【メイフォン・タンリディン(美鳳女神)】

【メイフォン・タンリディン(美鳳女神)】



名前の通り美しいこの【龍人】・【メイフォン・タンリディン(美鳳女神)】は今年の上海国際映画祭で最優秀新人女優賞にノミネートされている。


 15歳になって新疆芸術学院附属中等芸術学校のダンスクラスを卒業したメイフォンはそのまま新疆歌舞団のダンサーになった。ウイグル人らしいハッキリとした目鼻立ちと、スラリとした長い手足は年齢よりずっと上に見られることが多かった。

 17歳になって両親の勧めもあり、ウルムチから3000kmも離れた吉林省の東北師範大学民族学院の予科に進学し、入学後すぐに吉林省の歌舞大会で入賞するほどウイグルの民族舞踊の才能を開花させた。


 3年後の8月。中国の40大イベントの一つである『中国シルクロード・吐魯番(トルファン)葡萄祭り』が開催されることになり、祭り期間には、砂像フェスティバル、葡萄早食い大会、髪結い大会、ウイグルの伝統芸術ダワズ(高所綱渡り)、ウイグル風ナン作り大会など、民族の特色を生かしたイベントが盛りだくさん行われる予定とされ、その一番の目玉が【新疆歌舞団】による『12ㇺカーム』演奏だった。


 中国の西北部に位置する新疆ウイグル自治区 の中心都市、烏魯木斉(ウルムチ)から車で2時間ほど高速道路を飛ばして着く、東の古い交易都市が吐魯番(トルファン)というオアシス都市。


 オアシスといってもシルクロードのオアシス都市は三つのタイプに分けられる、一つは川の水を利用したオアシス(カシュガルやホータンなど)、もう一つは湧き出る泉を利用したオアシス、最後がカレーズと呼ばれる世界的に見ても歴史のある大規模な地下水路を利用したオアシスで、トルファンはこのタイプを代表するオアシス都市だ。

 そこからさらに東に50km離れたばしょにある火焔山は、山肌に激しい縦皺が刻まれた赤い泥岩と砂岩の広大な山で、西遊記で孫悟空が羅刹女の持つ芭蕉扇を求めて牛魔王と戦ったことでも有名なトルファンの一大観光スポットだ。

 そのさらに先にあるのが吐峪溝-麻扎村(トゥユゴウ-マジャ村)だ。

【チュエおじさん】の故郷で、中国国内でのイスラム教の最古のメッカとされているが、あまり観光地化されていない素朴だが少し排他的な感じのするここもまたオアシスだった。

 村に入ると天日干しレンガ造りの黄色一色。唯一イスラム教のモスクの建物で先端に三日月のついた4本の小塔が緑色の輝きを目立たせている。

入り口の立て看板以外にこれと言って観光客用の施設があるわけでもなく、ただ綺麗な目をした子供達が葡萄干しの手伝いをしながら屈託のない笑顔を見せてくれる。


『葡萄祭り』を明日に控えたその日はチュエおじさんの親戚の叔母さん家で、羊肉とタマネギ・パプリカのラグ麵とデザートによく冷えたハミ瓜で昼食をすませた。殻付きアーモンドと新疆本場の和田棗(ホータンナツメ)と味の濃い和田胡桃(ホータンクルミ)そして山盛りのドライ・シャインマスカットとポットにドラ茶を入れたバスケットを持って、村の外れにある鳳凰溪に向かった。

出がけに叔母さんがすでに晩御飯の準備をしているのが見えた。

酸湯曲曲(サンタンチュチュレ)というウイグル式のワンタンで具は羊肉とタマネギ・ニラを塩と香辛料で下味をつけたものを、羊の骨と野菜でとった出汁にトマトを加えた酸味のあるスープで煮込んだツルっプリっとしたワンタンの中から肉汁と旨味がジュワーっと出てくる。いわゆる漢族の『中華料理』とは一味違った『シルクロードの味』がする。メイフォンの大好物だ。


 黄色い土地が赤い火焔山の裾に潜り込む様に深い渓谷が現れた。人気のないそこは、土地の者でも春節に、赤い小さな祭壇を設け、葡萄酒や焼き菓子などのお供物をして、渓谷に向かって赤い紙を鳥の形に切ったものを鳳凰に見立てて願をかけて飛ばしに行くくらいしか行かない、幅12m深さ30mほどの小さな赤い渓谷の底には、地表に出ているカレーズが澄んだ流れを見せている。谷底からヒヤッとした風が吹き上げてきて心地良い。

娯楽の少ないこの小さな村では到着早々、有名なチュエおじさんの演奏が聴きたくて、村人達が仕事の手を止めて集まってきた。

 チュエおじさんは誰か知らない年配の男に差し出された古いが大切にされてきたらしい『ラワープ』を手にすると簡単な調弦をするだけで何の前触れもなく弾き語りを始めた。それはメイフォンも大好きな曲で、よくねだって弾いてもらった『王子と鳳凰』だった。曲のあらすじは、敵に追われて砂漠に逃げ込んだ王子が、追っ手に見つかりそうになった時、焚き火の炎の中から現れた鳳凰に抱き抱えられ、そのまま炎の中に身を隠してやり過ごしたというもので、ドラマチックな演奏と相まって、ドキドキさせられる比較的短い一曲だった。夜にまた宴の席で、今度はメイフォンが踊りも披露するとチュエおじさんが告げると、満足して皆仕事に戻っていったのだ。

