第35話 再びサークル棟へ1

 結局、小弥太が見つからないまま、5限の授業を終えてしまった。


 小弥太を探し求めとぼとぼと夕方の大学構内を歩いていると、

「高梨」

 と名をよぶ不機嫌の声が聞こえた。


 振り返ると、村瀬いた。その腕にはふわふわのフェネックが抱かれている。

 唯は慌てて駆けよった。


「小弥太! 大丈夫? 何もされなかった?」

 小弥太を取り上げると村瀬が、むっとした顔をした。


「お前なあ。学校にペット連れて来るなよ。しかも放し飼いって何なんだ。俺はそいつを保護してやったんだぞ」

「そうなの? 小弥太?」


「子狐にきいてどうする」

 しかし、唯は小弥太が心配でそれどころではない。


「とりあえず小弥太は怯えていないようだから、村瀬君、ありがとう」

「ちゃんと躾けとけよ。俺、弁当半分そいつに食われたんだけど」


「ええ! 何で小弥太、駄目じゃん。ごめん、村瀬君」


 小弥太を叱るが唯の腕の中でしっぽをパタパタとる振るばかり。ふわふわの毛がなんだかくすぐったい。そういえば、朝は子供の姿だったのに、いつ子ぎつねに変わったのだろう。


 唯はいつも持ち歩いている厚手のエコバッグの中に小弥太を入れる。今日はもう逃がさない。小弥太は、やはりまだ子供で油断はできない。


「そうやってマイバッグにいれたりするから、妖狐が我がままになるんだ」


「そんなことないよ。小弥太は義理堅いから、村瀬君もお弁当分のご利益あるよ」


「どうだか……」

「そういえば、あの後、マリヤはどうなったの?」

「生きてるよ」


「無事なの? 学校には戻って来れるの?」

「その心配は必要ない。もう人にはもどれないからね」

 唯は村瀬の言葉に愕然とした。


「そんな、一生あの姿なの?」

「姿が、人ではなくなるということは心も人ではなくなっているってことなんだ。例えば、高梨は人の血が飲めるか?」

「無理」

 唯は即答した。


「そういうこと。普通は飲めない。もう人の心なんか失くしてる。鬼になった瀬戸が高梨に向かってきたのは執念だろ。あそこまで変化してしまったら、人だったころの心なんて残っていないし、記憶だってあやしいものだよ」


「マリヤは、……綺麗になりたかったから血を飲んだんだと思う」

 唯が言うと村瀬が軽く目を見張る。


「わかってんじゃん。血を飲めば美しくなると言って、瀬戸を誑かした妖がいるはずなんだ」

「ひどいことするよね。マリヤはこれからどうなるの?」 

「そんなの司法の問題だろ」

「今までニュースでそんな事件聞いたことがないよ」


「普通の傷害事件として片づけられるんだ。瀬戸に同情している場合じゃないだろう。何件被害がでていると思っているんだよ」


 なんだかスッキリできない事件だ。綺麗になりたいという気持ちは誰でも持っている。マリヤだけ不当な罰を受けている気になるのだ。


 その妖にさえ出会わなければ、人でいられたのに……。


「鬼になるには、越えなくちゃならないハードルがある。自分さえ美しくなれば、何人傷つくこうが死のうが構わないと瀬戸が思ったから、付け入られたんだ」


 唯の心を読んだように村瀬が言う。


「なんでそんなことになっちゃんだろ……」


 小弥太の入ったバッグをそっと撫でた。 


「俺は、これから敷島先輩に話しを聞こうと思う」

「何しに? 事件のこと聞くのならやめときなよ。かおり先輩、疲れ切ってから」

 唯は慌ててサークル棟に向かう村瀬をとめる。


「……そういえば、高梨、学生課で沼って先生のこと聞いてたんだって?」

「聞いたけれど、なんでそんなこと村瀬君が知っているの?」

 唯が訝し気に村瀬をみる。


「いや、高梨こそ、なんで沼先生のこと知っているんだよ」

「ってことは村瀬君も知っているだよね? じゃあ、三田さんにも会ったことある?」

 村瀬が驚いたような顔をする。


「三田ふじ江に会ったのか?」

「あったけれど、それが何? 村瀬君も知っているってことは結構有名人なの?」


「何をのんきなことを言っているんだ。完全にこっちサイドに足を踏み入れたな。まったく、誰に旧棟六号館のことを聞いたんだ?」

 詰問口調で聞いてくる。


「かおり先輩だけれど。こっちサイドって何よ? 幽霊とかいうんじゃないでしょうねえ? ちゃんと足もあったし、会話もしたし……。それにかおり先輩の知り合いだし。脅かすようなこと言わないでよ」


 と唯がいうと村瀬が心底呆れたような顔した。


「なんで、そんなに『かおり先輩』を信用できるんだよ。むしろお前を助けたことのある俺の方が信用できないか?」

「それは……なんでだろ?」


 よくわからないが村瀬はどこか胡散臭い。話しているにサークル棟のエレベーターの前まで来てしまった。


「よかったな。守ってくれる狐がいて」


「まあ、確かにこの子はいい子だけれど。じゃあ、私はここで、今度小弥太が食べちゃったお弁当の埋め合わせはするから」

 といって唯は踵を返す。


「高梨、サークル室まで付き合ってくれ」

「なんで? もうサークルのごたごたはやだよ」

 

 唯はもう関わりたくはなかった。


「この間の貸しがある」

「いま、ここでそれを使うの?」

 というと村瀬が頷く、仕方がない。

 そう言われはついて行くしかない。貸し借りはきっちり清算しておくべきだ。それに、マリヤがああなってしまったことに少し罪悪感を持っていた。


「小弥太、ちょっと待っててね」

 唯は小弥太をバッグから出す。嫌な予感がするから子ぎつねは置いていくことにした。


「おい、なんで狐を置いて行こうとする!」

「は?」

「必要なのは高梨じゃなくてそっちの狐なんだけれど」

「小弥太に何かする気?」

 唯が小弥太は渡さないとばかりに村瀬を睨みつける。


「違う。弁当分のご利益をもらうんだ」

「はい? かおり先輩に会いに行くんじゃないの?」

「そうだよ。人が多い方が安全なんだ。下手な真似はできないだろうからね。今の時間だとあの人、サークル棟に籠っているだろうから、ほら行くよ」

「小弥太、ごめんね。嫌なら帰っていいよ」

 唯は小弥太に話しかけた。


「てか、学校ペット禁止だろ? おまえ、狐連れで授業受ける気だったのかよ」

 村瀬の冷たい視線を感じる。


「うるさいな。さっきから私の質問には何も答えないよね。そっちは質問ばかりしてくるくせに。それに、かおり先輩と何を話したいのか知らないけれど、これでもう貸し借りなしね。あと何の話をするのかは知らないけれど、私はあなたの肩を持たないから」


 

 二人はエレベーターに乗り込み、村瀬は四階のボタンを押した。


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