第29話 大軍襲来

 ナオは三日間村にいて、パニールに戻って行った。

 本人が言ったとおり、本当に自由になって幸せそうだった。

 どこに行く時もベッタリ腕を抱き込んで、くっついてた。

 おかげで村のみなさんにまで認知されてしまった。

 いや……もうなにも言わない。

 言ったら言った分、敵が増えるだけなので。

 刺せない敵ほど恐ろしいものはない。

 無駄と承知で、パパドに愚痴言いに行く。

「槍の英雄もかたなしだな、情けなし」

「なんとでも言って」

「とは申せ、お前も悪意で退けているわけではない。まったく困りものよ」

「おれだって、できることならナオとつき合いたい。本音」

「如何ともしがたいな。賢者などと呼ばれおる我にも手に余る難問よ」

「……でも、おれは結局いつか人間界に帰るんだよね」

「そうであった。お前はそのために今、尽力しておる」

「なら、このままでもいいのかな、ナオが嫌でなければ」

「それがお前の精一杯の誠意であるなら、我は咎めぬ」

「ありがと」

「——だが、不実をおこなった時は、覚悟しておけ」

 パパドの声と口調が凄んでます。

「あ、はい…………」

 恋愛問題にひとまずカタがついたので、おれは真面目な農夫に戻る。

 一生懸命勉強。ひたすら実学。

 師匠の仕事にテキストなんかない。

 やる。叱られる。やる。平手で頭叩かれる。

 やる。どやされる。やる。ケツ叩かれる。

 だがおれは挫けない。陛下に謁見せねば。

 それだけを、ただそれだけを追い続けて、どれくらい経ったっけ?

