第十ニ話 鎖鑰の巫女

勢いよく壁に叩きつけられエルンは自分の意識が、段々と遠のいていくのを感じた。激突の痛みと鉄の香りのみが彼女の意識を繋ぎ止める。


(頭が重い…。目の前に居るのはリリアじゃないのかな…。えーっと、悪魔ってなんだっけ?石鹸で洗って水で濯いだらキレイになったりするのかな。)


鎖を外さなければ、また壁に叩きつけられるだろう。しかし、朦朧とした意識の中でエルンは思考が纏まらず、行動するほどの気力もなかった。エルンはそのまま引きずられ、風船の様に空中に放り出された。


その時外からの風が彼女の頬を撫でる。風は少し暖かく、何処か懐かしかった。



***


アーデンを殺す悪魔の少年の自由落下はアーデンの2メートル頭上で止まっていた。少年の腕は金色の鎖に絡まれ、鎖は瞬時に両手足に絡みつく。

少年は鎖の方向に目をやると礼拝堂の奥から修道服の女性、この町の巫女であるリリア・ダッチマンが壁に手を付きながら出てくるのが見えた。少年は舌打ち混じりに嫌味を飛ばす。


「おいおい、俺に負けて自分の町を失った巫女様が、今更になってお目覚めかよ」

「ええ、私は私の職務を全う出来なかった。住人達がどのくらい残っているかさえ、今の私には分からない。けど、この地をこれ以上は荒させない!」


彼女の覇気に応じ、鎖が光を放つ。すると鎖で縛られた部分が焼けただれ、少年は苦悶の表情を浮かべる。少年は自身の体を細く変形させて拘束を逃れると、彼女に向かって牙を剥き出しにする。


「まずおっさんの敵討ちかと思ったが、まずてめぇからだ。言っとくが、てめぇに手心を加えたおっさんはもう居ねえからな!」


言葉を吐き終わると、少年はリリアに向かって突進する。リリアは鎖を網のように交差させると少年を先程と上回る密度で少年を包み込む。

すると少年は小さな氷柱に分裂して拘束をのがれ、そのままリリアに襲いかかった。


リリアは鎖を束ねてガードするが、何本かがガードをすり抜け、リリアに小さくないダメージを与える。リリアが膝をつくと、氷柱は彼女の目の前で集合し、右手を振り上げた少年の姿となった。


「ふっ!加護を解除した戦闘特化って言っても死に体で俺に勝てるわけ無いだろ。見知らぬ男なんて放っといて、隅っこで隠れてれば良かったのによ!」

「そうか?俺は助けて正解だったと思うが」


少年は男の声に振り返り、攻撃目標を変えるがもう遅い。アーデンの攻撃は少年の腹を横一文字に切り裂く。少年は続く袈裟斬りを氷塊となって避けると脇目もふらずに縦穴から外へと逃げていった。少年の追おうとするアーデンを、リリアが「待って」と静止する。


「怪我してるでしょ?一人で追っても返り討ちに遭うわよ」

「…そうかもな。さっきは助かった。ありがとう。」

 

アーデンは剣を下ろすとリリアに向き直る。リリアも服のススを払いながら立ち上がるとアーデンに近づく。


「それはお互い様ね。あなたの治療もしたいけど、まずはこっちから」


リリアは顔の前で鞠を両手で持つように構えると、真ん中に光の球体が発生する。普段はお目にかかれないが、これが加護の原型、これを境界面ギリギリまで伸ばすことで、この世界は魔物のいない安全圏を作っている。準備を進めるリリアにアーデンは心配の声を掛ける。


「お前の大丈夫か、先に自分の治療をしたほうが…」

「私は巫女よ?町の加護の維持を最優先にする義務がある。それにあの子にとっても、これが一番わかりやすいと思うから」


リリアが球体を包むように五指を交互に組み、祈りを捧げると、一気に球体が膨張し、闇を押しのけていく。それはまるで冷たい雨雲が切れ、穏やかな太陽が顔を出したかのようだった。



***


加護の領域内の空気というのは、それを発生させている巫女によって違う。エリーが作っているカンナスの空気は清涼な感じがして、フュリスのは少し堅苦しい感じがある。そしてリリアが作り出すレーシンの空気は少し暖かい。御者として3つの町を頻繁に行き来する私はこの違いをよく知っていた。

エリーがさっぱりとした性格だったので、私はレーシンに訪れる度、ここの巫女は柔和は人なのだろうと思っていたのだ。


だが、実際に会ってみると、イメージとは中々にかけ離れた人物だった。


買い物のために教会前の道を歩いていると、教会内から爆走してきた修道服の女性に、急にお茶に誘われたのだ。職務中だと断ったのだが、買い物を終えて支店に戻ったら、ドアの前でさっきの女性が仁王立ちしていたのを覚えている。


それがここの町の巫女様だと知ったのは結構後の話だ。なぜなら、彼女との会話が普通の少女がするような、ごくありふれたものだったからだ。この前会ったときも、お茶の間の話題は雑貨屋で見つけたキーホルダーの話だった。


〜〜〜


「見てみてエルン!この熊のキーホルダー、この前裏路地にある雑貨屋で見つけたの!」


エルンが配膳されてきたミルクティーを口に運んでいるとリリアは店に入ってきて早々に、バックから2つのキーホルダーを取り出す。それは木彫りで雪うさぎとツキノワグマを模ったものだった。

リリアは「はいっ」とうさぎの方をエルンに手渡す。


「その店の店長さんが言ってたんだけど、ウサギは女性のシンボルなんだって!エルンは可愛くておしとやかだし、これだ〜!って思ったの」


エルンはリリアの話を聞きながらキーホルダーを眺める。白色に塗装されたそれは、確かに銀髪のエルンと重なるものがあった。


「ありがとうリリア、大切にするね。そっちの熊も誰かへのプレゼント?」

「ううん?これは私用。」


リリアに対して熊のイメージがなかったので、「おやっ」とエルンは首をかしげる。納得のいかない彼女に、リリアの答えは単純だった。


「だって熊って大きくてかっこ良くない?それに私蜂蜜大好きだし、いいかなって。今度エルンも一緒に行こうよ!うさぎと熊だけじゃなくて他にも色々あったんだから」


〜〜〜


リリアの言っていた雑貨屋に行った時、結局熊以上に彼女に合ったキーホルダーは見つからなかった。熊は力強さや無邪気さの他に母性を表し、本能的衝動のシンボルだ。


彼女の纏う雰囲気は、時に危なっかしく、時に圧があり、そしていつも優しくて少し暖かい。



懐かしい領域の雰囲気に触れると、エルンの頬が無自覚に緩む。


(なんだ。ちゃんといるんじゃないですか)


エルンは足に絡まった鎖を思いっ切り引っ張る。加護の展開された領域内において、魔物の行動は大きく制限される。貧弱な魔物は存在を維持出来ず、強力な魔物でもその能力を大きくて削がれることになる。

エルンは脆くなった鎖をそのまま破壊すると、エルンに引っ張られ、体勢を崩している悪魔に照準を合わせる。そのままハンマーのスイッチを全開に入れると共に地面を蹴る。瞬間、未だに状況の把握ができずにいる悪魔の顔を吹き飛ばすと、残された身体は倒れ、鎖共に塵となった。


エルンは脇目もふらずに、加護が広がってきた方角へ走る。さっきまで靄はもう晴れた。

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