第02話 転入生・時女宵子
翌朝、木曜日の八時一五分。
宵子の姿は、舞鶴学園の生徒指導室にあった。
担任を務める姫野先生という女性教師と、個別の面談をおこなうためだ。
姫野先生と宵子はテーブルに向かい合うようにしてパイプ椅子に腰掛けている。
目の前の姫野先生は、黒のストレートロングヘアがトレードマークで、肌は色白、身長は一七五センチほどの長身美人だった。保険医でもないのに白衣を羽織っているが、またそれが大変似合うものだから、美しさが倍増して感じられる。
姫野先生との面談は、主に舞鶴学園への転入手続きについておこなわれた。これはあくまで再確認といったおもむきで、二人で書類がそろっているかのチェックをするだけにとどまった。ものの三分で終わってしまうような作業だ。
「諸々の手続きに関してはこれでいいだろう。何か質問はあるか?」
「いいえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「そうか。ではここからは別の談義をさせてもらおう。このことで、お前の立場が左右されることはないから安心しろ」
「はぁ……」
何とも時代がかったしゃべり方をする先生だ――と宵子は思った。しかしそれが似合っているのだから不思議なものである。宵子の、今ひとつ煮え切らない返事を受け流して、姫野先生は核心を突く質問を繰り出してきた。
「七年前に両親を火事で亡くしたあと、お前はこれまでどこで過ごしていた?」
えっ? と聞き返しそうになった。それはあまりにも直球過ぎる質問だったからだ。
今までの友人・知人たちは、宵子の両親の死については腫れ物を扱うように言及を避けてきた。そのハードルを、姫野先生は軽々と越えてきたことになる。
実直なのか無神経なのか、どちらかなのだろう。
宵子は一息つくと、冷静さを保ったまま、努めてすらすらと答えた。
「最初しばらくは親せきの家を転々と……それも難しくなり、その後は
「そこはよくしてくれたか?」
「はい。一緒に暮らす仲間たちも、スタッフの皆さんもいい人たちばかりで」
「ふむ、そうか――解せんな」
「何がですか?」
語気が荒くなってしまったのが自分でも分かる。崇徳園の人たちを侮辱されたのだと勘違いしてしまったからだ。だが、姫野先生の本意は全く別のところにあった。
「資料によれば、崇徳園は高校を卒業するまで暮らすことが出来るようになっている。それなのに今、二年生の六月終わりに一人暮らしを始めようと思ったきっかけは何だ?」
「あの……実はまだ、自立した一人暮らしをしているとは言えません」
宵子の言葉に、姫野先生は書類をパラパラとめくった。
「まあ、そうだな――結局は、お前の生活費を捻出する組織が、崇徳園というホーム施設から、
「それは――」
どうしてだろう? と、宵子は自問した。
実は宵子自身もよく分からないのだ。崇徳園には何のトラブルも不満点もなかった。それなのに、美鶴神社に「鞍替え」する自分は一体何なのだろう。
「まぁ、いい。その答えはいずれ自分で見つけることになるだろう」
宵子はホッとした。両親の死に関わる問答を続けるのは、正直、まだ辛いものがあるからだ。姫野先生にどんな意図があったのかは分からないが、この話題が早く終わったのは助かった。宵子は小さく息を吐いた。
「それはそうと、美鶴神社へはもう足を運んだのか? まだなら早晩呼び出しがかかるだろう……せいぜい感謝の言葉を並べてくるといい」
「明日にでもお伺いしたいと思っています」
「そうか。ならいい。早いに越したことはないからな」
そう言うと姫野先生はパイプ椅子から立ち上がった。
これで、この面談は全て終了という合図だ。
「ありがとうございました」と宵子も立ち上がる。
「あぁ、そうだ。これを渡すのを忘れていた」
そう言って姫野先生が白衣のポケットから取り出したのは、舞鶴学園の生徒手帳だった。
「じっくり読み込むといい。この学園で生き残るためのイロハが書かれている」
「生き残る……だなんて、そんな」
「そうか? 文字通りに大切なことだと思うがな」
生徒手帳を受け取った宵子は、パラパラとページをめくってみた。初めのほうのページに教職員一覧が顔写真付きで掲載されており、そこには当然ながら姫野先生の姿もあった。
「あっ、姫野先生って、フルネームは「
ネーミングしたのは両親だろうか?
