第37話 攻防

「ちょっと待て、村瀬のいう事が正しいのか、敷島のいう事が正しいのか俺にはわからない。村瀬は唯ちゃんが好きだから、肩を持っている可能性が高いしな。だが、俺的には唯ちゃんは可愛いから性格が多少悪くてもオッケーだ!」


 阿藤がまた口を挟み、いつもの空気を読まない発言を始めた。


「いや、私はぜんぜんオッケーじゃないんです」


 そう言いつつも唯は性格に関しては悪いかなと思っている。東京に来てからはやたらと保身に回る自分に気づかされた。そのくせすぐにカッとなる。


「ああ、今の冗談だから、俺もおかしいと思っていたんだ。敷島は、唯ちゃんと仲良さそうにしているのに、いっつも唯ちゃんのこと男癖が悪いって俺にこぼしていたから。ほら、女子って裏で悪口言っても表面はなかよくしているじゃん。さから、そういうもんかと思ってた。

 でも噂で、唯ちゃんが井上と二人で遊びに行っているのを見たとか、実は村瀬とつきあっているとか、幸田と二人でカラオケいったとかあったけれど、唯ちゃんは俺の誘いには一回も乗らなかった。俺、金払いいいから、幸田よりはもてると思うんだよねえ。それに唯ちゃん、いつもオールしないし、図書館でよく勉強しているし、ちょっと敷島のいうこと変だなとは思ってた。もしも、村瀬が唯ちゃんと付き合っていないんだとしたら、噂を広めてサークル内の雰囲気を悪くしたのは、敷島、お前だよね?」


 と阿藤がいつの間にかかおりを糾弾する側にまわる。酒をのんでいないせいか頭がいつもより回るようだ。


「あーあ、バレちゃったかあ」

 かおりが笑いながら、あっけらかんと言う。


「嘘だろ、いくら何でも酷いだろ! 唯ちゃんに、謝れよ」

 怒るというより、ぎょっとしたように阿藤が言う。


「あんたもよく言うわね。唯のことも含めてサークルでの噂をスピーカーみたいに垂れ流してたじゃない。あっちこっちで喋りまくって、そのせいで皆がいがみ合ったのよ。ねえ、唯、阿藤の垂れ流した噂で、あんた学生会の女子とかに目をつけられてんだよねえ? だから阿藤も同罪だよねえ? というかむしろ私より酷い」


「え? 俺?」

 阿藤には自覚もなければ悪気もない。


「ねえ、村瀬君。私、いい加減むかついてきたし、時間の無駄だと思うから、もうこれで終わりにしよう。敷島さんがマリヤたちを煽っていたというはわかったし」

 しかし、唯の言葉に村瀬は不敵に笑う。


「まだまだ、これからだ。それで敷島さん、目的は? 人がいがみ合う姿は美味しかったですか?」

 村瀬がそう言った瞬間、かおりの表情がすっぽりと抜けた。


「へえ、あんたか。邪魔してた奴は、全然気が付かなかった。すっかりあんたの好青年ぶりに騙されちゃったよ」


 声のトーンが低くなる。かおりが一歩前へでた。するといきなり空気がずんと重くなり、どろりと澱む。耳の奥でキーンという不快な音が響き、強い圧迫感で唯は膝をつきそうになる。


「ちょっと、敷島、どうしちゃったの? なに村瀬にすごんで……」


 状況をまったく察していない阿藤がかおりに近づく。かおりは無造作な腕の一振りで阿藤を殴りつけた。


 突然のことで唯はびっくりして声も出ない。

 阿藤は吹き飛ばれ壁にぶつかり、いやな音を立ててずるりと床に崩れ落ちた。


「ひっ!」


 唯は驚いて後退りする。


 信じられないくらいの怪力だ。すると村瀬が唯の前に出た。彼はいつの間に長い数珠を取り出していた。

 

 唯はそこで我に返る。


「阿藤先輩!」

 

