第5話

「ねえ、ノックしてるんだけど……」


 ベッドの上で悩んでいたら女の声が聞こえてきた。恐る恐るといった控えめなものだ。


 俺は驚いて上半身だけを起こす。


「クソビッ――何か用か。えっと、冴崎さん?」


 油断していた。危ない危ない。面と向かって罵ってしまうところだった。


「ねえ、今なんて言おうとした? 聞き間違えじゃなければクソビッチって言ったよね?」


「……で、用件はなんなんだ」


「答えて。クソビッチって言ったよね?」


 問い詰めるために俺の部屋へと入ってきたクソビッチが見下ろしてくる。中途半端な姿勢で見下ろされている俺は異常なほどの圧に逃げたくなった。


 おいおい、歴戦の猛者かよ。圧で射殺されそうだぞ。


「……服装が悪い。見た目もチャラいじゃないっすか」


 目を逸らし、本音を呟く。敬語になってしまったのは本能が恐れたのか無意識だった。


「これはお洒落だし。てか、こうみえて処女なんだけど。……謝ってよ」


 何の告白だよ。お前の情報なんていらねえよ。


 ちらりと上を見上げれば、クソビッチが怒っているのか泣きそうになっているのか分からない顔をしていた。


 罪悪感が凄い。謝ろう。


「……悪い。クソビッチの見た目で誤解していたらしい」


「クソビッチじゃないし。沙希だから」


「わかった。……で、冴崎さんは俺に何の用なんだ」


「だから、沙希だって。冴崎は旧姓だし」


 俺にどうしろってんだ。名前で呼べってか。お前、分かってんのか。どれだけの難易度だと思ってんだ。そう気軽に呼べたら苦労しねえんだよ。


 俺は陽キャじゃないんだ。名前で呼べるぐらい適切な距離感を掴めていたら、今頃ハーレムでも築いてる。


「江島さんでいいだろ。……めんどくせぇ」


「なんで、優作と同じ名字になったのにわたしだけ名字で呼ばれなきゃいけないの。ねえ、心の中でまだクソビッチって思ってるわけ?」


「思ってないし、わかったから。はいはい、もう何でもいいよ。沙希さんね。これからよろしく」


 問い詰めるような口調に対し、投げやりな態度を取ってしまう。


「……さん付け禁止ね」


「ちっ。で、沙希は何の用なんだよ」


 スルッと名前が出てきた。俺が思っていた以上に簡単にだ。面倒な女すぎて吹っ切れてしまったのだろうか。


「ああそうだった。えっとさ、これから配信するから出来れば静かにしてもらえると助かると思って。防音とかこれからしてくから、暫くの間はお願い」


「配信……」


「それだけ。よろしくね」


 バタンと閉じられた扉に俺は見向きもせず、備え付けの時計を見る。ツムギが毎日定時で配信している時間の十五分前だった。




 俺は胡座をかきながら壁に背中を預ける。瞑想中だ。


 これは確認するチャンスではないだろうか。沙希がツムギかどうかの確認を。


 配信は生放送がメイン。毎日定時に行われている。


 ツムギの配信中に沙希の部屋に訪れたら、あいつは寝転がってスマホでも見ているはずだ。


 嘘であってほしい。ただの悪質な悪ふざけだ。


 俺は覚悟を決め、スマホでツムギの配信を開く。放送まで数分の時間があり、待機画面になっていた。


 可愛いイラストがピースしていて、もう少し待ってねという文字が描かれている。


 ツムギのためなら何時間でも待つさ。


「――って、そうじゃねえ。危ない、危ない。ツムギに脳内を溶かされるところだった」


 とりあえず、深呼吸をしておく。


 そうしていると配信画面が切り替わった。


『こんツム~。ニーテンゴジ所属、自称清楚担当のツムギでーす。今日は昨日と同じく、ゲーム配信しまーす。頑張るので色々教えてください~』


 冒頭の挨拶から入って引き続き、ゲーム配信をやっていくようだった。


 俺はそれを確かめ、スマホを握りながら腰を上げる。死地に出向く兵士の気持ちが手に取るように分かってしまっていた。


 手が震える。足が重い。


 決死の覚悟を持って沙希の部屋へ忍び寄る。


 たどり着くと、息を殺して扉に耳をぴったりとくっ付けてみた。


 息を殺して耳を澄ます。


「昨日はチュートリアルで死んじゃいましたけど、今日の私は強いので。頑張っていきましょー!」


 ツムギの声が二重で聴こえる。


 俺のスマホと、部屋の中から。


 動悸が激しい。胸が痛い。本当だった。


 俺は駄目だと理解しているのに、扉を開く。目で確かめたかったのだ。配信していると分かっているのに、開けずにはいられなかった。


 バタンと開いた扉の先は、デスクと向き合う沙希が居た。ヘッドホンをしてマイクに向かってリスナーへ話しかけている。


 間違いない。ツムギだ。ド派手なギャルの沙希が。


 ゲームをしながらキーボードとマウスを弄っている沙希が俺のほうへ振り向く。


『「あ、」』


 沙希が俺に振り向いて口をパクパクした。


 俺は死んだ魚の目をしているだろう瞳で見つめ返す。パクパクと口を開けている沙希に、餌を与えることは出来ないほど憔悴していた。鯉じゃねえって分かってるけど。


 そんなことを脳裏の片隅で思っていたら慌ててミュートにした沙希が俺を怒鳴り付けてくる。


「ねえっ、配信するって言ったじゃん!? 何で来るの……!?」


 激昂だ。お怒りプンプンとか可愛いやつじゃない。激おこだ。


「……悪い。本当に、すまん」


 謝りの言葉を口にすると、俺は直ぐに沙希の部屋から退室した。


『あー、ごめんなさい。親フラしちゃいました。さ、気を取り直してやっていきましょー!』


 ――親フラ草

 ――ゲーム教えてもらえば

 ――ワンチャン彼氏説


『彼氏はいないですね。居たことないんですけど……。誰か清楚枠の可愛いツムギちゃんを養ってー』


 ――撫でてあげる

 ――お菓子やったら着いてきそう

 ――ATMにされても許す


 スマホに映るツムギはゲームを再開しながらコメントと戯れていた。


 俺はそれを茫然自失になりながらも眺め、スマホを閉じる。虚無感に襲われていた。


 自室に戻った俺はベッドへ飛び込み、枕を抱き抱えて顔を埋める。


 その日、俺は枕を涙で濡らした。

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