第三十五話 無垢

粉々になった屋台の破材の上でエルンは頭を抱えながら上体を起こす。屋台がクッション替わりになったといってもはるか上空から落下したその衝撃は本物だ。

エルンは霞んだ視界を動かし、近寄ってくる影に焦点を合わせる。


「あなた大丈夫!?ケガは…ないわけないわよね!ここがどこだか分かるかしら?」


ぼやけていた視界が段々とピントが合っていく。すると、エルンは、柔らかな顔つきの中年の女性が中腰で自分を見下ろし、顔の前で手を小刻みに振っているのだということに気づいた。


「はい…、大丈夫です。…ここはフロイズの壁内で、南門の付近だと…」

「まあ大変。ここは35番地、聖都の西側よ。やっぱりどこか頭を打っているのよ。

あなた!この子医者に連れて行かないと!」


そういっておばさんが振り向いた先にいた男は、物理的に潰れたの店の前で膝を曲げて呆然としている。

どうやらこの男が店の亭主らしく、先ほどの悲鳴も彼の物で間違いない。


「ほらあんた、店はまた直せばいいだろう?人間は一度壊れちまったら元には戻らないんだよ」


そうやって御上さんは亭主の腕を引っ張って立たせようとするが、亭主の方はぐったりとしたまま立ち上がろうとしない。


「かあちゃん。おらあもう無理だ。商売もダメで財布はスカスカ、挙句の果てに空から人が飛んできて店は壊れるときた。もう何をやっても何もうまくいくわけねぇだぁ~」


そういって亭主は泣き崩れる。御上は深く溜息をつくと、エルンの方へ振り返り、朦朧としたままのエルンを抱きかかえようとする。


「ふ~~~~~~~~ん~ぷぁー-!」


しかし、華奢な見た目にそぐわぬ重量に中々持ち上がらず御上は肩で息をした。


「…すみません。一人で歩けますので、大丈夫です。それで、お店の弁償のお話なのですが…」


エルンは哀愁漂う顔でそういうとよろよろと立ち上がる。すると、御上も立ち上がりふらふらとしているエルンの両肩を支える。


「そんなことしなくてもいいさ。あんただって、好き好んで空から落っこちてきたわけじゃないんだろう?それに…」



そこまで言ってこの御上は言葉に詰まる。彼女の目はエルンの服の胸部分に施されている意匠の崩れた南騎士隊のシンボルに留まる。聖都から出たことのない彼女は南騎士隊のシンボルのことなど知らない。しかし、これとよく似た中央騎士隊の意匠なら彼女も良く知っている。衝撃によって意匠は掠れ、隊服も大分傷んでいるが、その隊服は普通の少女の衣装とはことなるある種の威厳を感じさせていた。

御上の脳裏にはある恐ろしい想像が浮かんでしまっている。周囲を囲むギャラリーの中にもその答えにたどり着いた者たちがいるようで、見物をしているだけだった者たちがひそひそと話はじめる。中には逃げるようにその場から立ち去る者もいた。



「あんたまさか、騎士なのかい?」



ぽろりと胸の内にある疑問をささやいた御上は、眼前の少女が自分の問いかけを否定するのを強く祈った。

空から落ちてきた少女が立ち上がれるのも、その少女の服装も、そうであるのなら納得がいくのだ。

しかし、そうであってはならない。そうであるはずがないのだ。



「…?はい。南騎士隊の所属のエルン・ラフレシアです。ここにはカミリア様の護衛として参ったのですが…」


「その髪で?…ってことは!」「やっぱりだ!おかしいと思った!」、「異端者だ!ここに異端者がいるぞ!」、「誰か騎士を呼んでくれ!」



エルンの自己紹介を既に誰も聞いていなかった。エルンの「はい」とい言葉とともに群衆は騒ぎはじめ、悲鳴を上げながら逃げていく。中には騎士を呼ぶ声も聞こえ、破壊された屋台には唖然としたエルンと腰を抜かしてその場ですくんだ御上の二人しかいない。


「なんで…」


「なんでって、そりゃそうだろうさ。あんただって異端の迫害を知らないわけじゃないだろう?」


エルンもかつては知っていた。17年間異端であることを隠して生活し、ティージで異端者が見世物にされる姿を見た。

だが、自分を一人の人間として扱ってくれる人があまりに多く、その事実を今まで実感していなかったのだ。



「…そうでした。でもなんでみんな逃げるんです?むしろ殴りかかってきてもおかしくないと思うのですが…」


「臆病だからだよ。自分と違って自分より強い物はなんだって怖いんだ、さああんたも早く逃げな。じきに騎士達が来るよ」



御上はシッシッと手の甲を前後に振り、エルンを追い払うようなジェスチャーを取る。

それを見たエルンは暗い顔で振り返ると南側に向かって移動していった。



しばらくして騎士達が現地に到着した。そこには、西側を指さして座る一人の女性の姿があったという。




***



「銀髪に騎士の隊服を着た十代ぐらいの女だ。かなり空から落ちてきたとかで深手を負っている。見つけ次第拘束しろ!」


周囲ではエルンを探す騎士や衛士たちの声がする。ここにとどまっていてもいずれ見つかってしまうだろう。

未だ痺れが止まない体を引きずり、エルンは細い路地を通りながら、聖都の中心に向かって移動する。教会にいるであろうクロエやその関係者に接触すれば保護が期待できるからだ。



「…いつもなら、5分くらいでつきそうですが…」



エルンは遠くにそびえる白亜の教会に目を向ける。他の建物よりも群を抜いて高いそれは、遠くからでも位置がよくわかる。元気なら屋根をつたってすぐにたどりつけそうだが、体が思うように動かない今では、屋根に上るだけでも一苦労だろう。



そんなことを考えていたエルンに突然悪寒が走った。直後、長槍を持った騎士が屋根から槍を地面に向かって突き刺しながら振ってくる。


「こちらシルフィード。対象を発見した」

「…!!!」


エルンは倒れこむように槍を避けるとそのまま路地の角を曲がる。直後路地に強風が吹き奥の方で何かが壊れるような音が鳴る。



エルンはレンガ造りの壁を手で押しながら精一杯に騎士から逃げる。いくつかのレンガが凹むのも気にせず、できるだけ多く角を曲がるようにエルンは逃げ道を選択する。しかし逃げた先が行き止まりになっており、エルンは壁に手を付きながら後ろを見る。


「いっった!」



ケガを無視して肉体を酷使した代償か、再びエルンの身体に激痛が走る。



――カチッ!


不意に強く押したレンガが凹むと、スイッチのような音が壁から鳴る。

すると目の前の壁で壁が閉まり、代わりとばかりに足元の床がなくなった。


「へ?」


間の抜けた声とスルスルとパイプの中を滑っていくエルン。その終点で宙に放りだされ、高さ50cmほどの自由落下でエルンは地面にお尻から着地した。

何者かの気配を感じ、エルンは地面に座ったまま気配の方向を見る。



「…ほう。ここにくるのは結構複雑なスイッチを入れないといけないはずなんだけど。君、ずいぶんと運がいいらしいね」



エルンに気づいた天然パーマの男がこちらに近づいてくる。見た目は17かそこらだが、どこか異様な雰囲気を放っていた。


「まあいい、とりあえず歓迎しよう。私はラーロイキ。ようこそお嬢さん。我らイコンがアジト、『タロット』フロイズ支部へ」













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