【長桑君(チャンサンチン:タウィルトゥチ)】
【長桑君(チャンサンチン:タウィルトゥチ)】の【龍】の名は【ウアジェト】羽の生えた黄金のコブラ。
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紀元前3150年頃、上エジプトのナルメル王は武力で上下エジプトを統一したものの、広大な国の政に頭を悩ませていた。
ナイル川下流に発展した下エジプトの20あるノモス(現在の州・町などの行政区分)。 そのうち最も河口よりの『ロゼッタ』の祭司かつ長官【ノマルコス・タウィルトゥチ】。 数少ない女性長官でなにより【守護神と対話しうるもの】として、上エジプトでも最上流の『アブウ』までその名が聞こえていた。
太陽とシリウス星が同時に昇るころに氾濫する『母なるナイル』は豊作の恵みと疫病を同時にもたらした。 比較的に被害の少ない上ナイルと違い、下ナイルでは年中続けられる灌漑工事の甲斐なく、ノモスの半分が濁流に流されることもしばしばであった。 統治というより生き残るための集合体としてのノモスが多かった。そのために一部の権力者を除き抵抗するものもなく、短期間で下エジプトを制覇することができたのだ。
静かに荒れ狂う強大な濁流に潰される家屋、呑まれる家畜、流される人々、なぎ倒されもう実ることのない農作物。全てが恵みをもたらすはずの太陽の下に土に還らんと腐っていく。
そして流行る疫病。
そんな下ナイルのノモスの中でまったくと言っていいほど被害を受けず、それどころか氾濫を利用して穀物の土壌を整えてしまうというまさに神がかった行政を行っているのが『ロゼッタ』の女性長官だった。
彼女はそれだけでなく、さらには『長桑(ロングマルベリー)』を使った治療を得意とし、熱や咳には葉を煎じ、傷やムカデにかまれた時などは葉や皮の乳汁を塗り、骨折には蒸した枝を添え木にし、体が冷たいものや目の暗いものにはその実を与え、吐血や重病人には根を煮詰めたものを飲ませた。そのため『ロゼッタ』では赤子から老人まで素晴らしく健康で、人口が増え続けている、下エジプトでは数少ない『ノモス』であった。
奇跡とも呼べる報告を受けたナルメル王は上下エジプトの境界線に定めた首都『メン・ネフィル』に【ノマルコス・タウィルトゥチ】本人を呼び寄せて、氾濫を利用する方法を担当官と明文化し、氾濫の兆候を上流から下流への伝達を速やかにする定めをまとめると、本人の希望もあり『長桑(ロングマルベリー)』を使った治療を上下合わせて42のノモス全ての神官(当時は医官ではなく生命に関わる全ての事は神に仕える神官が執り行っていた)に教授するように命じた。
首都を出て3つ目のノモスの『ナルト・ケンテト』では、神官が祈祷のため州都『アル・ファイム』ではなく、北西にある『モエリス湖』に浮かぶ小島【マールブク島】に籠っているというのでそこに向かった。
湖畔の小さな村から領民がティラピア漁に使う葦の小舟で【マールブク島】まで渡り、やっと神官に会うことができた。
砂漠の中にある半月型の淡水湖の中に浮かぶ小さな砂漠という形の奇妙な島の中央にさらにまた小さな『オアシス』があった。大人6人で手をつなぐくらいの大きさだが、底が見えないほど深く澄んだ青く冷たい水が満ちていた。
オアシスの周りには一本の大きなナツメヤシが木陰を作っているほか、祭祀に使われた後のソルガムがわずかばかりまとまって植えられ、神官の食料をまかなっているようだった。それ以外にもフワフワした草や、トゲトゲの草、黄色い小花のマメ科の植物や、赤い花を咲かせる枯れたような枝など、明らかに周囲の砂漠よりも生命を感じられる場所だった。
一つ前のノモス『ナルト・ベフウト』から株分けしてきた『長桑』の苗木を、乾燥を防ぐために革張りにした背負子から取り出して6本すべてをソルガムから離した場所に植えた。
この『長桑』は成長が早く実成の良いものを代々交配させて【タウィルトゥチ】が作り上げた品種でその実は中指ほどの大きさで濃赤黒から濃紫の大粒が山のように育つのだ。ただ、そのため土地が瘦せてしまい、他の作物が育たなくなることがあるため、肥料が欠かせない。そこで、毎年1/3の実は摘まずに置いておくと、その実を食べに来た鳥や獣がフンをして次の年の栄養を土に還してくれるのだ。
そして新しい株もまた芽吹く。
わずかばかりの雨季が終わり気持ちの良い昼間の気温とは違い、日が暮れると20度近くも下がって一気に肌寒くなる。オアシスの側に黄土の天日干しレンガで風砂をよけるために建てられた小屋の中で、かまどで炊いたソルガムの粥と持参した干し桑の実と小麦酒を蒸留したものに桑の実と蜂蜜を漬け込んだルビー色の酒で、夕食を済ませると、【タウィルトゥチ】はその小屋の主である年老いた神官とランプの揺れる灯りの下、『桑の薬効と使い方』や『桑の育て方』などを解りやすく話して聞かせ、パピルス紙にヒエラティック(神官文字)に正しく記載されるのを見守っていった。
上下エジプトのノモスにはそれぞれに守護神である【聖獣】がおり、それを象った標章があった。ここ『ナルト・ケンテト』のそれは『ティラピア』という大きなものだと体長40cmのもなる淡水魚で、天候に左右されることない貴重な食糧源として、この湖の辺りでは厚い皮に切れ目を入れて香辛料と塩で煮るのが定番のおかずとなる。その『ティラピア』の中で金色のものは『神の使い』として投げ網漁で網にかかっても放すことと定められていた。
全ての知識を伝え移し終わるのに月が6回生まれ変わり、今宵は無月夜だった。
いつものように老神官が部屋向かいの寝台で寝息を立てるのを見やってから小屋の外に出た。
砂漠の夜は深く蒼く広くそして無数の穴から光が漏れるように眩いばかり星達。月のない今夜は尚更、輝きが音となり降り注いでくるようだ。
これまで幾度となく見上げてきたが、見るたびに新しい喜びが胸の中に広がっていくのを感じる。
(痛っ)
星が流れたのにつられて踏み出した左足先に鋭い痛みを感じて目を下に向けると、砂の中から顔を出した灌木の尖った枯枝がサンダルの脇から小指を傷つけていた。
(綺麗な水で洗わなくては)
小屋の反対側へ小指を浮かせるようにして振り返ると、あわせ鏡のごとくオアシスの水面に満天の輝きが揺れている。
(揺れている?今夜は風がないのに?)
