第8話 サエキ、帝都に行く

 翌日、テーブルのおれの席に、手のひらに収まるくらいの革袋があって、中になにか入ってた。

「帝都までの路銀じゃ、賃金の前渡しじゃぞ」

 実は、片道二十日かかるって言われて、その間どうやってしのぐか考えてたところだった。

 村人……堕天使たちが言うには、パパドの羽はすっごい貴重品で高く売れるって話だったから、売ることも考えたんだけど、そうすると身元保証がなくなってしまう。

 もう一本たかろうかなとか、不謹慎なことまで考えてたんだけど。

 袋の中には硬貨。

 ざっと二十万円分くらいあった。

 銅貨が日本でだいたい百円くらい。

 銀貨は十倍、金貨はさらに十倍。白金貨はさらに十倍。

「途中に町がいくつかあるから、宿をとれ。あとは野宿か、村あたりで一晩の宿を請うかだ。帰りもあるんじゃから、無駄使いするなよ」

「……うん、ありがと、ほんと助かる」

 村に戻ってくる理由ができてしまいました。狡いぞじいさん。

 どうやって戻って来ればいいのか知らないけど。

 来た道を戻って来られるナビであってほしい、導きの石。

 持って行くのは数日分の保存食と金と、槍。

 道中なにがあるかわからないから、武器は絶対持ってないと。

 もしかしたら、途中で天使の襲撃に遭うかもしれないんだから。

 ここは戦時下の国。油断は絶対できない。

 荷物は腰に。飛ぶから背中に担げない。だから必要最小限。

 ばあさんがお弁当作ってくれて、出発。

 村を離れる前にサマエルに会って、財布落としたら売れって果実を三つもらった。

 パパドには「羽根売ろうかと思ったー」って笑いながら話したら、パパドも笑って「我の羽根は金にならぬのだー」って、ちょっと待って、話が違う。

 いわく、希少性が高すぎるから、お金では取引されないんだって。

 そりゃ、パパドだって大量に羽根むしったらハゲになるだろう。

 生え替わりの時季があるわけじゃないだろうし。

 欲しい奴にとっては珍品だよな。

「我の羽根で交換できるものは魔術系の物品が大半ゆえ、お前には使いこなせぬ」

「お金にもアイテムにもならないのかあ」

「お前が使えそうなのは魔法石だな。炎石、水石、氷石、風石……あたりか」

「それ、なんなの?」

「魔力が使えなくても魔術が使える。一度きりだがな」

「なんか超便利な響き。それいい感じ」

「……もう一枚やるから、町で石に替えろ。ひとり旅、なにがあるか知れん」

 ラッキー。ほんとラッキー続き。

 挨拶をすませて、青い光が導く先に飛び出した。

 徒歩で半日かかるって聞いてた町まで一時間くらい。

 そこでパパドに教わったとおり、道具屋を探して羽根を石に替えた。ふたつ替えられたから、炎と水にした。

 使い方は『相手に向かって投げつける』って、すっごくシンプルだった。

 炎と水の手榴弾。

 効果の範囲がわりと広いから、よく考えて使えってご指導賜りました。

 そうは言われても、これを使うような事態ってのは、きっと半端なくやばい時だろうから、考えるとか無理と思われ。

 とにかく、相手が単体でも大型か、大型でなくても複数か、どっちかで使うことにしよう。

 そのまま半日くらい飛んで、適当な村に降りた。今日はそこまでだ。

 さすがに半日休まず飛んだら疲れた。

 畑にいた村民さんに事情を話したら泊めてくれるっていうから、イモの収穫を手伝った。

 農業も意外と悪くない。おれ、けっこう好きかも。

 バイトもいろいろやったけど、楽なのはなかったもんな。

 交通誘導員とか、けっこう大変だったよな。

 クッソ暑い真夏の炎天下、工事の通行止めでただ立ってるだけ。

 たいして人通りもない現場で、ひたすら立ってるだけ。

 誰か来たら「すみません、工事中で通れないので」って迂回路の案内したりするだけ。

 ひたすら立ってる、

 ひとりで。

 胸の前で横に誘導棒構えて。

 一度、熱中症になりました。

 あれはきつい。ダメージ大きいし、とにかく時間長くて死にそうだった。

 それを思えば体動かしてる方が楽だ。すぐに時間が過ぎるからな。

 それに、収穫って楽しいかも。おれ、農夫に向いてるのかな。

 夕方まで働いて、うまい晩ご飯をご馳走になって、ゆっくり休んだ。

 帝都に国民登録っていうと、ほぼ百パーセント「?」て顔をする。

 当然ですよねー、この国ではみなさん普通に国民だもんねー。

 元人間です、って言うしかない。

 人間は堕落した生き物だから、悪感情は持たれない。フレンドリーに迎えてくれる。

 そんな調子で帝都に向かっていった。

 町では宿に泊まって、ささやかに外食を楽しんだ。

 でも、ひとりは少し寂しいな。誰か一緒だったら楽しいんだろうに。

 十八日で帝都にたどり着いた。

 ヨーロッパの古くて大きな街みたいだな。建物は高くても五階くらいで、隙間なく建ってる。

 大通りの他にも道や路地があって、これはうかつに入ったら迷う感じ。

 ひとつだけ、ものすごい高い塔があって、どうやらそこが目的地らしかった。

