第34話 宮殿へ

 その日、師匠にみるくを預けた。

「みるく、師匠のところでずっと大人しくしておいで。そしてなにかあったら、村のみんなを守ってやるんだぞ? いいな?」

 倉庫にあるみるくブランドの扱いは師匠に一任した。

 司令官方から下賜された品々は、おれがいなくなれば自然にお手元に戻るだろうとのことで、わざわざ返納に行かずにすんだ。

 ダミニは自分も連れて行けって大泣き。言い含めるの大変だった。

 戦う時いつも一緒だったから、おれも寂しいけど。

「帰った先で戦争なかったらどうすんの」って、やっと説得した。

 パパドは実体。拝謁する時の着替えとか持って。

 おれは小さなカバンひとつ。

 中に入ってるのは、新品の作業着と靴。

 陛下にお目通りするのに特別な服は要らないって。

 普段のままの、その姿で御前に参じよと、パパドのご指導。

 おれもその方が絶対楽。変に堅苦しい服なんか着せられたら、右手と右足が一緒に動きそう。

「すべてすんだか、サエキ」

「すべてとはいかないけど、できることは最低限すませてきた」

「うむ。ではまいろうか」

 サマエルのとこに行った。

 樹にもたれて座って、手の上で実を遊ばせてた。

「最後に食ってく?」

 そう言われると、食べないと惜しい気がして、もらって食べた。

 うわあ、懐かしい! そしてやっぱり美味しい。

 死にそうだった時に食べさせてもらったことや、——地獄の飛行訓練とか、記憶が鮮明によみがえってきた。

「最後の最後までありがと、サマエル。絶対忘れないよ」

 サマエルは一瞬、変な顔をしたけど、すぐにすまして笑った。

「元気でな。楽しかったよ」

 一瞬で帝都に着いた。

 皇帝府が用意してくれた宿は、すっごい高級だった。

 御用達ってことだ。

 田舎の農夫風情は、少しでも宮殿に似た雰囲気に慣れておけという、温かいご配慮。

 謁見でやって来る堕天使はみんなここに泊まるって。

 皇帝府の許可を得て、謁見室周りに似せた設備があるって。

「まず、控えの間がある。ここにてお目通りの告知を待つ。次に謁見。壁を背に中央に陛下、脇侍のおふたりの他、緋毛氈を挟んだ左右に親衛隊員が五名ずついる」

 緋毛氈緋毛氈……ああ、レッドカーペット。

 イメージはわかった。

「問われたことには落ち着いて答えよ。なにもあわてる必要はない。陛下はご寛容であられる」

「わかった、なんとか頑張る」

「まずは玉座より離れた位置にて膝を折り、陛下のお言葉を賜る。のち、お前は前に進み出、五段上の玉座に上がり、陛下の御前にて再び膝を折る。むやみに頭を上げてはならぬぞ」

「え? 玉座まで行っちゃうのっ?」

「当たり前だバカ者。陛下の玉体をお前の前に運ばせる気か」

「五段?」

「そうだ」

「踏み外しそうだよ……」

「控えの間に引きずり戻して折檻してくれるわ」

「報奨、取り消し……?」

「陛下はたいへんご寛容ゆえ、そのような懸念はない——だからといって気を抜くでないぞ。気を抜いてよいのは寛ぎの間だ。謁見後に休憩する部屋だ」

 休憩室なんかあるのか。

 そりゃそうだよな、陛下に謁見とか、緊張でバキバキになるもんな。

 そのまますぐに帰るとか無理だ。

 パパド先生のご指導のもと、繰り返し練習した。

 所作自体はきちんと覚えたと思う。

 そうして、当日の朝が来た。

 妙に落ち着いてた。

 宮殿に参じるのは午後だけど……やっぱりナオは間に合わなかったみたいだ。

 この世界で最後の食事をして、着替えた。

 おれはいつもの作業着と靴。シンプル。

 一方のパパドは半端ない。

 長い銀髪を結い上げて、服はまるでサリー。

 インドの女性が着てるような、体に布を巻き付けて、その端を肩から前に垂らして。

 深い紺色の生地に、小さな銀の玉みたいな刺繡がたくさん。

 まるで満天の星のよう。

 結い上げた髪は冴えた月光みたい。

 夜の空を上品に優雅に舞う賢者。

 これが本当の『マドハヴァディティア』の姿なんだな。

「仕度はよいか」

 思わず見とれてて、声をかけられて我に返った。

「う、うん。おかしくないかな?」

「それでよい。普段のお前のままだ」

「パパドは普段のパパドじゃないけど」

「致し方あるまい、公に陛下の御前に参ずるのだからな」

「でもカッコいいよ」

「正装なればこそ、いかに美しくとも足りぬ」

 めっちゃ美にこだわってます……。

 迎えの馬車が来た。

 ここから視界に入る、いつもナオとランチしてた屋台があるあたりを見た。

 やっぱり、最後に会いたかった……そう思った。

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