【タウィルトゥチ】はオアシスに1歩2歩と近づいていく。
(洗ったら、そこの桑の枝を折って、乳汁を塗りましょう)
更に近づいて水の際まで来た。
つま先が水に触れ、一筋の血が滴り落ちた瞬間、水面にありとあらゆる色が輝きだし、映っていた星の姿が見えなくなった。
(あれは月?!)
湖面の中央の月と見えたものはさらに黄金に輝き、ユラリと鎌首を持ち上げた。
(蛇!?向かってくる!?)
血の匂いに惹かれたのか、スルスルと音もたてずに水面を這ってくる黄金のコブラには小さな羽根があった。
(守護神!!!)
チロチロと舌で血をその身に取り入れると、足元からスウと人の様に立ち上がり、【タウィルトゥチ】の目の前にコブラの丸い目があった
(綺麗な眼)
》名を呼べ《
金色の体に胸の∞の形の模様だけ緑の炎が輝いていた。
「【ウアジェト】」
》良い名だ《
満天の下に自然に行われた儀式を見つめる者があった。
その闇に紛れる黒い影が星の光を映す三日月型のナイフを手に近づいて行った。
「おめでとうございます。【タウィルトゥチ】」
「【ケンティ】 !」
「さあ、儀式の続きを行いましょう。」
静かな声で老神官は言った。
「儀式って?!これは何?!」
》何百年ぶりか、新たなる【龍】は《
頭の中に響くような別の声に驚いた【タウィルトゥチ】が老神官の肩の上を見ると、闇より一際黒い漆黒のハゲワシがいる。
「これは私の【ネクベト】ですじゃ。」
落ち着いて答える老神官の輝く瞳、そうか聞いたことがある
「あなたは『守護神』の加護を受けていらっしゃったのですね。」
「そう。あなたも『守護神』古くは【龍】と呼ばれるこの世の理の一部と一つになるのです。まずは儀式を済ませてしまいましょう。膝をついて首の後ろを出してくだされ。くわしくはその後で・・・」
儀式を終えて【龍人】となった【タウィルトゥチ】は、翌朝早く次のノモスへと旅立った。
12年ですべてのノモスに『長桑』の治療法を伝授し終えて、その報告で首都のナルメル王に謁見を求めた。
「おお、大儀であった。各ノモスより良い報告が届いておる。よくやった。それにしても【ノマルコス・タウィルトゥチ】よ、そちは何一つ変わらぬが、それも『長桑』の恵みか?」
落ち着きのある低い声が以前より柔らかく感じられるのは、王の黄金の玉座の隣に置かれた黄金の椅子にちょこんと座っているまだ若い皇太子殿下のおかげか。
皇太子はこちらを見ると嬉しそうに無邪気に手を振った。
王妃に似たのであろう大きな黒い瞳が好奇心でキラキラと輝いている。線が細く、病気がちといううわさも本当なのだろう。後で『干し桑の実』を下女に渡しておこう。
明らかに年老いたナルメル王と違い、以前のままの【タウィルトゥチ】に王は問うた。
「恐れ入ります、王様。『長桑の実酒』は確かに若さを保つ効果がございます。」
「それならば、わしも飲んでおる。他には、何かしておるのか?」
「実は、私は守護神の加護をこの身に受けております。」
そう答えた女神官を王はじっと見つめた。
(このエジプトは太陽神を始め、多くの自然に神があり、まれに選ばれし者に宿ると信じられている。おそらくこの女には『長桑の神』が宿っているのであろう)
「王たるわしは、そちのような神の加護を受けられぬものか?」
「恐れながら、こちらがお見えになりますか?」
【タウィルトゥチ】はそう言って自分の頭の上を指差した。
その細い褐色の綺麗な指の先を息を止めて注視してみたが、暫くのち息を吐きながら
「…何も見えぬ」
》この人間はダメだな《
【タウィルトゥチ】の頭の上で小さな金色のコブラは羽根を震わせて呟いた。
(そのようね)
「どうした?」
「我が王よ、残念ながら。」
「そうか。わしは神の加護は受けれぬか。それも神の思し召しだな。では、代わりにそなたに命ずる。『不老不死』の薬を探してまいれ。この子【メネス】の為にもな。」
「はい。仰せのままに。必ずや。」
こうして彼女はナルメル王に『不老不死』を探すよう命じられた。
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