2.苛烈な現実を与太でなんとかしようとする少女。吹き付ける方向の変わる吹雪。クリスマスの奇跡。
酷烈な現実を与太でなんとかしようとする少女。それが山月姫に対して抱いているイメージだった。
数年前まで通っていた高校には、いわゆるオカルト研究部があった。正式名称こそ「古典譚研究部」。いかにも学術的で、大儀そうな部活であったが、古典に詳しいものなどだれ一人おらず、皆、何かしらのオカルトめいた妄言を信じ切って生きていた。
僕はその部活には入っていなかったのだけれども、一人だけその部活に所属している知り合いがいた。先述した、山月姫である。
「異類婚姻譚ってね、女の子の方が異類の場合はたいていうまくいくんだけれども、男の方が異類の場合は人間に殺されちゃうことが多いんだよ」
初めて彼女と会話したときに、そんなことを教わった事を覚えている。夕陽で染まる教室で男女が二人、奇々怪々な古典について話していた様子に、宝石の礫の中に、一つだけ素焼きの欠片が混ざっているような、激しい違和感を感じた事を覚えている。
彼女は僕を唸らせることに関しては天才的であった。まるで僕の心の鍵を掌握していて、僕の感情をつかさどるバルブを好きな時に開いたり、閉じたりできるようだった。
僕はその魅力にだんだんと取りつかれていったが、彼女は他人の事を路傍の石だと信じ込んでいた。僕が高校生活を不意にした最大の理由は山月姫にあると言っても、過言ではない。
彼女は身長は低め、伏見がちな目と、よく口角の上がる口をしていた。特筆すべきは、癖毛である。彼女は長くて美しい髪をしているのだが、癖毛はその髪を引き立てていた。本人からすると、手入れが大変でコンプレックスらしいのだが、傍目から見るとウェーブがかっていて、おしゃれにしか見えない。もちろん、彼女の俗世離れしたキャラクターもその美しさを際立させる要因の一つになっている。
その山月姫は少しだけ大人になって、少しだけ綺麗になって、今、僕の対面の席に腰かけている。
「久しぶりだね、倉田くん」
「ほんとに久しぶりだ。僕らが会っていない間にセミだって地中から出られるくらい」
「それはダウト」
僕と山月姫は駅前で待ち合わせをした後、駅ビル中の喫茶店に入った。二年ぶりの再会だった。
山月姫はじっとこちらを見ていた。僕は、彼女のそのまっすぐな視線が怖くて、照れくさくて、目をそらした。懐かしい、と感じた。
彼女が山月姫と呼ばれている理由、それは彼女の趣味に原因がある。一言でいえば、彼女は、大のオカルト好きであり、とりわけ擬人化動物フェチなのだ。幼いころに読んだ『鶴の恩返し』を切っ掛けに擬人化に目覚め、中学では『御伽草子』『妖怪学講義』などを経て、高校で行きついた先がオカルト研、というわけらしい。さらに、高校で擬人化動物と言えば、一番に思い浮かぶのは、山月記である。彼女が山月記を夢中になって幾度も読んでいることや、習ったものをすぐに使いたがる高校生的なノリが相まって、彼女は山月姫と呼ばれることとなった。
「それで、クリスマス……ちゃん? っていうのの話がしたいの?」
「そう、クリスマスちゃんの話がしたい」
僕は昨日、クリスマスと名乗る少女に出会った後、山月姫に連絡した。別にクリスマスと名乗る少女とやらの話を信じたわけではないのだが、山月姫はこういう話が好きそうだな、、と頭に浮かんだのだ。
「でも、なんだか納得いかないな。私がクリスマスイブに予定がない人って思われているみたいで」
「別にそんなこと思ってないよ。ただ、君が今日は空いてるって言いだしたんじゃないか」
「まあ、それはそうだけど。クリスマスちゃんの奇跡とやらが今日中に起きるなら、観測しておきたいし」
「きっとね」
山月姫と直接会った目的は、クリスマスと名乗る少女からのプレゼントを確認することもあった。なにかしらの奇跡めいたことが起こるかもしれないと話したところ、オカルト大好きの山月姫は一も二もなく来てくれた。