 ここに来て七〜八年くらいかな。

 まだまだヒヨコにすらなれない。

 師匠は畑の世話、仕込んだ酒の世話、瓶詰めした酒の管理……そしてみるくブランドの開発。

 いやもう本当に敬服するしかない。

 よくそれだけのことを同時にこなすなあ。

 おれは葡萄の房分けが数秒でできるようになるのが精一杯。

 そんなおり、久しぶりに襲撃が。

 これがちょっと笑えない大軍で。

 一見くすんだ雲だ、まだ遠いのに。

 これはもうパパド村を焼き尽くす気満々とみた。

 万一にもパパド——マドハヴァディティア——が戦死でもすれば、国には大ダメージ。

 天界でも名が知れた賢者、倒せばすごい武勲。

 討てなくても村全焼なら目的達成。

 そうなればサモサの葡萄酒は当分出回らなくなるな。

 すべて失ってゼロからやり直しになる。

 年代物の最上級酒だけでも避難させられないかと思ったけど……時間なさそう。

 見た感じ、具体的な数はわからないけど、うん、相当な数だ。

 ——出て行ったら、おれ、戦死かも。

 最低でも五千はいる、実際にはもっといると思う。感覚で。

 さすがにこの村に師団までは来ないと思うけど、後ろに別の軍がいたら、本当にまずい。

 八百くらいまでだったら軍が来るまでなんとか足止めできるんだけど、十倍以上はちょっと無理。

 覚悟、決めるしかない。

 人間界、帰れないかも。

 でも、みんなの畑、守らないと。

 みるくを呼んで、槍と氷の石と金環を招いた。

 今回は炎と風の石は要らない。

 せっかく密集して来てるのを散らしたら面倒だし、炎は畑を焼いてしまう。

 雷撃も使わない。発火するから。

 氷結衝撃波一本でいく。

 多少の傷は金環がフォローしてくれるから、やれるだけやるしかない。

 村のみんなが避難開始。

 イエローアラート。

「ご主人様っ、あたしも戦争したい! 敵たくさんいるじゃない!」

 ダミニめちゃくちゃ不機嫌。

「だめ。畑焼くと困るから」

「焼かない、絶対焼かないから、お願いっ」

「お前、戦闘始まると場所柄とか全然目に入らなくなるだろ」

「やだー! あたしもー!」

「だめ」

 ダミニのわがままを拒否して戦闘態勢に入ったら、パパドが一直線に飛んで来た。

「森を離れて大丈夫なの?」

「バカ者、この数で攻め込まれて森になどいられるか! 焼けたら焼けたでかまわぬ、我の住処など惜しくない」

「勝ち目、ないよ?」

 冷静に口にしてる。そんな自分に驚き。

 最初に村が襲われた時、相手はたいした数じゃなかったけど、おれはパニックだった。

 じいさんたちを逃がしたくて、夢中で天使刺して、木の槍の英雄って呼ばれた。

 そして今、絶対勝てない大軍に向かって、不思議に落ち着いてる。

 腹は括った——やるしかない。

「かまわぬ。我が命はすでに陛下に捧げてある……お前はよいのか?」

 本当はさ、パパド、おれやっぱり人間界に帰りたいんだよね。

 おれは何万年、何十万年ここにいても、堕天使にはなれないんだ。

 堕天者なんだよ。

 おれが在るべき世界は、たぶんここじゃないんだろう。

 中途半端に魔界にいるより、人間界に戻るべきなんだ。

 そのために頑張ってる。

 だからこんなとこで死んでる場合じゃないんだけど。

「本音言うと、ものすごく嫌なんだけど——村焼かれる方がもっと嫌」

「うむ。討ち死にしようとも名に恥じぬ戦いをせよ。お前に武運あれ!」

「パパドにも武運を!」

 パパドが左手を天に挙げかけたところで、突然、視界が揺らいだ。

 めまい? なに?

 直後、目の前にサマエルが現れた。

 転移魔術でやって来たんだ。

 おれたちに背を向けて立ち、軽く両腕を広げて、前進を阻む。

「待ちなよ、バカなの? 死ぬの?」

「バカ者、下がっておれ! お前こそ死ぬ気か!」

 パパドに叱られても気にしたふうもなく、サマエルが小さく笑う声がした。

「おれにもね、こんな場面でこそ使える唯一の力があるんだなー」

 え?

 だってサマエル、戦闘力奪われた、って……。

「時間稼ぎでしかないけどね……駐留軍が間に合うように祈れよ!」

 その瞬間だった。

 迫ってきてた敵影が、ことごとく消えた。

 一割くらいしか残ってなかった。

 転移魔術で飛ばしたんだ……!

