第十七話 目を背ける

昼過ぎ、闘技場の喧騒から離れ、エルンは父親やクロイツさんとともに食卓を囲んでいた。


朝食を取りはぐれてしまったので、なんだかご飯がいつもよりも美味しく感じる。朝食を食べていない空腹故のこの至福なのだが、ついつい"これを朝ごはんも食べた上で味わえないものだろうか"と思ってしまう。

エルンはパクリパクリとサンドイッチを口に放り込む。以前リリアから、サンドイッチはお金持ちがゲームをしている最中にでも摘める食事のために作られたのだと言っていたが、こんなに早く食べ終わってしまうなら、やっていたゲームはじゃんけんか何かだろうか。


エルンは自分の分がなくなったことに気づくと物寂しさを感じながら顔を上げる。すると、目の前に食事を始めたときと全く同じ姿を保ったままの皿が目に入った。

そのままに目線をもう少し上げると、気難しい顔で宙を睨むクロイツさんの顔があった。


「あの‥もし召し上がらないのでしたら、私が頂きますが」


エルンは丁寧な口調をいつもよりも努力して作る。ご飯中にこの幸福を享受しない不届き者はエルンの声では初めて視線に気づいた。その顔には「ん?今何かいったか?」とそのまま書いてある。


「今何か言っ」

ーッビュン!


想像通りの言葉が出来る寸前、エルンは身を乗り出すとクロイツさんの皿から一つのサンドイッチをかすめ取る。クロイツは怪訝な表情でこちらを見るが、エルンは気にせずそのまま戦利品を口に放り込むと、


「ふろろひもろにあもっらいらいひふふれふ」(不届き者には勿体無い至福です)


と膨らんだ口で言い放った。

一部始終を見ていた父親は呆れたように溜息をつく。


「エルン。他人の料理を盗むんじゃない。足りなかったのなら足りなかったで、そう言いなさい。

あと、アーデンもだ。知り合いが闘技場に駆り出されて焦るのは分かるが、今は食事に集中しなさい。お前、朝も食べてないだろう」


そう言われると、クロイツさんはようやく食事に手をつけ始める。だが依然として、顔は暗く食事のテンポは遅かった。


クロイツさんは、きっとクロがあの騎士に敗れた時のことを想定して考えを巡らせている。だが、エルンの頭の中にはその光景が浮かんでこない。今もきっとクロが勝つのだろうと考えている。

嫌な想像はなるべくしたくない、というかしないようにしている。それは、エルンにとっては無意識的な、この世界を生きていくための心の在り方だった。

悪いことを考えるから気分が暗くなりパフォーマンスや運気が落ちる。結果として本来回避できるはずだった不幸にすらも遭遇してしまう。

それに、存在しないことを怖がることだってただただ不利益なだけだろう。

例えば、町に人狼が潜んでいると考えて生活していれば、夜はぐっすり眠れず、他の町人を疑いながらビクビクと生活しなくてはならなくなる。でも実際にこの世に人狼は存在しないので、その気苦労は完全に徒労なのだ。

自分は素晴らしい理想郷に住んでいる。自分は運のいい人間なのだと思って暮らしている方が、あるかないかわからない不運に気を揉むよりも数段上等な生き方ではないだろうか。


クロイツさんは咀嚼したサンドイッチを呑みこむ。顔を上げて口を動かした分、先ほどよりも視野が広がっているように見えた。クロイツさんは父親の方を向くと、質問をする。


「親父、あの闘技場とガブリエルっていう騎士について、何か知ってるか?」


父親は「う~ん」という声とともに少し首を横に曲げる。


「お前が闘技場の何を知りたいのかピント来ないが、騎士についてならある程度しってる。ガブリエルは南騎士隊の分隊長で、趣味で闘技会に参加してる戦闘好きだ。俺は闘技会を直接見に行ったことがないからわからないが、ガブリエルが負けたって話は聞いたことがない。それと、能力の関係か知らないが、妙な戦い方をするって聞いたことがある…」



***


昼食後、クロの試合を観戦しにエルンはクロイツさんと再び闘技場を訪れていた。

既に第五試合が始まっており、クロは勝ち上がってきた剣闘士を相手に優勢を保ちつつ戦っている。


「おい、エルン俺はちょっとあたりを確認してくるから、これ着てここで待ってろ」


クロイツさんは自分の上着を脱ぐとエルンに被せる。クロイツさんよりも一回り小さいエルンがフードを被ると、すっぽりと頭が隠れた。エルンがフードを外してクロイツさんを見ると、クロイツさんは再びエルンにフードを被らせる。


「混みあってきたからフードもしとけ、女子が一人で闘技場にきてたら目立つだろ。しばらくしたら帰ってくるから、あんまり動くなよ。クロがまずい状態になっても変なことするんじゃないぞ」


