っ白な磁器――お茶碗の欠片みたいに砕け散ったんだよ? 正しい表現じゃないかもしれないけど「殺人事件」が起こったんだよ? どうしてみんな平気でいられるの!?』

 宵子は「あ、あの……」と一歩前に出てクラスメイトたちに訴えかけようとした。

 それを制止したのは五郎だった。宵子のセーラー服のすそをつまんで自分の方に引っ張り寄せる。

「時女宵子、初めてで驚いただろうが、これはいつものことなんだ。早めに慣れた方がいい……この町は不思議なところでな、ああいう瀬戸物人形がたまに現れるんだよ」

「瀬戸物人形――?」

 いや、違う。決して瀬戸物人形じゃない。あれは亡霊人。床に散らばった磁器の欠片たちは、さっきまで肌つやのよい男子生徒の姿をして、そこの席に腰掛けていた。誰とも会話はしていなかったけれど、みんなの視界には捉えられていたはず。現に五郎も「あれは誰だ?」と訝しんでいたじゃないか。

「まるで人殺しだろ? 死ノ儀は時々ああなんだ。そこらに現れる瀬戸物人形を金属バットで割ってまわるのさ。噂じゃ、あいつの両親もそうだったみたいでな――それでついたアダ名が「殺人鬼の息子」ってな」

 そう語る五郎の表情は落ち着いたものだった。そこに嘘や冗談の気配はない。

 クラスメイトたちは、皆、そういうふうに受け入れているのだろうか?

 白磁の人形が教室に座っていて、不登校気味の流一郎が時折やって来ては、それを金属バットで割る。落ち着いて考え直してみても、趣味の悪い話としか思えない。

『……でも』

 宵子には、クラスメイトたちのように目の前の「事件」をスルーする覚悟はなかった。

 昨夜、自分に危害を加えようとした三名の警察官。あれは確かに人間だったからだ。

 それを流一郎の金属バットが、粉々の磁器へと変貌させた。

『でも……もしかして……』

 宵子は怖ろしい想像をした。

 死ノ儀流一郎が粉々に砕いたモノはやはり人間で、彼の「妖術」か何かによって磁器の欠片に変えられてしまったのではないか――というストーリーだ。これなら、流一郎が「殺人鬼の息子」だと形容されていることも理解できる。

 が、しかし――。

『馬鹿馬鹿しい』

 宵子はそんな自分の妄想を一蹴した。

 だが完全に消し去ることは出来なかった。

 宵子は教室を見渡した。すでに、クラスメイトたちの姿もまばらになっていた。舞鶴学園の生徒たちにとって、本当にこれは日常的なことのようだ。

「そろそろ帰るとするか……じゃあな、時女宵子。お前も早く帰れよ」

 そう言うと、五郎は教室を後にした。

 残された宵子は突然心細くなったが、まだやるべき仕事があった。

 宵子は教室の後ろにある掃除道具入れからホウキとチリ取りを取り出すと、床に砕け散った白磁の破片たちを掃除し始めた。それを横目で見ながら家路につくクラスメイトたちは何人かいたが、「手伝おうか?」と声をかけてくる者は一人も現れなかった。

『私、余計なことをして、明日から無視されたりするのかな……?』

 ふと、そんな寂しい考えが宵子の心に浮かんだ。

 人間の集団は、特殊な存在が混じることを好まない。

 宵子の両親が死んだ後、宵子はクラスの中で「両親を失った子」というキャラクターを得た。いや、得たという言い方は少し違う――そういうキャラを与えられた、押しつけられた。そうやって唯一無二の存在とされることで、どの友達グループにも属さない孤高の存在として祭り上げられた。テイのいい村八分である。

 この舞鶴学園でも、宵子は同じような仕打ちを受けることになるかも知れない。

 だが、かつて人の形をしていた破片が散らばったままの教室を、そのままにして下校するなんて出来なかった。これは心の美意識の問題だ。

 宵子は、白磁の破片をホウキで掃いた。人間一人分の破片は思ったよりも量が多く、手にしたチリ取りでは、あまり役に立ちそうになかった。

 そこに優しげな声がかけられる。

「よいしょっ……と。直接これに捨てた方が早いと思いますよ」

 そう言うと、ある女子生徒がドスンと、青いプラスチック製の大きなごみバケツを宵子のそばまで運んできた。さぞ重かったのだろう、「ふぅ……!」と息を整えている。

「あ、ありがとうございます。確かにそのほうが早いですね」

 宵子はごみバケツを運んできたくれた女子生徒を見やった。

 線の細い顔立ちに桃色フレームのメガネ、長い黒髪はツインの三つ編みにしている。その表情は慈悲の心に満ちていて、宵子を特別視するような雰囲気は一切なかった。

「あの……」

 さすがに転校初日の宵子だから、目の前の女子生徒の名前までは分からない。

 するとそれを察したのか、

伏見小夜子ふしみさよこと申します。よろしくお願いしますね、時女さん」とその女子生徒が名乗った。菩薩のような人だと宵子は思った。

「驚いたでしょう?」

「えっ?」

「さっきの金属バット男子のこと――死ノ儀流一郎くん。いつもあんな感じだけど、悪い人じゃないから仲良くしてあげて」

 確かに驚いた――彼女、伏見小夜子は、死ノ儀流一郎のことを色眼鏡で見ていなかったからだ。それどころか友達付き合いまで提案してきた。宵子は、死ノ儀流一郎のことをまだ何も知らないも同然だが、伏見小夜子にそう言われれば、首を縦に振りたくなる。

 宵子と小夜子は、手に怪我をしないように気を付けながら、白磁の欠片をごみバケツに移していった。もしこれが人間の骨だったなら、きちんとした骨壺に入れなければならない作業だ。

「伏見さんは、この破片を見ても物怖じしないんですね」

「どうして? もともとは人の形をしたものだから?」

「まるで骨を拾っているような気がして……」

「そうね。骨壺じゃなくてごみバケツなのが申し訳ないけど。でも時女さん、あまり深く考える必要はないわ。この欠片たちは亡霊人の残滓ざんしですから。そこに人間の気持ちを持ち込む必要なんてない。思い入れのない茶碗が割れたときのように、粛々と廃棄すればいいの」

 宵子は思わず息を飲んだ。

「すごいです、伏見さん。私はまだそういう割り切りが出来なくて……」

「それで正常よ。これが人間だとしたら遺骨だものね。遺骨には私だって敬意を払うわ」

 遺骨――。

 その言葉を聞いたとき、ズキリと宵子の胸が痛んだ。

 心の奥底に眠っていたはずの淀みが、ぐねりと動いた。

「時女さん?」

「……あっ、ごめんなさい、手を止めてしまって」

 あわてて二つ三つと欠片を拾う宵子に、小夜子が優しく声をかける。

「拾うのはゆっくりで。あわてると怪我をしますよ」

 言われて、宵子は「確かに」と手をゆるめた。

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