第30話 災い転じて

 大増員された兵士さんたちと村民総出で一日半かかった。

 負傷した兵士さんたちも大勢いるし、しばらくは村も落ち着かないな。

 サマエルはうちの客間で静養中。

 力をありったけ解放してしまったらしく、当分回復しないって。

 ひたすら眠ってる。

 堕天の実食べたら回復するかなと思うんだけど、実をもぐ権限はサマエルにしかないので、おれたちは勝手に穫れないんだよね……。

 サマエル自身は非国民だけど、樹を託したのは陛下なので、臣民としては禁を破れない。

 みるくは村のはずれで一生懸命働いてる。

 炎の指輪を首に提げて、天使の肉片焼き。

 パパドはサマエルの代わりに堕天の樹を守ってる。

 そしておれは師匠に「畑の一角の葡萄がダメになりました」と悲報。

 さすがにちょっと悲しげだったけど、ほとんどの木は無事だったからって、納得してた。

 他所のお宅の樹じゃなくてよかったって。

 ひと息ついた二日目の夕方、問題の畑に行ってみた。

 凍ってた葡萄、溶けかかってる。

 実がしなびて見る影もない……収穫寸前だったのに。

 丸くて張りがあって、この葡萄はいい酒になるって、師匠喜んでたのに。

 廃棄処分……農民の悲哀。

 せっかく手塩にかけて、たっぷり愛情込めて育てたのに。

 捨てなきゃならない葡萄の収穫。悲しい。

 とても夜までには終わらないな。明日もこの切ない作業が続く。

 ほんと、農夫として心折れる。避けたかったなあ、冷害。

 氷葡萄、かあ……水も滴るいい葡萄……それ違う。

 ずいぶん水気抜けちゃって、汁の絞りようもない。

 それ以前に品質に問題あるんだから使えない。

 でも、これも勉強だ。凍った葡萄がどうなるのか、身をもって体験試食。

 ドゥルーヴ先生だって言ってた、なんでも経験だって。

 一粒摘んで、ため息ついて、口に入れた。

 …………?

 なにこれ。

 めちゃくちゃ甘いんですけど。

 もともと、葡萄酒用の葡萄は甘い。普通に食べるのよりさらに甘い。

 糖分が分解されてアルコールになるので、甘くないと十分に発酵しなくて、いい酒にならない。

 や、それにしても甘すぎるくらい甘いぞ? まるでお菓子。

 もったいないなあ、こんなに甘い葡萄を捨てなきゃならないなんて。

 ——え?

 思考、立ち止まる。

 人間界にはめっちゃ甘いワインがある。デザートワイン。

 貴腐ワインっていって、収穫前に特殊な菌を実につけて脱水させるんだけど。

 おれの記憶が確かなら、もうひとつ、デザートワインには製造法があって。

 アイスヴァイン——一度だけ飲んだことがあるけど——葡萄の樹をわざと寒気に当てて実を凍らせる。

 実が凍る時に水が抜けて、味と甘みが強くなる……。

 なにこれ、もしかして宝の山なんじゃないの?

 災い転じて福と成しちゃった!?

