幕間 1-1 偽笑の教皇
「聖女様。今、なんとおっしゃいましたかな?」
教皇は細めていた両目を開き、眼前の聖女に問いただす。その口調は未だ穏やかで"笑顔"と捉えられる表情だが、言葉の奥には先ほどまでにはなかった威圧感が込められていた。発言を聞き返されたエウルアは教皇の醸し出す空気にひるむことなく、自身の発言を要約する。
「私の結婚相手は私が自分で選ぶ、そういったのです」
「おやおやっ」と冗談かのように首をかしげる教皇に、エウルアは胸に手を当て、真剣な表情で言葉を続ける。
「私はこの聖都フロイズの加護を維持する身です。加護とは闇を遮り抑える力、ですからフロイズ周辺の闇の力が日増しに強くなっていくのが手に取るようにわかるのです。」
闇とは影と悪の集合。影とは光を何かが遮ったときに、その裏側にできるものだ。文明が発達し、建物やもの、そこに生きる生命が増えれば、その分だけ影とは増える。しかし、闇の力が影の増加で増えることはない。なぜなら、夜の暗闇は台地のすべてが影に覆われることであり、その最大値は太古の昔から決まっているからだ。
ではなぜ今、日増しに闇の力が増しているのか。答えは簡単で悪が成長しているからに他ならない。悪とは、知性を持つ生命の負の感情が影に混ざり合ってできたものだ。感情とは一時的なものだが、その感情が運悪く影と結びついてしまうと、当の本人がその感情を忘れても、影が感情を記憶し、独り歩きを始めてしまう。そう何度も起こる現象ではないが、人間の感情には際限がないゆえ、そこから生まれる悪にも際限がない。
「聖都の民達は今は笑顔で暮らしていますしかし、この町に眠る、怒りや悲しみ、恐怖はもう他の巫女では抑えきれぬところまで肥大化しているのです」
聖都フロイズに現状を危惧するヘウルアに対し、教皇の返答は簡潔だった。
「ふむ。では騎士隊の討伐目標を引き上げることにいたしましょう。聖女様の頼みとあらば彼らを喜んで実務に…。」
「そんなことを言っているのではありません!」
どんっ!とヘウルアは教皇の机に両手をついて身を乗り出すと声を荒げる。
「確かに、これだけの人数の民が暮らしていれば、定期的に境界面の闇を取り除く必要があります。しかし、それだけでは説明がつかないほどの今の闇の増殖スピードは速いのです。」
本来、感情とは長続きするものではない。なぜなら、感情を発露、維持させること自体に膨大なエネルギーを必要とするからだ。感情の暴走を抑えるための手段として、深呼吸をしたり、現状を考え直すことが有効であるように、どんなに強い感情でも時間によって風化してしまう。
しかし、長続きする感情も存在する。それは肉体に起因する感情と理性によって正当化された感情である。
空腹感やひもじさは実際に食事をするまで持続するし、ケガをした際の痛みやそれに付随する後悔や悲しみは完治するまで度々引き起こされる。また、恨みや妬み、差別や偏見はそれを裏付ける理念が存在する、本来感情を抑えるための働きをするはずの理性が感情を引き起こすため、強力な負の感情が長時間に
本来偶発的にしか起こらない悪の発生が、持続的な負の感情の前では必然的に起こる。そして今、教会は異端に対する圧力を強めている。エウルアはこれこそが昨今の闇の増長の原因だと睨んでいた。
「我々教会の迫害運動が闇の増長の一助になっている可能性があるのです。迫害運動を取りやめ、彼らに対する偏見を取り除ければ…」
「だから、婿の選定という名目で異端を聖都に招き入れるために、アテネ全域の"英雄"を招集すると?」
―っ!?
ヘウルアの言葉を今度は教皇が遮る。眼鏡の反射により教皇の目はエウルアからは丁度見えなかったが、先ほどよりも重鈍な声はヘウルアの勢いを削ぐのに十分な迫力だった。ヘウルアは唾を飲み込み話を続けようとしたが、教皇が口を開く方が速く、その場の空気を完全に自身に引き寄せた。
「悪魔の子である彼らに、この地を踏ませることなどありえません。むしろ彼らの存在を許すことこそ神への冒涜。彼らこそが闇の増長の元凶なのです。
かつて神がいた時代、すべての神は金髪であったとされています。逆に、悪魔には金髪がおらず、紫や白、黒の髪のものが多くいました。
親の遺伝子は当然、子に受け継がれるのも、英雄が神の子であるというなら、金髪でない異端が悪魔の子であるのは明白でしょう。」
「それは憶測に過ぎません!私があった紫紺の少女は確かに私のいm…」
教皇は足で机の裏を蹴ると、机は「ガタンッ!」と大きな音を立てヘウルアの言葉を遮る。彼はそのまま立ち上がると、「失礼」といいまた表情を笑顔に戻す。
「あなたは聖女で、教会の象徴なのです。侍女たちの噂になっていましたよ。朝部屋につくと聖女様が泣いていらしたと。あなたがその様子なら民衆の気運も下がるというもの。政治の前に、ご自分の心の整理をなさってはいかがですか?」
教皇はそれだけ言い残すと部屋を出ていき、そこには唇を噛むエウルアだけが残された。
***
――――あの陰険頑固じじい‼
部屋を出たヘウルアは教皇への恨み口を大声で叫、んだら大変なことになるので心の中に押し込める。
――私が抑えきれぬほど闇が深くなったり、私に万が一のことがあったらあのじじいはどうするつもりなのだろう。
はじめからこちらの意見を聞くとは期待していないし、半ば宣戦布告をしに行ったようなものなのだ。
エウルアは自室に速足で戻ると、部屋の前にはアルべリヒと二人の男女がこちらに気づいて敬礼をしているのが見えた。二人は先ほどアルべリヒに頼んでおいた広報担当だろう。ヘウルアは胸のむかつきに別れを告げると、ドアを開けながら笑顔で応対する。
「待たせて悪いわね。アルべリヒ、二人は頼んでおいた方々ってことでいいのかしら」
「はい。役所の広報部門から、
「ありがとう、助かるわ。」
「いいえ!とんでもございません。しかし、異端の者を聖都に招集するのはよいとして、本当に応じてくれる者が現れるでしょうか?」
教会は異端を迫害対象としているが、迫害の実施度合は場所によってまちまちだ。教皇が実権を握る聖都フロイズでは入場自体が禁止で、潜伏がばれてしまえば投獄され一生牢屋の中だ。北部の都市バスや西部の都市ナヴュールでも司祭が教皇の重臣であるため、同様の政策をとっている。しかし、東部の都市シェリーは摘発に積極的ではなく、南部の大都市ティージに至っては剣闘士としててはあるが異端の英雄が暮らしており、実力によっては騎士隊に取り立てられることもあるという。
ティージのような例外はあれど、大半の町が摘発に積極的ではないものの、ばれてしまえば追放や村八分といった処分にするというスタンスをとっており、自身が異端であると主張すること自体に過分なリスクがあるのだ。
また、凡人が能力を使っていない異端と一般人を見分けることは困難であり、多くの異端は身を潜めて生活していると言われている。
ヘウルアは考え込みながら白紙の企画書を広げる。
「難しいでしょうね。ですが、彼らには英雄になってもらわなければなりません。」
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