「オカルトネタには散々裏切られてきたから、それほど期待はしてないんだけどね」
と、山月姫。僕は軽くうなづいた。彼女が高校生の頃からオカルトを求めて散々と活動をしてきたのは知っている。
「例えば、どんな裏切られ方を?」と聞くと、彼女は呻きながら三十秒ほど逡巡した挙句、「心霊スポット、全部嘘」とだけ吐き捨てた。ろくな思い出がないらしい。
都会の街は吹雪いていた。
僕と山月姫は喫茶店で高校卒業後の動向や、友人たちの近況などについて語った。話は積もりに積もって、お金持ちの家の絨毯みたいになっていて、途切れることはなかった。その後は、二人で街をぶらぶらし続けた。町は幸せそうな人々であふれかえっていて、『普段はこのいかにも幸せそうな人たちはどこに潜んでいるのだろう?』と僕は通り過ぎる人々を訝った。
日が暮れ始めたころに、待ち望んでいたものがやってきた。東京の都会にそぐわない、猛烈な吹雪がやってきたのだ。
大変な吹雪だなぁ、とか、こんな日にプレゼントが表れるのかね、だとか、的の得ないことばかり話す僕。一方、オカルト絡みなら百戦錬磨で慧眼の山月姫は言う。
「この雪は空から降ってきてない気がするよ」
「空から? どういうこと?」
「雪の角度がおかしいの。ほぼ水平に吹き付けている」
見ると、確かに山月姫に言われた通り、雪は僕らの右側から水平に吹き付けていた。その証拠に、山月姫のロングコートには半面だけ雪がびっしりと張り付いている。
「行ってみる?」と、僕が尋ねると、山月姫は無言でうなづいた。僕らは雪の吹き付けてくる方に向かっていった。
僕らは三十分ほど歩き続けていた。それも、何かがある、と確信めいたものをもって歩き続けていた。なぜなら、雪の吹雪いてくる方向が頻繁に切り替わっていたからだ。吹雪の方向が頻繁に変化する現象を、少なくとも僕は知らない。雪が僕らをどこかに導いているようにしか感じられなかった。
すると、開けた場所に出た。工場の前の空き地のような場所である。僕らは雪の導きに従って、一歩足を踏み入れた。その瞬間、雪は止んだ。
「どうやら着いたみたいだね」と、僕は言う。
「でも、誰もいないよ。どうする? あの吹雪がただの異常気象で、誰もここに来なかったら」と、山月姫は冗談っぽく言う。
「万が一にもそれはないよ」と、僕はいって、ほら、と空を指し示す。
山月姫は僕の指さす先を見て、わあ、と小さく声を上げた。雪が止んでいるのは、空き地の中だけなのだ。外に目をやると、あいも変わらず、吹雪いたまま。台風の目には風雨がないというが、僕らはまるで吹雪の目の中にいるようだった。
僕らはオカルトめいた自然現象に感嘆し、不思議な光景を眺めていた。
「まさか女の子を連れてくると思わなかった」
体感にして五分がたったころ、先ほどまでだれもいなかった場所には昨日会った少女がいて、その少女の脇には大きなソリがあった。そのソリは四~五人がゆうに乗り込めるものであり、とてもじゃないが五分で運んでこられるようなものじゃない。さらに、ソリの先っぽには手綱が付いていて、その先にはトナカイが繋がれていた。トナカイはソリと比較すると小さいサイズで、特別、運動神経の良いわけでない僕でもひらりと飛び乗れそうなくらいの大きさだった。
「怪異」の出現に山月姫が息を呑むのがわかった。
「いるよね、男だけでしっぽり飲むかー!ってときに彼女連れてくるやつ」と、いって、クリスマスと名乗る少女は大きな嘆息をした。
「怪異と飲み会を同じにしないでくれ。そもそも、男同士の飲み会とか言ってるけど、君一応女の子だろ」と、僕は返す。
「んー。確かにそれはそうなのかもしれない」と彼女は含みがありそうに言った。
「とりあえず、乗りなよ」と、続けて彼女は促す。
「乗る?」と、僕は思わず聞き返す。
彼女は無言でソリを指さした。
