第十四話 新しい朝 

ゴンゴンゴンゴンッ!


早朝、寒々しい空気が漂う個室のドアを誰かが思いっきり叩き続ける。



―疲れてるんだ。もう少し休ませてくれ。



「アーデン、朝だぞ!起きろ起きろ!」



俺の名前を呼ぶ声は、返事がないのを聞いてか聞かないでか、勢いよく扉を開けると布団の中にうずくまるアーデンに大音量で怒鳴りつける。


「おはよう!!!!!!!!!」


爆音に叩き起こされたアーデンは、上半身を起こしながら細目で大声の主に応対する。


「親父、返事聞かずに入ってくるなら、最初のノックはいらないだろ」


俺は寝起きでやや不機嫌な顔を養父に向ける。

親父はにやりと白く整った歯が見えるほどと口を広げると親指をドアの方へ向け、


「朝食の時間までに起きてこないお前が悪い!いいから早く支度して降りてこい」


とだけ言うと、そそくさと階段を下りて行った。アーデンは観念してベットから出ると着替えを始める。


ここはティージ内にあるネペンテス商会の本店、そこに併設されたラフレシア一家の本邸だ。俺とエルンはレーシンの地下礼拝堂にいるところをティージの騎士隊に発見され、生存者として聴取を受けることになった。半日以上荷馬車に揺られたあとも隊舎での聴取は夜中まで続き、ようやく解放された俺達は、待っていた親父に連れられ、空き部屋で休息をとったというのがこれまでの経緯だ。


結局、レーシンではソーンとは合流ができなかった。ことが済んだら、南門に集合してフュリスに帰る手筈だったため、そのまま騎士隊に連行された俺達は待ち合わせ場所に行けなかったのだ。ソーンは魔物化すれば機動力に優れるクロを連れているし、いつでも使える切り札があるといっていたが、流石にあの状態で合流できなかったとなると流石に心配になる。


―親父に頼んで、フュリスに向けて便りを出してもらった方がいいかもしれないな。


俺は一階に降りるとすでに親父とエルンは揃って食事をとっており、俺用の食事もすでに用意されていた。エルンは降りてきた俺に気づくと「おはようございます」と挨拶をする。俺は「おう」と短く答えて席に座ると、親父がクロワッサンを食べながら話しかけてきた。


「今エルンに聞いたが、ずいぶん大変だったそうじゃないか。全くお前、初めてレーシンに行ったら魔物で溢れてたなんて運が悪すぎるな。はっはっは」


親父は笑顔だったが、あの惨状を見た俺達二人は流石に笑うことが出来なかった。

騎士達の話では、現状では生存者はあの場にいた俺達三人しか見つかっておらず、未だにリリアと騎士達は捜索を続けているという。


口ごもる俺達を見ると親父は何かを察したように笑うのをやめる。親父は代わりに少し困ったように頭を掻き始めた。


「いや~、エルンの話だとリリアちゃんと会ったって言ってたから、騎士隊が何とかしたのかと思ってたが…」

「会ったの事実だよ。俺も会ったし。周辺の闇が引いた音でもせっせと巫女の仕事してるし、偉いもんだな」


エルンは未だに沈黙を続ける。俺も事の本質には触れなかった。レーシンでの被害については騎士隊に口止めされているためだ。騎士隊のメンツというのもあるだろうが、一つの町が魔物によって陥落したという事実が流布すれば大きな混乱が起こることは間違いなかった。

