第8話 脅威

 刀悧が別方面への救援に回った後。


 梨乃と彩音は、それぞれ三体、四体の小鬼を相手に奮闘していた。


「……忍法・火遁の術!」


 梨乃は目の前の小鬼たちに向けて、体内の霊力を火炎に変えた術を再びぶつける。


 今度は攻撃範囲に巻き込んだ三体のうち、二体がとっさに跳び退って回避した。

 一体だけが火だるまとなり、黒い靄になって消滅する。


「……くっ、一体だけじゃ」


 火遁の術が途切れたところを狙い、残る二体の小鬼が、梨乃に跳びかかってくる。


 梨乃は焦る気持ちを押し殺し、二体の連携攻撃をよく見て回避しながら、反撃の隙をうかがった。


 一方の彩音は現在、四体の小鬼を相手にどうにか立ち回っているところだ。


 たやすく負けることもないだろうが、まとめて相手をするのが楽な数でもないのも確かだ。


 そもそも純粋な戦闘能力では、攻撃の術を持っている梨乃のほうが彩音よりも一段上。

 現在の戦況で圧倒的に余裕があるのは、梨乃のほうだ。


「……だから、ボクが早く、こいつらを片付けないといけないのに」


 焦ってはいけない。

 でも急がないと。


 梨乃は二体の小鬼による攻撃を的確にさばきつつ──ついに反撃の隙を見つける。


「……もらったっ!」


 梨乃の苦無くないの一撃が、一体の小鬼の首を切り裂いた。


 首から激しく血を噴き出した小鬼は、ふらついて倒れ、黒い靄となって消える。


「……これで、残り一体」


 こうなってしまえば、あとは楽だ。

 一対一で、小鬼ごときに遅れをとる梨乃ではない。


 相手が尖った木の槍で梨乃を突き刺そうとしてきたところを悠々とかわして、その横をすり抜けざまに、一本の苦無で小鬼の腹を切り裂く。


 さらにその小鬼の背中に、苦無でもう一突き。


 それで最後の一体も倒れ、魔石を残して消滅した。


「……よし。あとは──」


 梨乃は彩音の援護に向かおうとする。

 あの四体を二人がかりで片付けたら、すぐに刀悧を追いかけないと──


 と、それが梨乃の算段であったのだが。


 そんな少女の目論見は、彼女らが今いるあぜ道の先、森の奥から現れたさらなる敵の増援を見て、脆くも崩れ去ることになる。


 ──ずしん、ずしん、ずしん。


 森の奥から現れたのは、小鬼とは到底似つかぬ巨躯の魔物が、二体。


 その二つの巨体を目の当たりにして、梨乃は手にした苦無をあやうく取り落としそうになった。


「う……そ……大鬼おおおにが……二体、なんて……」


 地響きとともに現れた次なる敵の増援は、大鬼と呼ばれる魔物であった。


 その怪物の背丈は、梨乃の二倍ほどもある。

 体重で比較するならば、十倍を下回ることはないだろう。


 まだ少し遠くにいるのに、遠近感が狂うほどの大きさ。


 筋骨隆々たる赤銅色の肉体はまるで鋼のようで、非力な梨乃の苦無ではろくに傷つけられそうにない。


 対して、あの丸太のような腕が持つ特大棍棒の一撃は、梨乃の小柄な体などたやすく吹き飛ばしてしまうだろう。


 しかもそれが、二体だ。

 梨乃にはそれが、悪夢としか思えなかった。


 梨乃たちが受けた依頼は、小鬼退治だ。

 大鬼が出てくるのは、完全に想定外である。


 だが想定外が起こるのは、魔物退治の世界においては悪い奇跡と呼べるほど珍しいことでもない。


 ゆえに天寿を全うする浪人が稀であることは、よく知られている。


「ちょっ……!? 噓でしょ、大鬼が二体も……!?」


 彩音もまた、驚きの声を上げていた。

 しかも彼女の場合は、いまだ四体の小鬼と交戦中だ。


 大鬼を相手にするのは、梨乃や彩音の実力では一対一でも苦しいほど。


