第23話 魔獣

 まさかの展開。

 師匠が、もんのすごい猫好きだった……。

 もう、満面の笑みでみるく見てる。

 そーっと手を伸ばして、触っても怒らないとわかったら、超なでまくり。

 みるくも師匠の溺愛につき合ってる。

 出かけてて半日仕事休んだから、風呂の時間まで働こうと思って仕事場に行こうとしたら、みるくは師匠の手から飛び降りて、おれの足下に来てすり寄った。

「みるくちゃん、またあとでのー」

 師匠、人格変わりすぎ。

 小屋に行っていつもの作業椅子に座って、葡萄を選り分ける。

 いい粒はカゴに、それ以外は箱に。

 みるくは房からこぼれた葡萄にじゃれついて、転がる葡萄を追って走り回る……というか、一緒に転がってるとしか見えない。

 めっちゃ可愛い。

 さんざん遊んだ葡萄は、そのままおやつに。

 ちっちゃい前足で丸い葡萄を押さえて食べようとするんだけど、転がるから上手に食べられない。

 どうするのか観察してたら、猫パンチで葡萄を刺して、食べ始めた。

 けものだな……。

 本当に雑食で、なんでも食べる。

 テーブルに上がるのはよくないので、隣に椅子を持って来て、そこに載せた。

 肉を小さく裂いてやったり、パンを小さくちぎってやったり。

 晩酌する師匠の足下にすり寄って、つまみを分けてもらう知恵もある。

 師匠が自分にメロメロだとわかってるんだ。

 意外にあざとい奴。

 だが可愛いから許す。

 夜はおれの腹の上で寝る。

 こいつが育ってもこの習慣が抜けなかったら、潰されるかもしれない、おれ。

 って、育つって、どんな育ち方するんだろ。

 まさかいきなり成猫になるとかはないだろー。

 朝は早くから畑に行って、草を食べたり虫を食べたり。

 働き者で食欲旺盛。

 ついでに、師匠を和ませる。

 おれが納品に出かける時は必ず付いてきて、荷車にちょこんと座ってる。

 出先ではいつもアイドル。

「みるく〜」って呼ばれて、おやつをもらう。

 ときどき、たくさん食べてあおむけに寝転がる。

 お腹が画に描いたように膨れてパンパン。

 可愛い。

 最初は戸惑ったけど、みるくの存在は場を和ませる。

 今までのところ、誰かを噛んだり引っ掻いたりしたことは一度もない。

 ときどき、お腹が空くとおれの指先をカジカジ甘噛みするけど。

 それがまた可愛い。

 思わずおやつに葡萄をあげてしまう。

 師匠が葡萄の木の手入れをするのをじっと観察してると、みるくは足下をチョロチョロして、草食べたり虫食べたり。

 葡萄の木には絶対絡まない。賢い子。

 さすが、パパドのお母さんがくれた猫。

 師匠には「子猫飼いたいんだけど」としか訊かなかったから、師匠はみるくがどこから来たのか知らない。

 問答無用でOKだったんだもん。

 訊かれたらサマエルからもらったって言おう。

 帝国軍大将から頂戴しました、というのは、ちょっと。

 パパドも身元伏せてるんだし、ここは秘密で。

 次の行き先は北東の町。一度行ったけどけっこう大きな町だ。

 他の土地の葡萄酒なんかもたくさん入ってきてる激戦区。

 品評会がある。師匠はエントリーしないけど。

 なんたってもうレジェンドだから。

 なのでおれは今回、六本の葡萄酒を持っておつかい。

 みんなで味見だって。テイスティングってやつな。

 普通酒と上級酒、三本ずつ。

 最上級酒は陛下と最高位魔族さんたちにしかお出ししません。

 ただいま師匠は、夢中でみるくブランドの甘口ワイン開発準備中。

 ノウハウもなにもないから、ゼロからのスタート。

「時間かけて品評会なぞ行っておれるか!」だそうです。

 でも試作品ができるのはまだまだ先。葡萄の品種改良からやるんだって。

 気の遠くなる話。

 猫マニアの情熱、すごい。

 で、おれは会場に葡萄酒届けて、ついでに美味しそうなお土産を何本か買って帰るというミッション。

 腰に葡萄酒を持ってるので、みるくはおれの懐。大人しくいい子にしてる。

 みるくブランドの甘口ワインかあ……ものすごく美味しいのができそう。

 師匠が完全な新作に取り組むのは、実に二千年ぶりとのこと。

 これは期待できる。

 会場に着いて、師匠への招待状を見せて中に入れてもらった。

 せっかく行くんだからいろいろ勉強してこいって。

 うーん……まっさらさらの新人は、なにをどう勉強したらいいのかわかりません。

 味見とか、おれもさせてもらえるかな。

 でも味見しても全然区別がつかないと思われ。

 おれも含めて全員試飲OKで、何種類か試してみた。

 美味しいとは思うんだけど……日常的に普通に師匠の葡萄酒を飲んでいるので……ノーコメント。

 その中にひとつだけ、これ美味しいかもと思ったのがあった。

 この国ではちょっと珍しいロゼ。

 西にも葡萄酒造ってる地域があって、そこのだって。

「美味しい、これ」

 思わず口にしたら、正面にいた人が笑顔になった。

「うまいか、おれの葡萄酒」

 見た感じは三十代半ばくらいの容姿。中肉中背で作業服。

「美味しいです。あなたの葡萄酒なんですか?」

 笑顔でうなずいた。

「うまいと言ってもらえて嬉しいなあ。おれはまだ醸造を始めてから三百年しか経ってない小僧だから」