娘に美しく育って欲しいという願いは分かるにしても、「美人」という言葉そのものを名前にするのは、ちょっとリスクが大きいような気がする。
「確かに私は姫野美人だが――それがどうした? 何かおかしな点があるか? 私は美人だろう? お前も宵子――良い子――ではないのか?」
「えっ……でも」
姫野先生の揺るがぬ自信に戸惑いながら、ページを繰る宵子。
その手がぴくりと止まる。
生徒手帳には、亡霊人のページまでそろっていた。
『亡霊人=実在の人間に擬態し、日常生活を送る怪異。美鶴神社の護符で因果を断つことが出来る』
宵子の動揺を感じ取ったのだろう。姫野先生はあえて突き放すようにこう言った。
「この町では信じられないことばかり起こるだろうが、その時は自分の直感を一番に信じろ。考えるな、感じろ――の精神だな」
そう言うと姫野先生はドヤ顔で宵子の瞳をのぞき込んだ。まるで自分発信の名言のような顔をしているが、その言葉が有名な映画の名台詞であることを宵子は知っている。
それを察したのか、姫野先生もそれ以上は粘らなかった。
「さあ、教室に行こうか。そろそろ朝
宵子が転入した二年A組の教室は、新校舎の三階にあった。
生徒指導室や職員室がある旧校舎からは、一階の渡り廊下を使って移動することになるため、意外と往来の便が悪い。
姫野先生との「談義」で時間が押したため、すでに朝HRの時間帯に突入していたが、教室のクラスメイトたちは、未だヤンヤヤンヤと騒いでいた。
ガラガラガラガラガラ――と姫野先生が無言で教室の引き戸を開けると、瞬間、教室には静寂が訪れた。
畏怖。
そうなのである。姫野先生にはどこか人間離れした雰囲気が漂っているのだ。これを本人は「自分があまりにも美しすぎるからだ」と言うかも知れないし――その可能性は多分にあるとは思うが――本能的に相手を緊張させるオーラをまとっているのは間違いない。
教室に入った姫野先生は、宵子を従えたまま、黒板前の教卓まで進んだ。クラスメイト全員からの好奇の視線が、宵子の全身を貫く。
「昨日の午後HRでも話したとおり、このクラスに、今日から新しい仲間が増える」
そう言うと姫野先生は、黒板に自分の名前を書くよう、宵子に促した。
緊張する――宵子はいつも友人たちから、「黒板に書く文字が小さい」と揶揄されてきた。同じ失敗を新しい教室で繰り返すわけにはいかない。ましてや、自己紹介として自分の名前を書くのだからなおさらだ。
大きく、大きく書かなくては。しかし単に大きければいいというわけでもないだろう。
時女宵子。
結局、教室の最後列からだと絶妙に見えにくい大きさで、宵子は自分の名前を書き終えた。
また同じ轍を踏んでしまった。この遠慮がちな性格は一生治りそうにない。
「時女宵子と言います。Y県の桜林高校から来ました。ご覧のとおり黒板に書く文字が小さい私ですが、どうぞよろしくお願いします」
パチパチパチと遠慮がちな拍手が起こった。ああ、自己紹介でスベってしまった。最悪だ。
姫野先生に促されるまま教室の最後列の空席に座ると、左隣の席が明らかに「不良少年」といったおもむきの男子生徒だった。金髪リーゼント、短ランにボンタン型のズボン。ただでさえ緊張しているのに、となりの席にヤンキーが座っているなんて、こんな無下なことはない。
しかし――。
宵子は、はたと思い至った。
この緊張した雰囲気には覚えがある、と。
そう、昨夜のニセ警察官たち――亡霊人が醸し出す雰囲気に似ているのだ。
宵子は、ついさっき姫野先生から受け取った生徒手帳を取り出した。そして亡霊人のページを開く。
『亡霊人=実在の人間に擬態し、日常生活を送る怪異』
実在の人間に擬態するというのはよく分かる。昨夜の宵子も、あの警察官たちが人間ではないと夢にも思わなかったからだ。死ノ儀流一郎が金属バットで叩き割るまでは――。
ということは、今、この教室にも亡霊人が紛れ込んでいるということだろうか?
もしそうだとして、擬態されている本人は、今どこで何をしているのだろう。
「時女宵子、大丈夫か?」
反射的に声のする方向を――左隣を見たら、ヤンキーが話しかけてきていた。
な、何のご用でしょう?
「気分が悪いなら、保健室に行ったほうがいいぜ」
意外と親切な人だった! ごめんなさい!
「ううん、いいの、ありがとう。初めての登校だから、ちょっと緊張してるだけ」
宵子がそう返すと、ヤンキーは大きな口を開けて笑い、こう言った。
「へへっ! てっきり、俺の隣だから嫌がってるのかと思ったぜ」
お察しのいいことで! ごめんなさい!
「俺は
金髪リーゼントのヤンキーこと頂五郎は、そう言うと快活な笑みを浮かべた。
刹那。姫野先生が指で弾いた超音速のチョークが飛んできて、五郎の額に命中する。
「いでっ!!」
「健康優良少女にちょっかいを出すな、イタダキ」
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