 思わず阿藤の元へ駆け出した。


「高梨!」

 村瀬の声が聞こえた瞬間、唯は背中をドンつかれ、そのまま転ぶ。


「いたっ」

 膝をすりむき顔を上げると子供姿の小弥太の背中が見えた。唯は小弥太に突き飛ばされたのだ。そして、小弥太は腕を交差にして、敷島の怪力を受け止めている。


「やだ、小弥太!」


 唯が叫ぶと同時に小弥太は、かおりに腹に蹴りを入れ、押し返した。すかさず、村瀬がかおりに札を投げつける。一瞬かおりの動きは止まったが、じゅっと音がしてお札はあっさりと焼け落ちた。


 かおりが村瀬に人間離れした速さで掴みかかる。力は人を越えているのに、妖に変化しない。マリヤは鬼になったのに。それがかえって不気味だ。

 かおりは無表情で村瀬を蹴りつけ、彼は壁に打ちつけられた。


「村瀬君!」

「いいから、高梨、そこの狐とこの状況を何とかしろ!」


 村瀬が叫び、数珠を手に巻き付け経を唱え始めた。それにより、かおりの動きが鈍くなる。何とかしろと言われても……。


「唯、この間と一緒だ。俺が強くなるように祈れ! 名は憶えているな?」


 そうしている間にもかおりが再び村瀬が掴みかかっていく。このままでは彼が殺されてしまう。


 かおりは鬼などには変化しない。たおやかな女性の姿のままで、顔に愉悦の笑みが浮かぶ。人が苦痛が楽しいのだと本能的にわかった。唯の背中は粟立つ。


「唯、気持ちを揺らすな。祈ること、それがお前に出来る最善だ」


 小弥太の声は平板でいつも通り抑揚がない。それが唯を落ち着かせる。


「わかった」


 唯は小弥太の手を取った、その手はやはりこの間と同じように血で汚れていた。さきほど唯を庇って傷ついたのだろう。小弥太は妖だが、流れる血は赤く、体温は温かい。


 唯は一心に祈った。


 ――私のすべてを差し出すから、どうか玲を強くして!


 それと同時に体から、力が吸い取られていく。空っぽになる寸前でぴたりと止まり、それは起きた、目の前には長い銀髪に金色の瞳を持つ美しい青年。

 そしてその手に一振りの刀が出現する。


 かおりは、大人になった小弥太を見て顔を歪め口から牙をのぞかせる。低く威嚇するように唸ると、逃げ出そうとした。しかし、その足元に村瀬が必死でしがみつく。


「おい、狐! さっさとしとめろ!」


 小弥太はあっというまにかおりとの間合いを詰めると刀を一薙ぎした。


 ぶしゅっと血が噴き出しあたりを染める。かおりの上半身がずれ、ゆっくりと腰から上半身が落ちて行く。一瞬で切り捨てられ、驚愕にゆがむ女の顔が傾いでいく。


 小弥太は本当に人を斬ったのだ。


「こ、小弥太……嘘! なんで……なんでよ! あなた、人を……」


「唯、落ち着け、こいつは人ではない」

「へっ?」


 よく見ると噴き出したときは鮮血に見えた血が青黒く飛び散っていた。卵が腐ったような臭いがあたりに充満し、見る間にかおりだったものは黒く醜く老婆のように縮んでいった。


「やだ。もう、まじ……」


 唯は恐怖で腰が抜けた。


「こいつは妖だ。敷島かおりという学生はこの学校には存在しない」

「ええ、もう、どういうことよ……」

 自然と声が震える。よき先輩であったはずのかおりは、人ではなかった。


「人の悋気が好物なんだ。こいつが大学のサークルを利用して嫉妬や妬み人の苦痛を集めて食らっていたんだ」

「そ、そんなあ」


 かおりが妖だったなどと思いもしなかったし、疑いもしなかった。



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