やがて吹雪は止んだ。おそらくクリスマスが止めたのだろう。上空を飛ぶ僕たち雪の降り積もった街を眺めていた。闇夜に染まった街で、白い雪だけが月光を照り返しいて、淡く、妖しい光を発していた。
「寒いけど気持ちいいね」と、クリスマスは手綱を持ちながら話しかけてくる。もちろん、その手綱の先ではトナカイが夜空を掻いて進んでいた。
「寒さなんて気にならないよ」と、僕は答える。「普通の人間はトナカイの引くソリに乗って空を飛ぶことなんてないんだ」
クリスマスはなぜか笑い、小声で「人間・ジョーク」と呟いた。
「これで認める? 私がクリスマスだって」
「天候を操れて、空を飛べるやつがクリスマスじゃなくてなんだっていうんだ」と、僕は彼女の怪異を認めた。
「回りくどい言い方!」と、クリスマスが叫ぶ。
僕らが話している間も、山月姫はじっと街を見ているのみだった。と、いうよりソリが離陸した瞬間から、山月姫は一言も発していない。ソリが風にあおられたときなどに、たまに短い悲鳴を上げるのみだ。
「彼女、なにも言わないけど震え上がっちゃってる? 高所恐怖症?」と、クリスマス。
「いや、そんなことはないんじゃないかな」と、僕。
確かに、街はジオラマのように小さくなっていて、恐怖のあまり黙りこんでしまうのもわかる。しかし、僕には山月姫が黙っている理由がそれだけではないことを知っていた。きっと、『怪異』の出現に対してあまりにも感情が高ぶっているのだ。彼女の顔をみると、それが僕の思い込みでないことがはっきりと分かった。
クリスマスは手綱を握って前を向いているから、山月姫の表情が見えないのだろう。
「あの家、行くよ」と、クリスマスは言った。
「あの家?」と僕。クリスマスは何も答えないまま、急降下していった。民家の窓からは、小学生くらいの男の子が熟睡しているのが見えた。
ソリを民家の屋根に器用に止めるクリスマス。僕は思わず尋ねる。
「こんなところにソリを止めて、誰かに見られたらどうするんだ」
「大丈夫。空を飛べるソリだもん。気配を消すことなんて造作もない」
よくわからないが、大丈夫なのだろうか?
ソリから降り立ったクリスマスは屋根の傾斜を滑っていき、やがて端から飛び降りた。
危ない、と山月姫が呟いた。僕らはそろそろと屋根のへりに近づいていった。
屋根はそれほど急勾配ではなかった。へりから下を見下ろすと、二階のベランダからクリスマスがこちらを見上げていた。夜闇の中で、ピンクのインナーカラーが映えていた。
「ちょっと袋、とってきてよ」
「袋?」
「そう、ソリに積み込んでる白いの」
山月姫は大きくうなづくと、ソリの方へと歩き出した。その足取りはとても軽やかで、山月姫の飛び立ちたいような気持が伝わってきた。オカルト好きな彼女としては、怪異に触れることができて、言い尽くせないほどうれしいのだろう。
「袋なんて乗ってたっけ?」と、山月姫を見やりながら僕は尋ねた。
「凡人には見えないかもね」と、クリスマス。
山月姫はしばらくすると、人の身長と同じくらいの大きさの袋を抱えて戻ってきた。慌てて僕は彼女に手を貸す。袋が載っていることに不思議と気付かなかったので、当然、小袋のようなものだと思っていたのだ。木綿で出来た白い袋には何か弾力のあるようなものがみっしりと詰まっていた。まさにサンタクロースの挿絵に描かれるような袋だった。それほど重くはなかったが、丸く太った袋はつかみどころがなくて運ぶのに少し苦労する。
クリスマスは落として、と言った。僕らは彼女の意向通り上から落とした。
下で袋を受け取ったクリスマスはポケットをゴソゴソとあさり、なにか道具のようなものを出した。室外機に手をかけ、またもゴソゴソとあさる。パチン、と音が鳴ると同時に、室外機のチューブがはじけた。
「切ったのかい?」と僕が尋ねると、クリスマスは黙ってうなづき、袋の中のものをチューブに注ぎ込み始めた。そのチューブの先は家の中へと続いている。おそらくエアコンまで繋がっているのだろう。