 サマエルがバランス崩して、おれとパパドで追いかけて捕まえて、ゆっくり地面に下ろした。

 まるで死んだみたいに意識がなかった。

 当然だよな。ふたり飛ばしただけで疲れて寝ちゃうんだから。

 大軍のほとんどを飛ばすなんて無茶だ。

「ゆくぞ、せめてあの程度、我らが討伐せねば!」

 九割がどこに飛ばされたかわからないけど、たぶん危険な場所じゃない。

 それに、どうせまたこっちに向かってくる。それが命令なんだろうから。

 駐留軍が間に合ってくれるのを、心から祈った。

 よし、目の前の奴らに集中しなきゃ。

 畑の上でのバトルは避けたいけど、一面畑だから仕方ない。

 丸焼けにされるよりマシだと思って、多少の被害は諦めてもらおう。

「後方は我に任せよ!」

「任せた!」

 パパドの矢が外れない理由。

 相手をロックオンするから。

 決めた相手に確実に刺さる。

 ものすごく目がよくて、はるか遠くまでロックできる。

 同時に四本つがえて射たりする。弓だけど戦闘力高い。

 おれは前線を維持して、誰にもパパドを攻撃させない。

 パパドは背後にいておれを支援する。

 温泉の時のような失敗は、もうしない。

「行くぞ、みるく」

 やさしく呼び、おれはみるくの耳にペンダントをかけて、背に乗った。

 敵に向かってまっすぐに駆け出す。

 相手が畑に向けて炎の魔術を撃った。

 その炎の塊にみるくが吼える。

 氷の衝撃波によって炎は瞬時にかき消えた。

 吼えるごとに敵の魔術は無効化される。

 天使の群れに向かって吼えれば凍てついて砕ける。

 そうはいっても、囲まれれば厳しい。

 槍で戦うけど鞘は外さない。

 雷撃飛ばせないから、純粋に槍術だけで戦うしかない。

 どれだけ舞ってもこの数、間合いを詰められそうだ。

 おれに近づきすぎた敵はパパドの矢に射貫かれて墜ちる。

 こっちも頑張らないと、パパドの負担が大きくなる。

 槍を水平に薙いで空間を稼いだら、額や喉を正確に突く。

 さらに槍を回して躍りかかった。

 多くの敵を相手にして、動きを止めたらアウト。

 動き続ける。舞い続ける。攻撃を続ける。

 攻撃は最大の防御。狙いを定めさせない。

 金環の力はありがたかった。

 敵の刃が多少届いても、瞬時に傷を癒やしてくれる。

 だから心置きなく間合いを詰められる。

 縦旋回した時、少し下にいたパパドが腰周りに半円状に矢を巡らせて、一気に放ったのが見えた。

 すごい技だ。あっという間に多くの敵をロックして、自分自身が弓になるんだな。

 その矢の何本かはこっちにも届いて、おれを襲ってた奴らが何羽か墜ちた。

 ものすごい能力。ものすごい目。まさしく猛禽類そのもの。

 みるくは衝撃波を吐き、近くに迫ってきた敵は足や尻尾で叩き落とす。

 威力がすごい。あれは即死だ。

 こっちも負けていられないな!

 さあ、踊れ、舞え、力の限り。

 死んで英雄とか持ち上げられるのはごめんだ。

 生きて葡萄酒造るんだよ、おれは!

 おれの本業は農夫なの!

 墜ちていく天使。

 おれに突かれ、殴られ、墜ちていく。

 パパドの弓に射られて墜ちていく。

 みるくに吼えられて凍てついて砕けて墜ちていく。

 キラキラ光りながら。

 帝国軍が着いた時には、おれたちで八割くらい墜としてた。

「転移魔術で飛ばされた大軍が戻ってくるはず!」

 一瞬弛緩してた軍が引き締まった。

「できるなら、引火する攻撃は避けてください……畑を守りたい」

 無礼にも司令官さんに申し出た。

 おれに槍をくださったサルガタナス中将閣下だ。

「サエキであるな。その勇猛果敢、見事。畑のことは案ずるな……パパド村の葡萄酒を無にしたとあっては、申し訳もなく陛下にお目通りできぬ」

 そう言って、笑んだ。

 こんな場面で笑える司令官、カッコいい。

「そなたらは最後方におれ。これより先は軍の務め」

 待ち構えてたら、やっぱりあいつら戻って来た。

 サマエルは立派に時間を稼いでくれた。

「みるく、サマエルを守って」

「いや、サマエルの元には我がゆく。みるくは温存せよ」

 パパドはサマエルのところに行った。

 戦闘は徹底してた。

 士気、大爆発。やっぱり賢者パパドの破壊力すごい。

 戦闘が終わったのは未明だったと思う。

 帝国軍が敵の敗走を許さなかったから。殲滅した。

 そこまではいいんだけど……問題は戦後処理です。

 文字通りの死屍累々。

 息のある天使に介錯したり、死体運んだり、兵士さんたち重労働。

 戻って来た村のみんなで炊き出しをしたり、片付けを手伝ったり……。

 ああ、一番楽だったから多用した氷結衝撃波のせいで、天使のバラバラ死体が広大な葡萄畑に散乱してしまいました……。

 凍ってるのが幸いかな。解凍してたら気味悪い。

 みんな「焼かれるのに比べれば全然マシ」って、こつこつ冷凍肉拾ってた。

 おれも畑に出て凍った塊を拾った。

 はぁ……やっぱり木にも影響出ちゃったよ……うちの畑の端っこ……葡萄の実がカチコチ。

 これって、あれだよね……冷気で凍らせちゃったんだよな……せっかくいい葡萄だったのに、ダメにしちゃったよ。

 死体整理が終わったら片づけにこよう。

 こつこつ残骸拾ってたら呼ばれたので、畑を出た。

 立派な兵士さんがふたりいて、報奨下賜の口上を聞いた。

 サタナキア元帥閣下から、耳飾りを贈られた。ピアスだ。

 おれなんて、なんにもしてないのにね……。

 むしろパパドやサマエルにあげればいいのに。

 そんなことも言えないから、拝領したけど。

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