だが、この男をしてさっきの沈黙をごまかせるほど、俺達は饒舌ではない。

事態を察した親父は急に神妙な顔つきになると机の上で腕を組む。


「なるほど、お前たちが騎士隊舎に長時間拘留されてたのは、それが原因か。

アーデン、お前が異端であることは?」


「ばれてないよ。俺らが使ってた武器はリリアが隠してくれてるし、騎士に見つかった時もネペンテス商会のレーシン支店の人間だって、リリアが証言してくれたからな」

「なるほどな。それとあと一つ、お前達、レーシンへは何人で入った?」

「…?三人だ。俺とエルン、あとフュリスで知り合ったソーンっていう奴も一緒だったが、それがどうかしたのか」


俺は親父の質問の意図が分からずに質問し返す。親父は真剣な面持ちのまま俺の質問に答えた。


「お前達を載せた馬車がつく一時間ほど前、別の馬車が騎士隊舎に入っていくのを見たやつがいてな。断定は出来ないがそれがお前達の仲間を乗せたものである可能性が高い」


…。不穏な空気が食卓に流れる。嫌な想像などしたくないが、最悪を考えて動かなければならないときもある。今の状態で言えば、ソーンが魔物を操っている所を目撃され、事件の加害者であると判断された場合が最悪だ。取り調べが済み次第、秘密裏に処刑されてしまってもおかしくない。

段々と手汗が滲み出てくるのを感じていると、再び親父が口を開く。


「まあ、何も分からない状態であれこれ考えても仕方ないさ。まずは何より情報収集だ。フュリスにいるジャックと情報交換の便りを出そう。今までの憶測が見当違いで、彼がフュリスに戻ってる可能性もあるしな。それと、部下に隊舎や剣闘士の収容施設を監視させる。捕まった異端はここでは剣闘士にされるのが通例だからな。殺されてなければ、近々どちらかで確認できるだろう。この件についてはコッチで対応しとく、お前らは勝手に出歩くなよ。下手して捕まったら、同じ目に合うぞ」


そう言うと、親父は足早に商会の方へ歩いていった。父親の背中を見送るエルンは視線はそのままに俺に話しかける。


「マンジュさん。大丈夫でしょうか…。お父さんの想像通りでないといいですが」

「今の状態だと、なんとも言えないな。もしもソーンが捕まってるなら、同じ生存者の俺達も容疑者リストに載ってるだろうし、親父の言う通りに、今は静かにしといたほうがいいだろ」


そういって、席を立とうとすると、エルンは席に座ったまま、怪訝そうな顔で俺を見る。


「あの、マンジュさんが捕らえられているかもしれないのに、少し冷たくないですか。」


その表情には確かに抗議の意思があった。エルンは窮地に陥った人間を放っておけない性格だ。それは、レーシンで重々承知している。誰とも知らない人間を助けるために地獄を駆け回った彼女は、仲間のためなら、自身の身の安全などどうでもいいことなのかもしれない。だが。


「エルン、俺達は全知全能の神でも、完全無欠の英雄でもない。だから自分の手の届く範囲には限界があって、どんなにあがいてもその外にいる人のことは助けられない。それでも無理に手を伸ばせば次は自分が転ぶ事になる。そしてそういう時は大抵自分一人では起き上がれずに、誰かの助けが必要になるんだ。

転んだ子供に手を差し伸べるのは、大人の役目で仲間の役目だ。だけど手を差し伸べる方にだって無尽蔵に手を伸ばせるわけじゃない」


それを聞いたエルンは一瞬立ち上がろうと腰を上げるが、すぐに椅子に座りこむ。

自分の手の届く限界は、彼女がレーシンで痛いほど思い知っていることだろう。彼女は一人でも多くと願い、結局目の前の誰も助けることが出来なかったのだから。

エルンは拳を握りしめたまま暗い顔を浮かべる


―図星をついてしまったか。


俺としては前半部分は枕のつもりだったのだが、こうもへこまれると流石に申し訳なくなる。俺は小さく溜息をつくと言葉を続けた。


「別にお前がソーンを救出することに対して力不足だって言ってるんじゃないぞ。失敗してさらに状況が悪化する可能性が高いから、慎重にことを進めようって言ってるだけだ。それに、今回は俺達だけで行動してるわけじゃない。商会のみんなと歩調を合わせた方が、結果的にいい方向へ事が進むだろ」

「はい…。そうかもしれません」


エルンは依然顔を落としたまま椅子に座っている。頭では理解できても納得しきれていないのだろう。俺は食卓を後にすると二階の部屋へと戻った。



***



バンバンバンバン!!!!


それから二日たった日の早朝、俺は窓を強打する音に起こされる。


―一体誰だよ!ここ二階だぞ!