そのまま二、三分ほど時間がたった。袋は少しずつ小さく、皺だらけになっていき、やがてペタンコになってしまった。クリスマスは慣れた手つきで、最初に切ったチューブをテープのようなもので巻き始めた。また繋ぎ直しているようだ。
手を貸して、というクリスマス。僕らは手を伸ばした。彼女の手が触れた瞬間、山月姫はワッ!と小さな声を上げた。
「そんなに驚くことはないじゃない」とクリスマスは不満そうな声を上げる。山月姫はごめんね、ごめんねと謝る。
僕には山月姫が声を上げた理由が分かった。明らかに怪異だとわかっているものに触れるのは、やっぱり怖いのだ。幸いにしてというべきか、クリスマスの手は厚い革の手袋に包まれていて、その肌の触感を直に感じることはなかったが、確かにそれは実在していた。
「ねぇ、今のは何をしたの?」と山月姫が興奮冷めやらぬ、といった感じで尋ねる。
「プレゼントをあげただけ」と、クリスマス。
「プレゼント? あの袋に入っていたものが?」
「そ。」と、クリスマスは手短に答える。
そっけない態度にも山月姫は全くひるまない。目を光らせ続けたまま、質問を重ねる。
「何が入ってたの?」
「どこに?」
「袋の中に決まってるよ。ねえ、教えてよ」
あまりにも必死な山月記に、僕は思わず吹き出した。クリスマスは笑っている僕を一瞥したあと、つられて笑う。
必死な顔をしていたのは山月姫だけだった。
「わかったよ。教えてあげるよ」と、クリスマスは笑ったまま、観念したように言った。
「ほんと?」と山月姫は聞き返した。クリスマスはうなづいた。
「あの中にはね、愛情が入ってたんだ」
「愛情?」
「うん、ヤバかったの。あの家庭。もうすぐ一家が離散するところだった。それえ、補正を加えたってわけ」
「ふーん? それってお仕事なの? クリスマスちゃんの」
クリスマスは首を横に振った。
「いや、この時期に離婚されるのは嫌だったってだけ。クリスマスは平和と博愛のイベントだから。私は自然発生する現象のようなものだから、仕事なんてない」
「クリスマスちゃんは優しいんだね」と、山月姫はにこやかに言う。クリスマスの見た目が中学生とはいえ、怪異に対してお姉さん面で接していいのだろうか?
「別に優しいわけじゃなくて、クリスマスに免じて助けてやっただけ。まあ、私がクリスマスなんだけど」と、クリスマスはよくわからない怪異ジョーク(?)を呟いた。
再びソリは空を舞う。僕はクリスマスに尋ねた。
「つまり、サンタクロースの正体は君ってわけ?」
クリスマスはかぶりをふった。
「サンタクロースは別にいるよ。このソリと袋はサンタクロースからぶんどって来たやつ」
「ぶんどる?」
「奴とは因縁があってね。しかもツーカーなのよ。」
クリスマスは懐かしむように言った。
その後も仕事は続いた。全部で五、六軒の家を周り、そのたびに僕らは袋の中身を流し込んでいった。袋の中身は次の家にたどり着くことにはいつの間にかはちきれそうになっていた。中身が変わるたびに触り心地が変わっていたので、山月姫はそのたびに「これは何?」と聞き、クリスマスはそのたびに、「寿命だよ」とか「健康だよ」とか違うものを答えていた。それらの共通点は形而上の存在であることだけだった。
その途中で、クリスマスは一回だけ僕らのお願いを聞いてくれた。
「キミたちさ、だれかプレゼントを渡してあげたい人はいる?」
言われて、僕らは顔を見合わせた。
「倉田くんに渡してあげてもいいかな」と、山月姫は言ってくれた。
僕が何かしらの反応をする前に、クリスマスはピシャリという。
「それはダメなの。今、家の中にいる人でお願い」
山月姫はわかりやすく不承不承にうなづいた。
結局、僕は安藤の名を挙げた。山月姫もなにがしの友人の名を挙げた。クリスマスはうなづき、ソリは僕らの友人の家へと駆けていった。
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