第2話
駅のホームは、真冬の寒さに加えて強い風が吹いており、長居は無用に思えた。
ホームを歩いている途中、自動販売機を見つけたので水を買う。この真冬には中々に厳しい冷たさだけど、酔っ払いにホカホカのミルクティーを渡すわけにもいかない。
階段を下りてすぐ目の前にトイレがあった。不幸中の幸いというやつだろう。迷わず入ったが、中には誰も居ない。個室も全て空いており、手洗い場も酒の空き缶が落ちている以外は概ね綺麗に見えた。
改めて女性を見る。ふと、手を繋ぎっぱなしだったことに気付くが、女性は気に留めていないようだ。幸いにも女性の服はそんなに汚れていない。コートやパンツの端に染みが付いていること以外は問題なさそうだったが、マフラーは絶望的な有様だった。
「とりあえず洗おうか。マフラー貸して」
「そんな、大丈夫です、すみません、自分で……」
「いいよ。それに髪結構ヤバイよ?紙使いな」
個室を指さして、トイレットペーパーを取って来させ、鏡に向き合わせた。
くすんだ艶と少しの枝毛、そしてへばりついた固形物。本当ならしっかり洗いたいところだろうけど、紙で拭くだけでも多少はなんとかなるだろう。
マフラーを容赦なく手洗い場に突っ込んで、蛇口を捻る。温水が出るような親切設計ではないどころか、人感センサー式らしくマフラー全体を濡らすまでに手が凍り付きそうなほど水を浴びることとなった。備え付けの液体石鹼は切れており、仕方なくゴシゴシと冷水だけで手もみ洗いをする。マフラーそのものは結構触り心地がよく、決して安物ではなさそうだった。
2回ほど水洗いを終えると、まぁ悪くないかな程度に汚れは落ちた。感覚の無くなった手でマフラーを絞るが、中々水が切れない。小学生の頃、上手く雑巾を絞れなかったことを思い出す。
仕方なしに自分のバッグを漁ると、朝コンビニでもらったビニール袋が出てきた。ズボラな暮らしをしていると、思わぬところで役に立ったりする。丁寧な暮らしをしているような奴らには出来ないライフハックだ。いやゲロ処理を前提にした生活は嫌だけど。
マフラーをビニール袋に突っ込んで女性に渡す。女性の髪についた固形物はある程度取られており、マフラーが無い分すこし寒そうではあったが、ただの一般女性Bくらいの風貌に戻っていた。30分前、吐しゃ物の海で目に涙を浮かべていたようには誰にも見えないだろう。
「あの、本当にありがとうございます。なんと御礼を言えば良いやら……」
「いいよ別に、気にしないで。てかそれより、終電大丈夫?」
体感的には0時前くらいだろうか。正直自分の終電も危なそうだったので、早々に立ち去りたい気持ちが再び湧き始めていた。
「えっと、大丈夫です。あの、連絡先だけでも教えていただけませんか?」
「あー、じゃあコレ」
財布の中にある名刺を取り出す。長らく入れっぱなしだったので角が折れているが、別に良いだろう。
「じゃあ、私は終電ヤバイから。もう飲みすぎんなよ?」
「は、はい!ありがとうございました!」
格好つけてトイレを後にし、ホームに向けて歩き出す。嘘。時間結構ヤバイからダッシュした。ギリギリ間に合った終電に乗り込んでもみくしゃになりながら帰宅すると、渡しそびれた水がカバンの中で温くなっていた。
シャワーを手早く浴びて髪を乾かしベッドに潜り込むと、カバンの中で社用携帯が鳴る音が聞こえたが、無視して寝ることにする。どうせあと数時間後には職場にいるのだから……
<新着メール>
件名:先ほど助けていただいた水瀬です
本文:先ほどはありがとうございました。マフラーも洗っていただいて、申し訳ありません。
ご迷惑でなければ、御礼がしたいので、来週の土日のどちらか、お会いできませんか?
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