「おれは始めたばかりなんです。師匠はなにも教えてくれなくて、見て覚えろって。厚かましいかもしれませんけど、なにか助言を頂けませんか?」

「助言? そうだなあ、葡萄の木を大事に、しっかり愛してやることだな。目を離しちゃだめだ。木の状態は毎日変化するんだから。おれが言えるのはそれくらいかな」

「ずっと葡萄の実を選り分けてて、最近やっと畑に出るようになったんです。いただいた助言を忘れずに、これから精進してい——」

 会場の外で、なにか破壊音。

 ——なんでこんなとこにまで来るの、お前ら。

 いくらおれだって忍耐の限界っていうのがあるんだけど。

 みんな敵襲だって大騒ぎ。

 そりゃそうだ、ここにいるのはほとんど善良な農民で、たぶん戦う力は持ってない。

 へたすりゃ皆殺しだ。

 結局、行くことになるわけか。

 外に飛び出して空を見回す。敵はもうすぐ近くまで来てた。

 数はたぶん三百以上いる。

 おれや民兵じゃ手に負えない、早く軍隊に来てもらわないと。

 ダミニとアクセサリーを呼び、ひとつ息をついて、敵の集団に向かおうとして、はっと気づいた。

 懐にみるくがいた!

 このままじゃ戦えない、下ろさないと。

 左手を懐に入れて、そっとみるくを外に出した。

 金と紫の目でおれを見る。

 地面に下ろして、飛び立とうとした時だった。

 突然、おれの足下で、吹っ飛ばされそうな衝撃が起きた。

 なにが起きたのかわからない。ただ呆然とした。

 おれの目の前に、真っ黒な、ふさふさの尻尾をした大きな動物がいた。

 体長二メートルくらいある——犬?……オオカミ?

 黒いオオカミ?

 おれを見る瞳は金と紫。

 まさか、お前……みるく……?

 みるく、猫だよね? どこをどうみても猫でしたよね?

 でもオオカミってイヌ科ですよね?

 なんで猫のみるくがイヌ科のオオカミになるの!?

 しかも真っ黒じゃん!

 魔界の生き物ってなんなんだ、もうわけわかんないよ!

 大きいし! イヌ科だし! 黒いし!

 おれの袖口を甘噛みして、引き寄せようとしてる。

 え? なに? 乗れっていうの?

 無理無理無理、オオカミなんか乗ったことないし!

 ママチャリとバイト先のカブとキャノピーしか乗ったことない!

 でも敵迫ってきてるし!

 いいや、落ちたって自分で飛ぶから!

 みるくはおれが乗りやすいよう地面に伏せて、背中にまたがったら空に駆け上がった。

 やばい、これ翼出したら空気抵抗で飛ばされる。

 お願いだから振り落とすなら高い場所にして。

 低いとこで落とされたら翼出すの間に合わなくて重傷負うから!

 応戦しようと民兵が何人も来てたけど、いきなり現れたみるくにたじろいで動けなくなってしまった。

 そりゃそうだよ、目の前にいきなり大きくて黒いけものが現れたらビビるよ。

 どうしろっていうんだ、この状況。

 敵に向かって喉の奥で唸ってたみるくが、突如吼えた。

 空気にすごい圧がかかって潰れそう。

 みるくの背中にしがみついて、でも戦わなきゃならないって顔を上げたら。

 天使がまっすぐに頭から墜ちていく。

 何十羽も、無抵抗でまっすぐに。

 気を失ったのか、死んだのか、わからないけど。

 天使が墜ちていく。たくさん。

 これ、衝撃波とか、そういう感じのやつ、なのかな……?

 あの……お前、ほんとにみるくなの……?

 そんな問いかけしてる場合じゃなかった。

 だってもうみるくは敵に向かって走り出してる。

 首につかまって、体を伏せた。

 そうしたら——みるくの声が凍てついた衝撃波になって、天使が壊れた。

 凍って、衝撃で、砕けた。

 まさか、しがみついたはずみに氷の石がみるくに触れた……?

 本隊が着く前に、半分以上片付いてしまっていた。

 あとは軍がやってくれる。おれは地面に降りた。

 隣に降りたみるくは、もう普通のみるくだった。

 真っ黒なオオカミから、真っ白な子猫に。

 最高位魔族の愛玩動物……。

 抱きかかえると、可愛い声で鳴いた。

 二の腕で抱えてた槍の先で、ダミニがものすごく不機嫌。

「あたしの楽しみを横取りしないでよ、ケモノのくせにっ!」

 みるく、ダミニを威嚇して「シャー!」ってなってる。

 ふわふわの毛が逆立ってます。

 うわあ、みるくが懐かない奴がいた。

 これはあれだ……主の奪い合い、ということかな?

 ていうか、きみたち、おれを挟んで対立しないでください。

 堕天者と精霊と魔獣の三角関係っておかしいから。ね。

 装備を外して会場に戻る途中、民兵が倒れた天使を刺してた。

 見てたおれに気づいて、言った。

「ここにはマナはないし、堕天の実なんか食べない。永遠に飢え続けるだけだ——こうするのが最善なんだよ」

 ……優しいんだな、堕天使は。無情な敵に情けをかけて介錯してやるんだ。

 そうするしかない、他に手段はない。

 おれだってさんざん天使を殺してきた。

 でも、抵抗すらできない天使を刺すのは、無理だった。

 今は、まだ。

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