そういうとクロイツさんはエルンの傍を離れ、どこかへ行ってしまった。少しギクリとしたエルンは一人で、クロの試合の観戦を続ける。


―今渡すなら、家にいるときにフード付きのコートを持ってくるように言えばよかったのではないだろうか…。


いまいちクロイツさんの思考が読めないエルンは頭の片隅でそう考えていた。



結局、試合は順調に進み、対戦相手を前脚でぺしゃんこにしてクロが勝った。


―焦ることなんてない。クロは強いし、さっきの試合は安定してた。まだ二人は救出できないけど、きっとお父さん達が二人を助けてくれる。


次の試合はガブリエルと剣闘士の試合でガブリエルの圧勝だった。いつの間にか帰ってきていたクロイツさんが感想を漏らす。


「確かに、あの騎士。妙な戦い方をするな」

「ええ、一瞬の溜めがあるといいますか、攻撃のタイミングが剣闘士の皆さんよりも遅いですよね」

「ああ、それなのに繰り出される攻撃は相手よりも速い。溜めた分だけ威力もスピードも上がってるように見える。しかもちゃんと急所を外してるな。わざと防具の上に攻撃を当てたり、剣の腹に攻撃を当てて、致命打にならないようにしてやがる」


―そう、あの騎士は対戦相手を殺すようなことはしない。いままでの試合もそうだったんだからもしクロに勝つようなことになっても、命までは取らないはず…。


最終試合のコールがされるなか、エルンは心の中でそう祈った。


「それは今日の最終試合、決勝戦を開始します。挑戦者は皆さんすでにご存じ、ここまで順調に駒を進めてきた両名。ラジット・ロイと騎士ガブリエル・エイソン!

なんとこの二人、ここまで一切の治療を受けずに決勝へと勝ち上がってきています。異次元のスピードとパワーを持つ両名は一体どんな試合を見せてくれるのでしょうか!」


クロとガブリエルがゲートから入場してくると歓声が沸き上がる。しかしクロの後を一人の人間がついてくる。観客達が不可解な人物の登場に戸惑うなか、エルンは口元を抑える。


「おっと、ご紹介が遅れました。今までラジット・ロイを操っていた魔物使いのソーン・マンジュ選手。最終試合では現役騎士ガブリエルの相手ということで、使役する魔物とともにフィールドにでて戦うとのこと。フィールドで直接魔物を操ることで、どのような試合になるのか楽しみだ。それでは試合開始!」



司会の宣言と同時に、居合の構えをしていたガブリエルは、目にも留まらぬスピードでマンジュさんに向かって突進する。クロはマンジュさんを咥えて背中に回すが、標的を変えたガブリエルの一太刀に極太の前脚を吹き飛ばされる。クロは体勢崩すが、尻尾を振り回してガブリエルを追い払う。ガブリエルの様子を観察していたクロイツさんは顔をしかめる。


「あいつ、しょっぱなからソーン狙ってきたな。それに右腹部から左肩に抜けるように剣を振ってる。確実に殺しに来てるな」

「冷静に言ってる場合ですか!このままだと本当に死んじゃいますよ」


感情的になるエルンと対照的にクロイツさんは口調は冷淡だった。


「さっき席を外したときに、警備の位置を確認してきた。内側への侵入口には騎士が二名ずつ、観客席は各方面に一人ずつ騎士を配置してる。あいつらソーンの仲間があいつを助けに来るのを待ってるんだよ。そのための見せしめで、そのための公開処刑だ。下手に動けば武器のない状態で複数人の騎士を相手取ることになる。そうなったら俺達に勝ち目はない。悪いが、ソーンには自力でどうにかしてもらうしかない」

「そんな…」


そうこうしているうちに、ガブリエルはクロの上に飛び乗るとそのまま剣をソーンに向かって振り下ろす。クロはソーンの足場にある闇を沈ませて安置を作るが、その瞬間ガブリエルはその隙間に入り込みクロの胴体を真っ二つに切り裂く。

露出したクロ本体に蹴りを入れると、魔物部分が崩れ、クロとマンジュさんはそのまま地面に落ちた。


「飼い主を守るように、よく訓練されているな。今のも自分の身を犠牲にしたうえでお前を守った。まあ、その結果として俺に負けたわけだが」


ガブリエルはマンジュさんにまで悠々と歩いて近づくと、彼に向かって剣を振り上げる。しかし、気絶したはずのクロが部分的に魔物の腕を発生させる。ガブリエルはこれを防御するが、クロの狙いはガブリエルの攻撃ではなかった、延びた魔物の腕はマンジュさんを捕らえると観客席まで吹き飛ばした。

ガブリエルは一本取られたとばかりに苦い顔をする。観客にいる場外で剣を振り回すわけにはいかない。実質的にマンジュさんの負けだが、一時的にガブリエルの凶刃からは逃れた。

しかし、ガブリエルはそのままクロへと向かっていく、クロは既に立ち上がれないほどに疲弊しており、部分的にすら自身を魔物化することが出来ないでいる。

エルンは唇を噛んだまま拳を握る。



――いやだ。



ガブリエルがそのまま剣を振り上げる。自分が助けなければ死んでしまう。



――いやだ。



あと数秒もしないうちに、クロは危険な魔物としてあの騎士に排除されるだろう。

エルンは噛んだ唇から血がにじむのを感じた。



――――仲間が死ぬのは、いやだ。



その時、「いいよ」という呆れ声が聞こえた。声の主は親指でクロとガブリエルの方向を指しながら、エルンの被っているフードをさらに深く引っ張る。

エルンはその手が離れたと同時に、地面を蹴ると、がら空きの騎士の後頭部に渾身の飛び蹴りを叩き込んだ。












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