第3話

朝、小鳥のさえずりと共に目を覚ますと、まずは一杯分のコーヒー豆を挽く。お気に入りのコーヒー屋さんで仕入れた豆をゴリゴリと削りながら、専用のポットにミネラルウォーターを注ぎ入れ、火にかける。お湯が沸く頃には一杯分の豆は挽きあがっているので、ハンドドリップで「の」の字を書くように湯を注ぎ込む。その日の調子によって、挽き終わる豆の量が変わる。今日は多めに挽けたので、少し濃い目のコーヒーになった。こうした豊かな香りと共に私の一日は始まる―――

「んな訳ねぇわクソが」

ぜんぶ妄想である。

朝、殺意が湧く無機質なiPhoneのデフォルトのアラーム音をたっぷり三回聞き、舌打ちと共に目を覚ます。たぶん昨日か一昨日かに水道水をぶち込んだと思しき電気ケトル(880円)のスイッチを入れ、これもたぶん昨日の朝に使ったっぽいマグカップに激安品のインスタントコーヒーを目分量でぶち込む。過労のストレスで手が震えてるのでクソ濃い目のコーヒーになった。熱々のドブ川の如き豊かな香りが漂う。熱ッ。水道水入れて薄めよ。

過労気味OLのモーニングルーティンなんてこんなもんだ。いや人よりちょっぴり荒んでるかもしれないけど。コーヒーを飲み干したら、手早く身支度を整えて、ビニール傘が溢れかえってる玄関を通り外に出る。

今日は土曜日なので、課長の粋な計らいで、なんと平日8時出社のところ土曜は9時出社で良いのだ!!!なんてホワイト企業!!!ブっ〇すぞマジで……

電車に乗り、休日だ!遊ぶぞ!と言わんばかりの同い年くらいの人たちを尻目に心を無にして会社に向かう。駅から会社までの途中にあるコンビニで適当なパンとコーヒーを買い、デスクに着いたらまずメールを立ち上げる。結局、金曜23時まで残業しても終らなかった残務と、なぜか金曜22時に届いた「月曜までで良いよ~」というファッキン業務をしばき倒さねぇと帰れないようだ……

気が付いたら13時半になっていた。先方にメールを出し、返答次第ではそのまま帰れそうなので、会社近くのファミレスに滑り込む。バカ騒ぎしている高校生の若さに打ちのめされながらパスタを啜る。食い終わるまでに返信があることを期待する。ああ、早く解放してくれ……


そんな土曜を終え、寝るだけの日曜もスグ終わり、月火水木と日々がどんどん過ぎて行く。来週は出張が入りそうで、訪問先に出す資料作りに追われていたら、あっという間に金曜になった。

21時、いつもより早く会社を出る。新型コロナの影響で閉まっていた居酒屋も最近は開いており、久々に飲みに行くかなと頭の中で店をリストアップしていると、社用携帯が鳴り響いた。見ると知らない番号だ。3コール以内にワンオクターブ高い声で応答するのは、入社以来叩き込まれた作法だ。

「はい!サイバーリリー株式会社、佐藤でございます!」

「あの、先日メールをお送りしました水瀬です。どうしても我慢できず、お電話してしまいました。ごめんなさい」

一瞬頭が真っ白になる。水瀬、聞き覚えの無い名前だ。取引先にいただろうか、取りこぼした依頼があっただろうか。

「先週のメールの件……大変申し訳ございませんが、御社名をお伺いしても宜しいでしょうか……?」

「えっと、先日助けて頂いた、水瀬です。メール届いてなかったでしょうか…あの、お礼がしたくて…」

「……えっ、あの時の女?」

「は、はい!そうです!あの、佐藤さんですよね、佐藤花音さん。名刺を頂いたので……」

「あー―――、そうね、そうだったわ。え?てかメール?そんなの来てたっけ」

メールフォルダを漁るが、それらしきものは出てこない。おかしい。画面をスクロールしていると、「1」とマークがついたフォルダが現れる。これは……

「ごめん、迷惑メールに入ってた」

「えぇっ!?」

「悪い悪い、それで、土日?いいよ別に御礼なんて」

「お忙しいですか…?」

予定なんて一切ない。強いて言うなら壊滅的な状態の部屋の掃除と、生きるための食糧買い出しくらいはする可能性があるが。

「そういう訳じゃないけどさ」

「じゃあ、明日、新宿の東南口で待ち合わせましょう!ごはん奢らせてください!」

「うー-ん、わかった。じゃあ14時で良い?あたし朝弱いんだよね」

「大丈夫です!それじゃあ、また明日……」

「はーい、また明日ね」


電話を切る。メールを見ておらずバツが悪かったせいか、押し切られた形になってしまった。

明日……服……何着て行こう……

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酔っ払い女と世話焼き女 百合の友 @yurinotomo

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