第6話 いかずちの精霊

 じいさんがおれに代わりの服と靴を買ってくれた。

 ツナギ。もろツナギ。ボタンで留めるの。

 靴は柔らかい革製のショートブーツ。

 見た目だけは立派な農夫。完全にジョブチェンしたと実感。

 翌日、パパドやサマエルの様子を見に行った。

 パパドの森も天使に襲われて、こっちはかなり大変だったみたい。

 どうも、天使に嘴を剥くフクロウってのが想像できない。せいぜい頭をつつくくらいしか思い浮かばなかった。

「お前、我をなんと思っておるのだ」

 こっそり笑ったのが、ばれた。

「いや、だって、フクロウ」

「この方がなにかと楽だからだ。一度、我が実体を見せておいた方がよいな」

 疾風一迅、空気が止むのを待って目を開けると、鈍い銀色の髪と翼の堕天使が立ってた。

 年は三十代前半くらいかな、髪は長くて目は金色で、穏やかな顔立ち。

 すごく頭良さそうな美男。

「うわ、カッコいい、パパド」

「そうであろう。だが鳥の姿の方が気楽なのだ」

 そう言って、パパドはさっさとフクロウに戻ってしまった。

 みんなの安否を訊かれたから、知ってる限り話した。

「そうか、ダルーが手傷をな。しかしよくぞ生き延びた」

「ほんとにさ、怪我だけですんでよかった。それも兵隊さんが治してくれたし」

「本来は我が守らねばならんのだが、手勢が多くてな、間に合わなかった。陛下に顔向けができぬ」

「仕方ないよ、物理的な限界があるじゃん。パパドも無事でよかったよ」

「我はこの一帯の領主ゆえ、なにかと狙われるのだ。まったく疎ましい」

「気をつけなよパパド。危なくなったら合流した方がいいんじゃない?」

「そう、お前の奮戦は耳にしておるぞ。サモサのところの若いのが天使を五羽墜としたと」

「や、それデマ。三人」

 魔界でも噂には尾ひれ背びれがつくらしい。

「しかし驚いた。見かけ倒しではなかったではないか」

「そりゃ練習したもん。戦争吹っかけられるかもなんて言われたら、練習しない方が怖いじゃないか」

「とはいえ、にわか仕込みではそこまでできぬだろう」

「だから、実戦じゃないけど基礎はあるの」

 だてに二才からやってない。

 大晦日も正月も、病気の時以外一日だって休んだことないんだぞ。

 多少の風邪なら混振り回して飛ばしてたね。

 大学受験の朝だって早起きして二時間練習した。

 おかげで落ち着いて試験受けられた。

「慣れぬ空中戦で槍は不利と思っていたが、お前は使えたのか」

「なんとか、知恵と工夫で」

 偶然の産物だったけど。

 本当は全速力で突っ込めば槍でも空中戦できるけど、そこから体勢立て直せるだけの飛行術が、おれにはまだないから。

 今回のはビギナーズラック、自惚れると次は殺されるぞ。

 そんなことを考える自分に驚くけど。

 しばらく前まで、おれはバイトで生計立てながら、時々入るスタントや端役の仕事やって、オーディション受けまくって暮らしてた。

 それが気づいたら天使と戦ったとか。

 しかもそれを、今はなんの違和感もなく受け入れてる。

 平和な日本から魔界に飛ばされて、まだたぶん三か月も経ってないのに。

「しかし天使どももさぞ焦ったであろう。嫌がらせに畑を焼きに来たら農夫に反撃されたのだからな」

「あれ、嫌がらせってレベルなの?」

「農地を焼けば生産性を落とせる、田舎なら警備も手薄だ。得しかなかろう」

「いやらしいやり口」

「それが返り討ちに遭い、大軍に追われて逃げたのだからよい気味だ。久しぶりに清々しい気分だ。愉快愉快」

 丸太に座ってパパドと世間話してたら、頭上に影ができた。

 見上げてみると人影? がふたつあったけど、逆光で素性がわからない。

 油断して槍を持ってきてなかった……!

 焦ったおれにパパドが言った。

「あわてずともよい、帝国軍の兵士だ」

 言ったとおり、天使じゃない兵士がふたり、おれたちの前に静かに降りた。

「お前がサモサの葡萄酒造りを手伝っている農夫か」

「あ、はい……」

 まずいな、不法滞在者だってばれたかな。連行されるの怖いな。

 でもおれ丸腰だし、おれと話してる奴は剣持ってるし、もうひとりはすごそうな槍も持ってるし、どっちにしても逃げられないか。

「誰も名を知らんので探しあぐねたが、ようやく見つけた」

「あ、あの、すいません、早く厚生省に行って手続きしなきゃと思ってたんだけど、いろいろ都合があって先延ばしに! ほんとごめんなさい!」

 先に謝った方の勝ちだ。心証も少しはよくなるだろう。

「なにを詫びているのだ? 厚生省? 何者なのだお前は」

 あ……別件だった?

 おれ、藪つついちゃいました……?

 微妙な空気。

 どうしたらいいか困ってたら、パパドが兵士に言った。

「この者、元は人間でな、時空の裂け目から飛ばされて来たようなのだ。堕天の果実で命を永らえたが、まだ国民ではない。もう少しこちらに慣れてから帝都へ行かせるつもりであった。手続きの遅れはこのパパドに免じて責めずにほしい」

 兵士たちは顔を見合わせて小声で話してる。

 そりゃあ困るよな、用があって訪ねてきたら不法滞在者なんだもんな。

 それにしてもパパド、けっこう顔が広いんだな。免じてもらえそうなくらいの力があったんだ。

「それでは、パパド殿の預かりでサモサの元で働く農夫、ということでよろしいか」

「いかにもそのとおり。この者は帝国に仇なす者ではない。先だっての戦いでは天使を——」

「そう、我らはその話にまいったのだ、パパド殿」

 そう言うと、おれを見て言った。

「こたびの戦、農夫ながら敵を三羽倒し民を守りしこと、まことにめでたいと、北部方面隊司令官サルガタナス中将閣下の仰せ。我らは閣下よりの報奨を届けにまいった使者である」

 は?