 素早さや技量が上回る分である程度は太刀打ちできても、段違いの膂力と頑強さによってその優位はたやすく覆される。


 本来ならばむしろ、梨乃と彩音の二人がかりで一体の大鬼を相手にするのが望ましい。


 当然のことながら、彩音一人で四体の小鬼と大鬼を同時に相手取って戦うのは、不可能に等しい。


 だが無情にも、二体の大鬼はあぜ道をどすどすと駆け、梨乃や彩音がいるほうへと向かってくるのだ。


「……こんなの、どうしたって」


 梨乃は毒づきながらも、覚悟を決めて駆け出した。


 向かう先は、大鬼と彩音の間を遮る地点だ。


「梨乃……!? 何を──」


「……彩音は、なんとか小鬼を振り払って逃げて。その間だけ、ボクがこいつらを引き付ける」


「そんなっ、無理だよ! だいたい逃げるって、私たちが逃げたら、村の人たちは──」


「そんなわがままを言ってる場合じゃ──」


 そこから先の言葉を、梨乃は紡ぎ出せなかった。


 二体の大鬼が、もはやすぐ目の前まで迫っていたからだ。


「くっ……忍法・火遁の術!」


 梨乃は虎の子の最後の霊力を使って、二体の大鬼に炎を吹きかける。

 燃え盛る火炎は、二体の大鬼に直撃した。


 だが二体とも、梨乃が放った炎を突き破り、そのまま突進してきた。

 二つの巨体が、はるかに小さな忍者の少女に襲い掛かる。


「……だよね。知ってた」


 梨乃ももちろん、火遁の術の一撃で大鬼を倒せるなどとは思っていない。

 単なる悪あがきだ。


 二本の棍棒による恐ろしいまでの連続攻撃が、次々と梨乃に襲い掛かる。


「……くぅっ!」


 反撃の余裕などまるでない。

 それどころか、棍棒の一振りごとに梨乃は追い詰められていく。


 時間稼ぎができたのは、ほんの十数秒に過ぎなかった。


 ついに一体の大鬼の棍棒攻撃が、忍者の少女の小柄な体に直撃した。


「うぎっ──ぁああああああっ!」


 横薙ぎの棍棒の一撃は、梨乃の小さな体をやすやすと吹き飛ばした。

 忍者装束の少女は、蹴飛ばされた手毬のように放物線を描き、大きく投げ出される。


「梨乃ぉっ!」


 彩音の悲痛な叫び。


 どさり、と梨乃の体が地面に転がった。


「あ、ぐぅぅっ……!」


 梨乃はもはや、立ち上がるのも困難なほどの痛手を負っていた。


 そんな梨乃のもとに、一体の大鬼が歩み寄ってくる。


 もう一体の大鬼は、四体の小鬼と交戦中の退魔巫女のほうへと向かっていった。


「……だ、め……彩音の、ほうには……行く、な……」


 梨乃は全身が砕けそうなほどの重傷を負いながらも、なお気力だけで立ち上がる。


 そこに大鬼が、ついに目の前までやってきた。

 そいつは大きな両手で、梨乃の体をつかみ上げる。


 今の梨乃に、それを回避するだけの力は残っていなかった。


「う……あぁああああっ……!」


 怪力につかまれてしまった梨乃は、もはや逃げ出すこともかなわない。


 大鬼は梨乃を頭から丸かじりにしようと、その大きな口を開き──




「──梨乃!」


 そのとき、梨乃をつかんでいた大鬼の両腕が、その肘の先で真っ二つに断ち切られた。


 捕まえられていた梨乃の体が、切断された大鬼の両手とともに落下する。


「……な……にが……」


 ぼんやりとした梨乃の視界に映ったのは、着流しを身にまとい、刀を手にした青年の姿。


 先刻、梨乃が与えたたくあんや味噌汁を、ありがたそうに貪っていた彼は──


「大丈夫か、梨乃。状況がよく分からないんだが」


「……刀……悧……? どうして……ここに……」


 その青年の背中が、今の梨乃にはなぜか、妙に心強く感じられた。

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