第三十四話 雷霆参上

「通行できんとはどういうことだ!」


杉材で作られた机がミシっと音を立てる。母指球の形に凹んだ机を挟んで二人の男女が睨みあう。

二人の他には誰もいない、壁に掛けられた巡回の当番表もなぜか今日は空欄になっている。

だが人がいない分だけ女性の声は室内で反響してあたりを漂った。

椅子に座る坊主頭の男は齢40といったところで、目にしわを寄せて高圧的にふるまうセミロングの女性を相手にして苛立ちと憐れみを含んだ目を向ける。


「貴様とその従者二人、持ち帰った巫女の通行は許可すると言っておる。だがドブネズミ三匹をつまみだしてからにしろと言っているだけだ」



ここは聖都フロイズ、その南門前の検問所の一階だ。外装は無骨な灰色の石造りだが、内装には色幅のある木材が使われており、シンプルながらも洗礼された居室空間が作り出されている。壁に合わせたのか家具はすべて木材ベースになっており、どこか穏やかで温かい雰囲気があるが、机の前にたつクロエの憤りは、そんなものでは中和できそうにない。


「私の馬車にネズミなど乗っていない、今すぐ撤回しろブーゲンビリア。

そもそも彼らを聖都に連れてくるのが私の任務だ、それを彼らをおいては入れだと?

ふざけるのも大概にしろ」


「貴様の任務と私の任務は互いの両立が不可能ということだ。この南門にネズミ一匹入れぬのが私の責務。どうしてもというなら、いっそドブネズミらしく排水溝からでも入れたらどうかね?」


ブーゲンビリアと呼ばれた男は葉巻に火をつけると、煙を机にまき散らす。

クロエの提出した印鑑の押されていない書類に葉巻のススが落ち、触れた部分が黒く焦げる。

クロエは書類をつまみ上げると、ススを払って男を睨んだ。


「お前が相手では話にならん。セプトラの実父だというからどんな人物なのか気になっていたが、娘に見限られて当然の男だったな」


そういってクロエは踵を返す。



「そういえば貴様はティージに寄って来たのだったな。娘の様子はどうだった?

先の短い聖女側に加担したことを大層後悔していたのではないかね?

君のその耳飾りはティージにも届くのだろう?よかったら君から娘にそのうちウォーレンハルト家の若造を婿に送ってやると伝えておいてくれ」



去っていくクロエに、ブーゲンビリアは部屋に響く大きめの声で語る。

娘を思いやる父の言葉ではない。ヘウルアへの侮辱であると同時に、セプトラへの警告だ。一般に現職の巫女は結婚することはない。勿論、そういう決まりがあるわけではなく、慣例として各地に派遣されている巫女が職務を全うして聖都に戻ってくる際に結婚相手をあてがうのだ。

つまり現職の巫女へ見合い話を持っていくというのは「代わりをあてがうから任地を捨てて帰ってこい」ということなのである。


それを聞いたクロエは顔だけで振り返ると、ゴミを見るような目つきでブーゲンビリアを見返す。


「ブーゲンビリア。正体を見破る慧眼などもっていなくても、セプトラはお前よりも賢明だぞ。お前達はいつかあの男を野放しにした代償を払うことになる」



それだけ言うとクロエは検問所の扉をぴしゃりと閉め、馬車に戻り、そして大きく溜息をついた。



「まずい、ここを通れんとは思わんかった…」

「なにをやってるんですかカミリア様」



フロスタリアは馬車の中で四肢を床につけて愕然とするクロエの隣にしゃがみ込むとクロエを見下ろす。


「とりあえず聖女様と連絡を取られては?というかそのための耳飾りでしょう、たぶん」


クロエは口を半開きにしたまま首を90度回転させてフロスタリアを見る。無言の顔には「…それだ」と書いており、すぐさまクロエは耳飾りを軽くたたいた。

ブーゲンビリアにも耳飾りについて言及されたが、頭に血が上っていた彼女はヘウルアに連絡を取るという手段をすっかり忘れていたのだ。

しばらくして、澄んだ女性の声がクロエの耳元に響く。


「…クロエ?何か問題があったの?」

「あぁ、よかったヘウルア!今南門の検問所でにいるんだが、クロスタリア達の通行許可が下りなくて立ち往生してるんだ。」

「…?そのことならアレキスが直に向かいに行くって言ってけど、まだ来てないかしら?」



直後晴天のはずの空にまるで雷雨かのような雷鳴が鳴り響く。雷鳴は急速にクロエ達の方へと近づいてくると、そのまま検問所に突っ込んだ。



「おい、おっさん!今日分の見回りは全部終わったぜ。ピスチルの南の方の森林は魔物が増えてから森ごと焼き払ったけどいいよな!あとラグライン方面でガルダが飛んでたから撃ち落した。死体の処理衛兵に頼んどいてくれ。

