クリスマスを"愛して"過ごせ
iiota
1.クリスマス休戦について。友人との語らい。「クリスマスと名乗る少女」との出会い。
「私はね、クリスマスなのよ」
突然、彼女は自己紹介をした。堰を切った感じではなく、自然に漏れ出た言葉の様だった。僕は、その言葉を聞いて、頭の中にうまく像を創り出すことができなかった。
女の子の年齢は十五、六ほど。茶色い髪をピンクのインナーカラーで染めていて、それを腰のあたりまでのばしている。
「君が、クリスマスなの?」
「そう、私がクリスマス」
僕は彼女の言ってることがやっぱり、わからなくて、彼女の顔をまじまじと見つめてしまった。彼女は、笑うでもなく、恥ずかしがるでもなく、ただただ優しい視線でこちらを見つめていた。その視線に耐え切れずに、僕は視線を落としてしまった。
クリスマスは好きだ。唯一、人々が幸せそうにしている日だからだ。
アレフレッドと呼ばれる一人の将校はクリスマス休戦を体験し、後世に書き残した人物だ。一九〇四年のクリスマスに生じた、一時的な停戦状態。それがクリスマス休戦である。第一次世界大戦がはじまって五か月がたったころ。当時の彼らにとっては、思ったよりも戦争が長くなりそうだぞ、と予感してきたころに起こった事件である。
英国軍とドイツ軍の兵士たちは西部戦線でにらみ合っていた。クリスマスの日にもそれは変わらず、お互いに氷雪のなかでたっぷりの薪に火をともし、来るべき戦火に向けて英気と敵愾心を養っているはずだった。ところが、当日の朝十時、英国軍は一人のドイツ兵が腕を振っている光景を目の当たりにする。今日はクリスマス。英国軍もドイツ兵の事を撃ち殺せるはずもなく、事実上の停戦は成立した。たった二日という短い期間で。
その後、彼らは恐らく戦ったのであろう。
僕は開いていた歴史の本を閉じ、大きくため息をついた。一時的な停戦を喜べる普通の人間であった彼らは、普通の人間のように停戦を解除し、普通の人間のするようにお互いを殺しあった。
「クリスマスは好きだ。唯一、人々が幸せそうにしている日だからだ」
思わず、呟いた。今日は十二月二十三日。僕は目前に迫ったクリスマスを喜びながらも、その後の不幸せで戦ってばかりいる人々の姿を瞼の裏に浮かべては、陰鬱な気分でばかりいた。
駅前に目を移す。すでにイルミネーションはともっていた。人工の灯は昔に在った天然の灯と変わらず、人々に幸せを振りまいていた。街を行く人々は、そのイルミネーションに注目するわけでもなく、せわしく歩を進めていた。当たり前だ、今日は十二月二十三日で、まだクリスマスではないのだから。だけれども、イルミネーションに目を向けていない彼らでも、視界の隅に入っているだけで、心が癒されるところはきっとあるだろう。
「ごめん、すこし遅れた」
との声が聞こえた。顔を上げると厚手のコートを羽織った男が僕の目の前に立っていた。僕は軽く手を挙げて挨拶した。僕らは待ち合わせをしていたのだ。
大衆向けの酒場で、彼は大きな口でビールを流し込んだ。店内は数々の暖色の光で包まれていて、木製のテーブルはその光をよく反射していた。奥の座敷ではサラリーマンたちが大声をあげて飲み会を開き、隣のカウンターでは、中年の女性が二人で散々愚痴を言い続けていた。僕はいつもの光景をみて、駅前でイルミネーションが飾られていることをすっかり忘れてしまった。
僕の連れはクリスマスにおける薄幸を嘆いていた。
「つまりな、クリスマスっていうのはこの競争社会の縮図なんだ。幸せそうなやつらが最大限に幸せそうにしている間、不幸な奴はしょぼい幸せと向き合わなければいけないんだ」
この語り口はいつものことだ。この男は、人間の本質は奪い合いだと主張している。弱いものは富を作るために生きており、強いものはその富をかっさらうために生きているのだと、本気で考えこんでいるのだ。
彼にとって、クリスマスは不幸せの象徴と思っているらしかった。持つものと、持たざる者の差がはっきりと露出する日だと、捉えているようだ。
ただ、僕は知っている。なんだかんだ彼は毎年家族とクリスマスを過ごせていることを。彼だって、しょぼい幸せとやらを存分に享受していることを。
