非常に一般的かつ通俗的な日記

海馬ベルト

本編

 ある晴れた日のことだった。季節は覚えていない。僕が生まれて五つか六つか、そこらへんの時期だ。僕は課外学習のために町を歩いていた。僕は歩いていた途中でへばってしまって、他の班員には内緒で、兄の働いていたコンビニに入ったことがある。熱暴走しそうなくらいに暑かった体が、クーラーで冷えて気持ちが良かった。兄と他愛ない話をしていると、心配した班員が位置情報システムを辿ってコンビニまで探しにきて、すぐに見つかってしまった。しかし、その後皆で涼んだことが事をうやむやにしたのか、僕は大した咎めも受けなかった。

 そんな昔のことを考えていると、ここ数日外に出ていないことに気づいた。最近は関節が音を立てはじめ、いよいよ運動不足を感じていた。夜風にあたろうとは思ったのだが、今日の外は生憎の雨であった。ベランダについているパラボラアンテナから水が滴っている。暗くなった外からはウオガエルの声が聞こえた。川や田んぼが近くにないのにも拘わらず、である。耳慣れない声ではあったものの、秋の虫ほどの煩わしさはない。僕はウオガエルの歌を聞きながら布団に入った。

 しかし、布団に入ってみると、そのウオガエルの歌が煩わしくなってしまう。本を読むのにはちょうど良い音だったのにな、と考えを巡らせてしまうからよくない。そんなことを考えているから眠れないのだ、とさらに考えてしまうと、これもよくない。堂々巡りだ。「寝なければ、と思ってしまって眠れない」ということを考えれば、五七五だと気づいてしまい、何故か可笑しくなってしまう。やはりこれもよくない。最近はこういうことを繰り返し、堂々巡りを堂々巡りし、堂々堂々巡りくらいになったところで、気づかないうちに寝てしまうことが多い。次の瞬間には朝になって、寝たい時にすぐ寝られればいいのにな、と寝起きの頭で考える。そうやって、今日も外に出ない一日が始まるのだ。

 僕は洗面所に行き、鏡の前に立った。目の周りの外装を外す。引きこもりがちで疲れ目も感じていたので、目のあたりの歯車にオイルをさし、外装を戻した。少しばかり凝りがなくなった気もする。リビングへ移り、お尻の辺りからのコードをコンセントに挿し込み、テレビをつける。いつもと変わらない、退屈な一日の始まりだ。

 テレビでは天気予報が流れていた。今日は晴れるそうだが、窓から空を見上げると雲が多い。とはいえ、ここ数日のサビ対策から解放されると思うと気が楽だ。玄関の郵便受けから新聞を取る。一面には、国産ロケット打ち上げ成功というニュースがあった。ここ数日テレビで取り上げられているので、大ニュースだということはわかるが、いまいちピンと来ない。自分と同じような存在が、ロケットを作り出したということが信じられないのだ。最終面にはオイルの宣伝が載せられていた。国際、経済、スポーツ、ラテ欄も、昨日とは代わり映えがない。

 もう一度空を見ると、雲の切れ目から青空が見えた。そういえば、図書館の本の返却期限がもうすぐであったと思い出し、午前中は図書館で過ごそうと決めた。しかし、今日はうだるような暑さだ。近いとはいえ、図書館までの道を行くのもおっくうだし、道の途中には日影が少ない。いや、日影は別に日傘があれば解決するのだが、しかし短い道のために水筒を持っていくのも何か違う。はたして、どうしたものか、とあれこれ考えているが、要するに、暑い道を歩きたくないだけなのだ。

 僕は観念して日傘を持って出かけた。日差しに頭が当たらないので、かなり涼しい。外にいながら熱を50℃代に抑えられているのは、かなり久々の感覚だ。道の車通りは少なかったが、その分セミの鳴き声の煩わしさが増していた。山の木々は清々しい緑色だった。道を舗装するコンクリートはかなりの熱気だった。その隙間から、黄色いタチムカイの花がこれ見よがしに咲いていた。

 図書館の中はクーラーが効いていた。僕は今まで借りていた電子工作の指南書を返し、次に借りる本を探していた。僕は時間つぶしとして本を探していたので、何か小難しい本がよかった。理解できようとできまいと、難しい本を読んでいる自分に陶酔し、自己満足ができれば、それでよかった。そうやって悩んでいて、結局、哲学の本を借りた。今日からはこいつと向き合う作業だ。

 帰り道、タチムカイがあったあたりで、本を読む気分が冷めてしまった。別な本を読むのも考えたが、期限内に読み切れる自身がなく、一冊しか借りていない。家にいたってすることがないし、外にいたって暑い。今日は何故か、そんな悩みばかりだ。

 家について、テレビをつける。自分のコードをコンセントに挿し、昼の充電だ。ここ数日と同じく、国産ロケットの特集が組まれていた。いずれは月や、他の惑星にも行けるようになり、宇宙空間用の体にすることで、民間でも宇宙旅行が楽しめるようになるそうだ。それ相応の費用もかかるが、ロケットの国産化はその値段を一気に引き下げたという。しかし、それでもやはり何十億という額が必要になるのだが。

 宇宙には、自分たちとは全く違う存在があるのだろうか。つまり、意識を持っていて、電気で動かず、何か他の、想像もつかないようなエネルギー源、例えばこう、下等生物のように、他の生き物の命とか食べたり、ケイ素だの、炭素だのを摂取したりする、そういうスピリチュアルでサイファイなエネルギー源で活動する高度存在があるのだろうか。わからない。もう我々はそういうのを発見できるフェーズに入ったのか、と思うと、やはり実感も湧かない。

 そういえば、充電中に考え事をするのは、回路にとってよくないことらしい。充電が終わるまで、しばらく昼寝でもしよう。

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