あとは異常なし。じゃあ俺忙しいんでこれで!」


ピスチルは聖都の西側にある西部都市、ラグラインは北側にある北部都市、そして報告にきたここは聖都の南門。この男がほら吹きでなければ半日で聖都の外周を半分以上移動してきたことになる。



男は検問所からクロエ達の場所に向かって走ってくると暗幕を開いて中の様子を見る。


「カミリア!お前が持ってきたの何人だ?」

「は、アレキス?お前どうするつもりだ」

「いやだからまず何人だって」


自分の問をガン無視されたクロエは言葉に詰まる。


「二人…いや三人か」

「おっけー三人ね!」

「?…うっ!?」


そういうなりアレキスはフロスタリアの首根っこを掴むと、ものすごい勢いで外へと連れていく。




***


昼の2時過ぎ、2台の馬車が聖都フロイズの南門に停泊している。入場手続きをすると言って検問所に入っていったクロエから何も指示がないので、三人はだらだらとここで時間をつぶしていた。




「そもそも、この作品の作者は教会内での巫女の立場をちゃんと理解してないわ。

立場上、巫女は担当するエリアのナンバー2っていう位が与えられてるけど、だからって自分の家族より偉くなるわけじゃないの。だから本来、結婚相手を自分で選ぶって行為そのものが現実では不可能なのよ」


リリアは例の恋愛小説の表紙をエルンに向けながら掌でそれを軽く叩く。

暇な二人が何をしているかといえば、

『この恋愛小説がどのくらい現実味があるのか?』

という議論をしているのだ。そして今は肯定派のエルンと否定派のリリアの間で激しく暇潰しの論説もとい、ディスカッションが行われている。


「でもリリア。今代のへウルア様は自分で婿を決めるって言ってるんだよね?

それって巫女自身が力を付ければ、この作品みたいに家の指図を受けずに自分の意見を通せるようになるってことでしょ?」


「それはへウルア様があまりにも特殊なケースだからよ。

そもそも…」


議論を続ける二人を他所に、晴れているはずの空に轟雷が鳴り響く、加護の境界面に近く、積層した影によって暗がりが出来ている南門の周辺が青白く光る。


雷光を起こした主は首が閉まって白目を剥いたフロスタリアを右肩で担ぐと、開いている馬車の後ろから中を覗き込む。


「…3人?…どう見ても戦えそうな男は一人しかいねぇんだが…。あと一人誰だよ…。」


アレキスは身を乗り出して中の様子を物色する。小説がそこらかしこに転がっているがどう見てみても人間はアーデン、エルン、リリアの他にはクロエの従者しかいない。


「あのあんた一体」

「そういえば、ヘウルアが「クロエが巫女を一人連れてくる」って言ってたな。ってことは騎士は二人か」


アレキスはアーデンの言葉をガン無視して早合点すると、フロスタリアと同様にアーデンの胸倉をつかむと左脇に抱え込む。


「息があった方がきついからな!安心して気絶しろ少年」


そういってアレキスはアーデンにヘッドロックを決めると、延びたアーデンを抱えなおす。

そのままアレキスは白亜の壁に向かって走ると、雷鳴をとどろかせながら壁を駆け上っていった。


「なんだあれ…天災?…ねえエルン」


走り去るアレキスを呆気にとられてリリアが眺める。リリアが視線をエルンに戻したとき、既にそこに彼女の姿はなかった。



***



正直後悔している。

ヘッドロックを決められたアーデンを見て、思わず手を握ってしまったのが良かったのか悪かったのか。

私はさっきまで、聖都の壁を高速で駆け上っていた。…正確には走っていたのは私ではなく、私はすごい勢いで上に引っ張られていただけなのだが。


そして壁を走り抜けた金髪の男が雷を発していることにもっと早く気づくべきだったのだ。

そうすれば、もっとアーデンを握る手を強くしていただろうし、少なくとも痺れた衝撃で手を放してしまうなんてことはなかったはずなのだ。



…流石に、この高さから落ちたら痛いだろうな。




そのままエルンは出店の屋根に衝突する。運動エネルギーを受けきった屋根は粉々に砕け、店の亭主と思わしき人物の悲鳴が聞こえる。

周囲には破壊音と一面の砂埃、そして店主の悲鳴を聞きつけて群衆が集まってくる。

偶然空を見上げていた青年は青ざめた表情で屋台の方向を見ると、震える声でこう叫んだ。


「大変だ!人が空から落ちてきたぞ」

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