「閣下ご所蔵品のご下賜、謹んでお受けするがよい」

 もうひとりが、持ってた槍をおれに差し出した。

「木の槍にて天使三羽討ち取る武勲、見事であった」

 差し出されたものを受け取らないわけにもいかないから、そのまま受け取った。

 なんか、すっごい槍です。刃に鞘が被ってて、競技用とは全然違う。

 これぞ本物の武器って感じだ。

 金色の鞘は丁寧に彫金されてて、宝石みたいなのがひとつ、ついてる。

「これにて我らの務めは終わりだが、お前の名がわからぬのでは報告ができない。名はあるのか? なんと申すのだ」

 そういえば、ここに来てずっと、誰にも名前訊かれてませんでしたー。

 サモサじいさんやパパドやサマエルは名前より素性が先だったし、村のみんなは『サモサのとこの若い奴』ですませてたみたいだから。

 考えてみればアバウトだな、みんな。

「佐伯です。サエキ」

 たぶん名字名乗っておけばいいだろう。

 名前は好きじゃない……子供の頃、かなりからかわれたから。

「サエキか、あいわかった。それと国民登録不備についても報告せねばならん。猶予するゆえ、早めにすませよ」

 お使者ふたりはそのまま帰って行った。

 なんか、急に気が抜けて丸太に座ると、パパドがやけに興奮して切り株の上で跳ねてる。

「見せろ、この槍をもっと見せるのだ」

 ものすごくありがたそうな槍を、寝かせるように丸太に立てかけた。

 パパドは隅から隅まで見尽くして、ほー、と息をついた。

「素晴らしい、サフェード殿の銘品ではないか」

 作者は名工らしい。パパド大絶賛。

「くれぐれも粗末にするでないぞ」

「粗末もなにも武器だろ、これ」

「日頃の手入れを疎かにするなということだ。我が教えてやる」

 言うとさっそく実体に戻って、うっとりと槍を見てる。

 手入れ教えるとか言って、触りたいだけだろパパド。

 や、でもおれもそこ教わらないと。サビ出したとか言ったら首刎ねられそうだ。

 ふと、パパドが槍の口金を覗き込んでる。柄との継ぎ目の部分。

「——これはただの槍ではないぞ」

「え?」

「……ダミニ、と刻まれておる」

「だみに?」

 その時だった。一瞬、穂を包んでた金色の鞘が光って、そこから人影が現れた。

 予想外のことにおれは意味不明の声を上げて、地面に座り込んでしまった。

 よく見ると、女の子? だった。

 たぶん中学生くらいの顔立ちだけど体は小さい。一メートルもないと思う。

 細身で、この世界には珍しいヒラヒラした綺麗な服を着た、金髪の巻き毛の女の子。

 瞳は変わってる。光の加減でオレンジに見えたり、緑に見えたり。

 っていうか——どこから来たんですか、あなた?

「はじめまして、ご主人様っ」

 甘い声で彼女? はそう言った。

 ご主人様? なにそれ?

「今、あたしを呼んだでしょ?」

「……ダミニ?」

「そう。ダミニ。いかずちの精霊。この槍はサフェードがあたしにくれた住処なの。いい槍よ、とっても気に入ってる」

 ダミニは満面の笑みを浮かべた。

 可愛い、けど……ちょっと混乱してる。

「今日からあなたはあたしのご主人様。一緒にたくさん戦いましょ♥︎」

 そう言って、ふわふわ浮いておれの首筋に抱きついたりするけど、体温は感じない。

 感触は少しある。

 ただ、抱きつかれてるのに、その……胸の感触はほとんどない。

 いえ、胸の感触ったって、おれが知ってるのは、歯医者の治療台で歯科衛生士さんのおっぱいが肩に当たってたとか、その程度のことなんだけど……。

 そんなささやかな記憶と比較しても……感触、ない。

 言わないけど。たとえ精霊でも女の子は女の子。

 うかつなことは口にするな。わざわいの元だ。

 パパドも驚いてる。

「精霊が宿る武具の話は耳にしたことがあるが、目の当たりにしたのは我も初めてだ」

 なんか、ものすごいものを授かってしまったらしい。

「かつて天使を墜とした農夫などいなかったゆえ、閣下は心底感銘を受けられたのであろう。お前が木の槍で戦ったと耳になさり、槍をご下賜くださったのではあるまいか」

 ダミニは嬉しそうにおれにまとわりついてるけど……どうしよう……。

「うむ、極めて結構。サルガタナス閣下の覚えめでたきか。よいぞサエキ、これはよい。閣下は司令官のおひとり。お前は本当に運がよい」

「そ、そうなの?」

「閣下はお前の名をしかとお覚えになる。いずれ閣下にお目通り適うやもしれぬ」

 それは非常に喜ばしいことみたいだけど、農夫にこんな槍持たせてどうすんの、閣下?

 おれ、戦争なんか嫌だよ、怖いし、ものすごく痛そう。

 できれば平和に葡萄の実選んでいたいんですけど。

「ご主人様っ、とりあえず戦いに行こ? 敵探そうよー」

 いや……きみはすごく可愛いけど、おれは戦争なんて嫌なので、手入れの時以外は倉庫で眠っててもらいたい。

 切実に。

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