 いくつか房を摘んで、大急ぎで帰った。

「おお、サエキ。葡萄の損害はいかほどだった?」

 やっぱり少し落胆した師匠。

「損害ゼロ! っていうか丸儲け!」

 なに言ってんだ? って顔をする師匠に、溶けかけてしなびた葡萄の房を差し出した。

「食べてみて! だまされたと思って!」

「凍ってしなびた葡萄を食えだと? 正気かお前は」

「ほんと食べてみて。びっくりするから」

 師匠は露骨にものすごく嫌な素振りで、渋々、葡萄を口に入れた。

 その顔が「?」になって、それから「!」になって、顔が真っ赤になるほど興奮状態になった。

「これじゃ! わしが欲しかったのはこの甘さじゃ!! 酒にしてもなお甘い葡萄酒を造る究極の葡萄! これこそがその葡萄! まさに至宝よ!」

 師匠、辛抱ならずにカゴ持って畑に飛んで行きました。

 ばあさんが灯りともしてくれてて、深夜まで葡萄摘み。

 師匠のこういう情熱、嫌いじゃない。

 それを支えるばあさんも。

 翌日、凍った葡萄は半分くらい溶けてて、おれと師匠は汁を搾った。

 なにしろ水気が抜けてる葡萄だから、本当に少ししか果汁が取れない。

 全部絞っても、手桶半分にさえ届かなかった。

「どうするの?」

「試作用の樽に入れる」

 しゃれたバーにディスプレイで置いてあるようなサイズの樽。

 それでも余る、ごくわずかな果汁。

 他の葡萄酒たちと一緒に蔵で寝かせ、師匠と一緒にときどき発酵具合を確認して。

 一年。

 ばあさんも含めて、みんなでグラスに注いだ。

 透き通るルビーレッド。宝石を酒に溶かしたみたい。

 師匠が最初に試飲した。

 しばらく無言だった。

 じっと感想を待った。

「——うまい。こんな甘みをわしは知らん」

 師匠、少し呆然とした感じ。

 狂喜するかと思ったけど、まったく違うリアクションだった。

「だが、若い。新酒ではまったく足りん……もっと寝かせて円くするのだ」

 師匠の反応を見た限り、今まで魔界にはなかった味なんだな。

 ばあさんも試飲して、すごい笑顔になった。

「こんなの初めてだ、なんて美味しい葡萄酒だろう」

 おれも試飲してみた。

「足んない」

「? なにがじゃ」

「おれが飲んだことあるのは、もっと甘かった。もっと甘くて葡萄の香りが強かった」

「なんだと!? これより甘い酒があるのか!」

「うん。おれが人間界で飲んだのはもっと甘かったよ」

 師匠は目を閉じて熟考してる。

 それがずっと続いて、やっと顔を上げた。

「お前に畑を二割貸してやる。これよりももっと甘い酒にする葡萄を作れ」

「……え?」

「お前にしかできん。葡萄を凍らせるのは、わしにはできん……みるくの銘酒はお前が造れ」

 ……どうしよう、師匠に「お前にしかできない」って言われた。

 魔界でレジェンドの名醸造家に、そう言われた。

 でも、みるくと氷の宝石——平和利用できるんだ。みんなの役に立つんだ。

 戦うためだけじゃなく、みんなを笑顔にできるのかもしれない。

「でもおれ、葡萄の木を満足に育てることもできないよ……」

「焦ることはない。葡萄酒造りは気の長い作業なのだ。世話は見て覚えろ。仕込みも見て覚えろ。そうして造ってゆくものなのだ」

 ものすごく真面目に、師匠は言う。

「毎年仕込むのだ。そして寝かせたものも含めて年別に評価する。それを毎年積み重ねる。やり続ける。繰り返す。それが葡萄酒造り」

「……うん、やるよ」

「畑と道具は貸すが、これはお前の酒だ。わしは相談には乗るが手は出さん」

 そんなわけで、大きな畑を二割も貸し付けられた。

 翌日、問題の葡萄酒を少し持って、パパドのところに行った。

「ちょっとお願い、実体になって葡萄酒の味見して」

「味見とな。去年お前がサモサと仕込んだというあれか」

「パパドの感想聞きたい」

 家に行って、葡萄酒をグラスに注いだ。

 上品な所作でグラスを持って、言った。

「宝石のような酒だな」

「飲んでみて」

 パパドはグラスに口をつけ、少しだけ含んだ。

 すぐに表情が変わった。

「——陛下に献上できる。この味はこの国にはない」

 真顔で言われた。

「だめ。まだ甘みが足りないんだ」

「さらに甘き酒になるというのか」

「おれが人間界で飲んだのは、こんなもんじゃなかった。もっと甘い」

「承知した。この件、他言無用とする。精励せよ」

 サマエルには持って行かなかった。

 あいつ、堕天の実しか食べないもん。

 ともあれ、師匠とパパドの舌が証明してくれた。

 これは、この国で新種の葡萄酒なんだと。

 それをおれが造る。じっくり、腰を据えて。

 納得いくまで。

 いつまでかかるかわからないけど……おれがやるんだ。

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