「お前、どうなんだ、今年のクリスマスの予定は」
「イブの話? それとも当日?」
「じゃあ、明日、イブの予定から聞こうかな」
「明日は第一次世界大戦についての本を読む。丁度、明日で読み切れそうな分量だけ残ってるんだ」
「そうか、じゃあ明後日の予定はどうなんだ」
「小説を読む予定だ。半年前に買った三島由紀夫が部屋の片隅に積まれているのをちょうど思い出したところなんだ」
「わざわざ二日に分けて聞いた俺がバカだったよ」
彼は僕に呆れた目を向けつつも、仲間だと認識したらしく、安堵の笑みを浮かべた。その表情は幸せそうで、そんな顔ができるのならばクリスマスを祝福することくらい簡単なんじゃないかなぁと思った。
僕の連れの名前は安藤という。彼は今までの言動からわかる通り、現世利益的な思考をもつ、いたって普通の男子大学生だ。僕と同じ高校の出身で、いまでも同じ大学に通っている。サークルや学科は違うものの、違うからこそお互いの媒介する環境と、それに付随するノイズは無く、話しやすい。もっといえば、価値観の些細な違いも話しやすさの一助となっていた。
「お前、仲のいい女の子とかいないの?」
「それはいないこともないよ」
「おお! じゃあ、今からでも誘ってみれば、一人きりのクリスマスは回避できるんじゃ?」
「いや、みんな彼氏がいるんだ。僕好みの優良な女の子には、彼氏がいるもんなんだよ」
「あのな、彼氏がいる女のことを仲のいい女には二度と含めるな」
「それは一般的なのか……?」
「俺はそう信じてきたし、これからも信じ続ける。そして俺の周りの人間にも信じるように勧め続ける」
「わかったよ」
その恋愛至上主義な態度が、この男のモテない原因なんじゃないかと思ったりもする。
もっとも、彼の持つ感覚は僕にとってもよく共感できる事実である。競争社会の世の中では、強くあらねば生きられないと感じてしまうのだ。本質の部分で僕と安藤はよく似ている。
安藤と別れた帰り道、僕はまだまだ飲み足りないような気がして、コンビニで買ってきた発泡酒を湖畔の公園であおっていた。ただ、季節は十二月。いくら重装に身を包んでいても、あまり長居は出来ないな、と思った。
公園から大きく見える湖の方に目をやる。普段は、このベンチから湖を眺めていると、ほとりで日光浴をしていたり、追いかけっこをして青びまわっている幸せそうな子供たちの姿が見える。ただし、今は夜の十一時。子供どころか、人っ子一人姿は見えない。代わりに、湖の対岸から家庭の灯りがこぼれてきて僕の慰めになっていた。
すっかりくつろいでしまっていた僕は、不審なものを認めて、思わず眉をひそめる。湖の対岸からこぼれる光のほかに、なにか湖の中心で光るものが見えたのだ。
よし、と気合を入れて僕は立ち上がった。湖にかかる橋を渡ってみようと思い立ったのだ。
湖はそう大きいものではない。橋だって、二分か三分あれば渡り切れてしまう程度の長さだ。僕はその端に立って中央の方に目を凝らしたが、その前途は暗黒だった。
一歩足を踏み出すと、夜闇が心地よく思えてきた。僕のほかに、この橋の上には誰もいない。誰かがいるかもしれないからこの橋へやってきたのに、なぜだかそう思えてきてしまって、厳冬の夜と対照的に僕の心は満たされてきた。人の幸せは好きなのだが、人は嫌いなのだ。
ところが、人がいないという想い込みは結局のところ単なる幻想であった。橋の中腹を過ぎるころ、遠くの方に人影が見えた。背の低い女の子のようだった。どうやら、先ほどみた光も彼女から来たものらしい。
「こんにちは」
光の正体を察した僕は、何も言わずに通り過ぎようとすると、そう声をかけられた。訳も分からず、僕もこんにちはと返す。こんばんは、の時間だったことに気付いたのは、言い切ってしまってからだった。
「ねえ、これ覗いてみてよ」
女の子らしきものはそういった。僕は振り向いた。彼女は欄干に結び付けていたランタンの電源をつけて、灯を灯した。僕は初めて彼女の姿をまじまじと見た。