 訪ねていくと大きな門の前に衛士が何人もいた。

 元人間で国民登録に来たというと、厚生省は五階だと教えてくれた。

 塔の回りを堕天使たちが飛んでて、目的の階に出入りしてた。

 階段もある。飛ぶのちょっと疲れたから、階段で上がった。

 手続きは簡単だった。口頭で「パパドの村から来た、元人間のサエキです」って言ったら、担当者が書類書いてくれた。おれ、堕天使の文字は読み書きできないから。

『パパド村のサエキ』、そのまんま登録された。めっちゃ簡単だった。

 たぶん軍の方から話が通ってたんだと思う。

「この国へようこそ、サエキ。せっかくだから帝都を見物していくといいよ」

 みんないい人、いや、いい堕天使だ。優しくて親切で、とても悪魔なんて言えない。

 だって悪くないもんな。みんな善良。さすが元天使。

 昼は街を見て回った。往来がすごい。新宿並み。

 歩いてたり飛んでたり、馬車とかある。馬に角がふたつあるんですけど。

 みんな自由だ。

 為政者の徳だな、これは。

 日本の政治家と役人に、この政治と行政を見習わせたい。

 昼の間はみんなにおみやげを探して市場を歩いた。

 広い市場だ。日本じゃ見たことがない規模で、とても全部は回れなかった。

 どうみても農夫のおれが立派な槍なんか持ってるから、けっこう見られたけど。

 贅沢言う気はないけど、こっちは一般の堕天者なんだから、もう少し地味な槍が欲しかった。人目についてかなわない。

 うかつに手元から離せないし、持って歩くしかないわけで。

 夜、宿屋の一階にあるパブで一杯やりながら晩ご飯食べてたら、初めて、あんまりよさそうじゃない奴に遭遇した。

「お前、農夫だな」

 酔ってるな、体格いいから兵士かも。

 そいつは槍をジロジロ見て、手を伸ばしてきた。

「や、ちょっと困ります、やめてください」

「お前にはまるで不釣り合いだ、おれの方が似合うだろ、持たせてみろ」

「いや、ちょっと、本当に困るんで」

「まさかと思うが、盗んだんじゃあるまいな? おれが改める」

「いやほんと! 触らないでくださいっ!」

 いざこざなんか嫌だけど、得体の知れない奴に触らせていいのかどうか、おれにはよくわからない。

 偉い堕天使のコレクション、パパドが興奮するくらいの品だから、やっぱりへたに触られない方がいいのかも。

 ダミニがどう反応するのかもわからない。

 いかずちの精霊って言ってた……もし機嫌損ねたりしたら——まずい。

「お前、怪しいな! その槍をよこせ!」

 立てかけてた槍を取られそうになって、あわてて抱き込んだ。

「ほんとにやめてください! 偉い方に頂いた大事な槍なんですから!」

「偉い方だぁ? どんな偉い方だ!」

「えっと、北部方面隊の司令官さんです! 確か、サルガタナス中将閣下って方」

 揉め事の推移を見てガヤガヤしてた店内が静まりかえった。

 誰かが「パパドの農夫……?」と小声で言った。

 うわ、ほんとに話流れてる。まさか帝都まで流れてるとは思わなかった。

「え、ええ……パパドの村から来ました……」

 少し間があって、誰かがパン、パン、と手を叩き始めた。

 どんどん参加者が増えて、手を叩いたり床を踏みならしたり、店の中は騒然だ。

「木の槍の英雄だ!」

 やばい、本当に話流れてる!

 っていうか、英雄ってなに、英雄って!

 おれ? おれのことですかっ!?

 なにそれ、どうなってんの!?

「そっ、それはっ、きっと相手が油断してて、農夫に反撃されると思っ——」

 そんなこと言ってもかき消されて響かない。

 なんか、問答無用で胴上げされてるんですけど。

 見た目ほど気持ちよくない、つうか胃にこたえる。飲み食いしてたのを吐きそう。

 しばらく振り回されて、やっと解放されたんだけど、片っ端から握手求められて、おちおちご飯も食べられない。

「すまなかった、おれの奢りだ、好きなだけ飲んで食ってくれ、英雄!」

 だから英雄とかじゃないって……。

 国威発揚ってやつなのかね、こういう話が広まるのは。

 農夫でも天使に勝てるぞ、となれば、そりゃあ軍隊の士気は上がるよ。農夫に負けてられないじゃん。

 武勲上げようって手ぐすね引いて出陣待つわ。

「しかし残念だな、さすがの敵も帝都までは攻めて来ん。この意気をどこに向ければいいのか」

「そうだな、帝都の守備では戦いに参加できん」

 兵士たちは口々に、戦争に参加できないのを嘆いてる。

 戦争なんか参加したくないけど、軍人と民間人の間には深くて暗い河がある。

 でも現在進行中の戦時下だから、軍属も民間も戦意は大差ない。

 そりゃあ、相手が弱い者いじめの卑怯者だもんな、腹に据えかねるだろう。

 そんなこんなで夜遅くまで祭り騒ぎにつき合わされ、ヘロヘロになって部屋に戻った。

 担いだ槍の重いこと。自分の疲労度がよくわかった。

 明日は村に向かうぞ、どうやら導きの石が教えてくれるみたいだから。

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