「それで、どうするかもう決めたのかい?」

チュエおじさんに真っ先に相談したのは昨日の夜のことだった。

 

 この5月に初出場で入賞を果たした吉林省の歌舞大会の審査員の一人で映像関係の仕事をしている人から、オーディションを受けてみないかと声をかけられたのだ。今流行りのSF歴史ロマンものの連続TVドラマで、1シーズン45話という大作で、ヒットすればシーズン2、シーズン3と続編が作られる。その新作で、主役の『天帝』役を務める俳優は今をときめく『張倫(チャンルン)』で、その相手役のヒロイン『烏梅(ウーメイ)』は女神族の長の一人娘で、世間知らずのおてんばで、ある日魔神族に襲われているところを天帝に助けられて一目惚れするというお決まりの設定だが、実際のところちょっと興味がある。ただ、人前で歌ったり踊ったりするのが好きな反面、極度の恥ずかしがり屋で人見知り、舞台が終わって表現者スイッチが切れると人目を避ける様にまっしぐらに楽屋に逃げ込む様な性格なのだ。

「一応受けてみようと思う。一応ね。『チャンルン』に会えるだけでも同じクラスの子に自慢できるもの。でももし受かっちゃったらどうしよう。有名人になったらと思うとちょっと心配。あーあ、さっきの曲の王子みたいに姿を隠してくれる鳳凰がいればなぁ。」

「ほっほっほ。すっかり有名人になったような口をきいておるな。」

「ねえ、チュエおじさん、オーディションについてきてくれない?上海なんだけど、保護者の分も交通費出すって言ってくれてるの、ダメ?」

赤い谷の縁ギリギリまで近寄りながらそう尋ねた。

「本気なのかい?お父さんとお母さんには言ったのかい?」

同じように崖の端でヒョイと身軽に30m下の水面を覗き込んだ。

水面から少し上のところに1尋四方の平らな窪みがあり、いつもは谷と同じ赤い土の色をしているただの岩場だが、今日は

「おッ。珍しいな。今日はついとる。お前さんにアレは見えるかな?」

悪戯っぽく顔中の皺を寄せながらチュエおじさんは横の少女の顔を覗き込んだが、メイフォンは黒い長いまつ毛の大きな目をさらに見開いておまけに口も開いて覗き込んでいた

「なに、あれ、輝いてる、綺麗、本物の鳳凰なの?!」

 チュエおじさんの方を振り向いた時に足元の赤い泥岩が砕けバランスを崩したメイフォンは開いた指の先の先まで伸ばしたがそこには空があるばかりで、くるりと半回転し仰向けのまま落下していった。2.47秒後には下の岩場に叩きつけられて赤い地面をさらに別の赤で染め上げてしまうだろう。

 チュエおじさんは目の前で可愛い弟子が落ちた瞬間、何の躊躇いもなく飛び降りた。

瞬時に大きな黒い鵲(カササギ)に姿を変えて、空中でメイフォンの細身の体をキャッチすると30m下の赤い地面に静かに横たえた。

 メイフォンは目を瞑ったままだったが、軽い衝撃のあと落下が止まったのを感じて、恐る恐る目を開けてみた。

「チュエおじさん?!」

「大丈夫かな?」

「あれ?あたし、落っこちて…もしかして死んじゃった?」

「おいおい、お前はまだ生きているよ。もちろんワシもな。」

「おじさん、それ?!」

 チュエおじさんの左肩に光り輝く立派な鵲が留まっているのを見てメイフォンは思い出した。

 小さい頃一度同じ様に留まっているのを見たことがあった。

家の中なのに変だなと思っておじさんに尋ねた。「これが見えるのかい?」と聞かれ頷くと

「この子は【ピカエ】おじさんの大事な友達なんだ。みんなには内緒だよ。」と頭を撫でられて、それっきりそのことはすっかり忘れていたのだ。


「その歳になっても見えるとは。間違いない。メイフォン、お前は【見人】じゃ。」

初めて聞く言葉に、問うような眼差しを向けたその長いまつげのすぐ先に輝く鳳凰が舞い降りてきて

》名前をつけて《

「薄紅色の唇から自然とその名が出た【ファンニャオ】………」


 幅の広い高級木製の螺旋階段をできるだけ足音を立てないように下のフロアーに降りていくと、3つあるリビングルーㇺのうちの真ん中の丸いバカラのシャンデリアのかかったテーブルにマネージャーでもあり、師匠でもある【チュエおじさん】の小さな背中が見えた。

「随分と長い風呂だったな。散歩にでも行っとるのかと思った。」

「(…バレてる)あのね、明日の下見をしておいた方が良いかなーと思って、【ファンニャオ】でちょっとひとっ飛びして…」

「お客様じゃ。メイフォン。」

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