年齢は十五、六ほど。茶色い髪をピンクのインナーカラーで染めていて、それを腰のあたりまでのばしている。その身体は足元まであるトレンチコートに包まれていた。
「え? 不良中学生?」と、思わずこぼす。彼女は少し、きょとんとして僕を見つめていたが、「誰が不良中学生か」と返した。
彼女はいいから覗いてよ、と僕に見えるように指さした。彼女の指さす方向には、三脚に双眼鏡がセットされていた。その両筒は寒空へと向かっている。彼女に不信感を抱きながらも、その筒を覗きこむことにした。
「体とかぶつけないでよ。気を使ってセッティングしたんだから」
「感謝するよ。するべきかはわからないけど」
僕は双眼鏡を覗き込んだ。煌めく星たちが眼前に広がるものの、天文経験の浅い僕にはそれらの世界をうまく切り分けることができなかった。
「真ん中のあたりにぼやぼやした星団が見えるでしょ?」
「うん」
言われてみると、真ん中のあたりに密集している星が自身の曖昧な輪郭を、確かに保った形で見えている。
「それがね、クリスマスツリー星団。三角形で、ツリーみたいに見えるでしょ」
「僕には逆三角形に見えるな」
「南半球からみれば、綺麗な三角形に見えるのよ」
クリスマスは好きだ、と僕は言った。
彼女はなぜだか嬉しそうに、私もクリスマスは大好き、といった。
「星、好きなの?」
望遠鏡を片付ける彼女の様子を眺めながら尋ねた。
「別に」
予想に反した答えを言い切る彼女に、僕は面食らってしまう。
「別にって、こんな夜中に望遠鏡を持ち出して道を行く人に声を掛けるのは星が大好きなひとですよ」
「私はね、クリスマスが大好きなの。それで、クリスマスツリー星団」
彼女の納得がいくような、行かないような答えに僕は辟易する。彼女は笑っていたが、僕は笑みを返すこともできずに、ただ彼女の顔を見つめていた。
「ねえ、名前、聞かせてよ」
「僕の?」
「ほかに誰がいるっていうの」
「倉田だよ。倉田智弘」
「そ、倉田くんね」
それだけ言うと、彼女は口元に手を当てて何やら考え始めた。彼女の手は、柔らかそうなファーが付いた手袋に覆われていて、僕は思わず自身の手の冷え切っていることに気付いた。
「私はね、クリスマスなのよ」
突然、彼女は自己紹介をした。堰を切った感じではなく、自然に漏れ出た言葉の様だった。僕は、その言葉を聞いて、頭の中にうまく像を創り出すことができなかった。
「君が、クリスマスなの?」
「そう、私がクリスマス」
僕は彼女の言ってることがやっぱり、わからなくて、彼女の顔をまじまじと見つめてしまった。彼女は、笑うでもなく、恥ずかしがるでもなく、ただただ優しい視線でこちらを見つめていた。その視線に耐え切れずに、僕は視線を落としてしまった。
百歩譲っての話だが、例えば彼女がサンタを自称するのなら理解できる。ところが、彼女はクリスマスを自称するのだ。
動揺をなるべく態度に出さないようにしながら、怪々とした少女に向かって言葉を選んで話した。
「君がクリスマスなら僕はハロウィンにだってなれるよ」
「何言ってるの? あなたは人間じゃない」
「そういうことを言ってるんだよ。君だって人間だ」
彼女は再び、口元に手を当てた。どうやら、考え事をしている時の癖のようだ。
「わかった。じゃ、信じてもらう」
「信じてもらう? どんな風に?」
「明日、私がクリスマスプレゼントを用意する。とびっきりの奴をね。それで、信じてもらえる?」
訳が分からなくなりっぱなしの僕は、その言葉に疑いをかけることもなく、深くうなづいてしまった。彼女が本当にクリスマスだというのなら、明日、僕はなにかしらの超自然的な現象を感じ取るのだろう。それで、目の前の少女の虚妄がはっきりするのなら、それでいいと思えてしまったのだ。
「うん、決まりね。それじゃ、明日は外出してね。どこに行ってもいいけど、この街からは遠く離れないように。わかった?」
僕が再びうなづくと、彼女は背を向けて双眼鏡を片付け始めた。
明朗としたピンクのインナーカラーは茶色に移り変わり、夜の闇にすっかりと紛れ込んでしまった。
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