第十五話 静寂を呼ぶ爪

「それでは本日の第一試合、始め!」


ピ―――――――ッ!という試合開始の笛の音が闘技場内に響き渡る。

それと同時に剣闘士の持つ槍が一直線に伸び、クロの胸部を突く。


―――――――なんだこれは。


胸を突かれたクロの意識は目覚めたばかりで混迷としていた。覚えているのは自分を静止する主人の声と、魔物化した自分の腕を切り飛ばし、腹パンを入れてきた薄ら笑いの男の事。そして、「身を守れ」という一声だけだった。


クロは魔物化した体に槍が当たったことを遅まきながらに気づく。


「速い、速いぞ!目にもともらぬ速さとはまさにこのこと!エイレーン、連続で槍の延長と縮小を繰り返し、猛烈な突き攻撃を圧倒的なスピードで繰り出します!

狼王一歩も動けず!エイレーンの攻撃を、防御もできずにまともに食らい続けています!」


この試合模様に会場から歓声と罵声の双方が巻き起こる。ブーイングは大方勝敗を賭けにした連中のものだろう。巨体の魔物なんかに人間が敵うはずがないと踏んだ者が、この一方的な試合展開に文句を言っているのだ。

またもや司会者が会場を沸かせるべく言葉をまくし立てるが、クロにはもう聞こえていなかった。



――あぁ~うるさい。この槍も、観客も、司会者も、あいつも、いいから全員



―――――黙れよ。



ドシュッという音とともに、クロが相手を狙って前脚を地面に叩きつける。剣闘士は寸でのところでこれを回避し、地面には大きな凹みができた。見事にクロの攻撃を躱した剣闘士だが、武器まで守る暇はなく、槍は根元の方から折れ、巻き込まれた部分はバラバラになって地面に散らばった。



***



「そりゃこうなるだろ」


クロの反撃に会場中が静まるなか、アーデンが当然のように言い放つ。横でハラハラしながら見ていたエルンは驚いてクロを指さす。


「えっっっ!?だって全部今までの攻撃はクロに効いてましたよ!槍の先端が表皮を貫通して内部に入っていくを、私何度も…」

「なんで、お前はこの距離から、あのスピードで繰り出される槍の穂を視認できるんだよ。末恐ろしいな全く」


アーデンはエルンの常人離れした動体視力に舌を巻くが、説明に戻る。


「本体に当たってないんだよ。魔物化したって言っても、あれは獣の形をとった闇を纏ってるだけだ。そんなものに痛覚はないし、あったとしても共有する理由なんてないだろ。」

「つまり、着ぐるみの表面に穴を開けてるだけで、中のクロは痛くも痒くもないということでしょうか?」

「そういうことだ。クロに勝つにはそれが分かってないと勝負にすらならないが、考えてる暇が果たしてあるかな」


静観する二人を他所に、勢いを取り戻した司会がまくし立てる。


「急転直下!今までの雨のような連続攻撃を、意にも返さないかのような圧倒的一撃だ!獲物をバキバキに折られたエイレーン、紙一重で攻撃を躱すが、このままだと、武器だけでなく心も体もバキバキだぞ~!」


獲物が折れた剣闘士はクロの攻撃を辛くも避け、穂のついているもう片方を探す。すると、クロに刺さったままになった槍の先端部分を見つける。剣闘士は地面を蹴りつけると、地面はクロごと隆起する。剣闘士は浮き上がったクロの薙ぎ払きををかがんで回避すると持っていた槍の残骸を能力でマジックハンドの形に成型すると、クロの体に向けて伸ばす。彼は見事に槍の先端をキャッチするとそのまま槍を引き抜いた。

彼はそのまま槍を手元に戻し長さを整える。


「まさに変幻自在!槍は折れて短くはなっっているが、彼の手にかかればすぐに元通りだ。そして彼が操るのは槍だけにあらず、地面すら操るエイレーン、次はどうする!」


クロは横薙ぎの前脚を振るう。しかし、クロの顎に隆起した地面が直撃し、頭から胴までががら空きになる。剣闘士は槍を極限まで鋭く尖らせる。高速で伸びる槍はクロの頭部を貫通した。


「魔物の下顎から頭蓋を貫通する会心の…ってええ!」


勝者宣言をしようとした司会が大声のまま仰天の叫び声を上げる。

クロは頭に槍が刺さったまま下顎を広げると、そのまま剣闘士に噛り付く。クロの口でジタバタする剣闘士をそのままかみ砕くと、地面に吐き捨てた。


「おっと、動いていないが大丈夫かエイレーン。カウントが0になる前に立ち上がらないと負けてしまうぞ!10!9!8!」


司会に合わせて観客達がカウントを始める。しかし、カウントが0になっても剣闘士は動く気配を見せない。


「勝者!ラジット・ロ―――――イ!」


勝敗が決した会場にまたもや歓声と罵声にまみれる。クロは何かに導かれるように自分から入出ゲートに戻っていき、救護班が大急ぎで重傷の剣闘士を運んで行った。


「はー-----よかったー---!」


エルンは壁に寄りかかると安堵の表情を浮かべ、アーデンの肩に乗ったままのピーターも歓喜で翼をばたつかせる。そんな一人と一羽とは対照的にアーデンの表情は硬かった。


「あいつ、クロの体を貫通させやがった。」

「えっと、クロイツさん。何かおっしゃいましたか?」

「いや。あいつがここでどれくらい強いのかは知らないが、思っていたよりも剣闘士のレベルが高いと思ってな」

「それはそうですよ!」


そういうとエルンはパンフレットをアーデンに向かって広げる。


「この闘技場はティージの主要産業なんです。確かに捕まった異端を捕らえて収監する拘置所としての役割も担っていますが…」

「試合に出てるやつは訓練された強者揃いだ。強さを証明しろ、がうちの流儀なんでね」


エルンの後ろから一人の男が話に割って入る。エルンが驚いて振り返ると、そこには甲冑姿に身を包んだガブリエルの姿があった。二人と一羽が身構えるとガブリエルはおちゃらけたような身振りを返す。


「いやいや、そんな怖い顔しないでくれよ。別に聴取に来たわけじゃないんだから。」


ガブリエルはレーシンで二人を発見し、そのまま護送、聴取を担当した騎士だ。リリアが身元を保証したこともあり、護送中や聴取も圧を掛けられることはなかったが、仮にもソーンを連行した騎士隊の人間である。ソーンが囚われていることが明白になった今、二人にとって最も注意しなければならない組織の人間が目の前にいた。

アーデンは冷静を装うと、ガブリエルに向かって話しかける。


「闘技場内まで警備とは、仕事熱心だな。」

「いやいや、さっきの魔物の監視だよ。突然市民に襲い掛かったりしたら大変だろ?いざとなったら剣闘士じゃなくても誰かがやらないといけないんでな」


そういいながらガブリエルは腰につるした刀を見せつける。


「でそうそう、さっきの話の続きだけど、闘技場内で尊ばれるのは強さだからな。いかに強さで試合を魅せられるかがそいつの価値を決めるのさ、それこそ、化け物であることを帳消しにするくらいの価値があるかをな」


エルンはガブリエルの気迫に押されてたじろく、それを見たガブリエルはエルンに向かって笑顔を向ける。


「まあ、今日はいい見世物になるだろうし、楽しんでいってくれよ」


去り際にそんなセリフを述べると、ガブリエルは人込みに中に紛れていった。

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