ベットから外を見ると、すぐに答えが分かった。見たことのあるインコが部屋の窓をくちばしで叩いていたのだ。俺はすぐに窓を開けると、インコを部屋へ入れる。

するとインコは大声で鳴き始める。普通の人間には鳥の鳴き声に聞こえるが、俺とこいつはすでに通訳パスで繋がっている。


「全く!こんなところで何やってんだよチキン野郎!」

「うるせえ、ボリューム落として要件だけ喋りやがれ」


ベットの上でバサバサと羽ばたきをしながら、ソーンであるインコのピーターは

全身で怒りを表現する。


「ソーンが騎士の連中に捕まってるってのに、何呑気に寝てんだよって言ってんだヨ!オーリーが伝えに来てくれたからお前とパスが繋がってる俺がわざわざ知らせに来たっていうのに!いいから今すぐ闘技場に行けヨ!」

「俺は今不用心に出歩けないんだよ。お前闘技場でソーンの姿でも見たのか」

「知らないヨ!この町に着く前に、オーリーに会って、これも伝えろって言われたんダ」


ピーター自身も確かな情報を握っているわけではないらしい。俺はフード付きのコートを選んで羽織ると、ピーターを連れて一回に降りる。朝食の準備をしていた二人を横目に玄関のドアノブに手を伸ばす。


「おい、どこ行くんだ」

「ソーンが伝書鳩よこしてきた。闘技場まで行ってくる」

「私も行きます!」


エルンは皿を置くと玄関まで走ってくる。俺達はそのまま家を飛びだした。


「気を付けろよー!」


遠くから親父の叫ぶ声が聞こえる、俺は振り返らずに手を振ると、一心不乱に闘技場へ走った。


「お客さん、今日は席は完売したから立ち見になるけど、それでもいいかい?」


疾走して息を切らした俺に、切符売りの男が尋ねる。意外な混雑状況に俺は切符売りに質問を返す。


「ここの闘技場は、いつもこんな時間から盛況なのか」

「まあ、いつもは朝は人が少ないんだが、今日は久々の闘獣だからな。」

「闘獣?剣闘士には異端が多いんだろ?普通の獣なんて相手になるのか?」

「お兄さんティージは初めてかい?ティージの闘獣はな魔物でやるんだよ、異端と魔物のガチンコ勝負ってわけさ!」


…。こいつら正気か?


俺は、両方の拳を叩き合わせる切符売りをやや真顔で見つめる。魔物を生け捕りにして施設で保管する、というのは野生獣を飼いならすのとはわけが違う。娯楽のためにそんな危険な真似をするなど正気の沙汰ではない。

だが、闘技場に入らなければ来た意味がない。俺達は二人分の入場切符を購入すると、闘技場内に入った。俺達は壁に寄りかかると試合が始まるのを待った。

エルンは切符売りから渡されたパンフレットを広げて、中身をチェックしている。

「最初の試合は、剣闘士の方と、狼の魔物の試合みたいですね。イラストだとかなりの大きさですが、こんなのどうやって閉じ込めていたんでしょうか…」


そうこうしていうちに、司会者が現れ、闘技場中に彼の声が響き渡る。


「お集まりの皆さま、大変長らくお待ちしました!これより本日の闘技会を開会いたします!」


会場中に拍手が沸き起こる。司会者はその場の空気をそのままになめらかな声で司会を続けた。


「では、今回の選手をご紹介いたしましょう。伸縮自在の槍使い、彼の前ではたとえ場外に出ようが、その必殺の間合いから逃れることは出来ません。セルダー----ン、エイレーー---ン!」


選手の入場にまたも歓声が沸き起こる。しかし、突然場内に響いた狼の遠吠えに、歓声はかき消され、会場は凍り付く。多くの者は本能的な怖れから、しかしこの会場で二人だけ別の理由を持つ者がいた。


「それを迎え撃つのは、南部の怪獣、その声は天地を引き裂き、その漆黒は太陽をも飲み込まんとする勢いだ!狼王、ラジット・ロ―――――イ!」


沸き起こる歓声やどよめきののなか現れたそれは、レーシンの南門で魔物化したクロの姿そのものだった。
















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