第5話 木の槍

 パパドとサマエルの紹介だって、羽根を見せたら、サモサじいさんはおれを下宿させてくれることになった。ありがたい。

 仕事は葡萄の選り分け。房の中でもいい粒だけを選んで分ける。

 色が深くて艶とハリがある最高の葡萄だけを選りすぐって銘酒が造られるって。

 地味だけど大事な仕事だ。

 単純におれが葡萄の木の面倒を見られないからだろうけど。

 容赦は要らなかった。

 とにかくいい粒だけを選べばいい。いい粒がない房はスルーだ。

 そうして造った酒は皇帝陛下や高位魔族たちに行く。

 高位の堕天使は土地や臣民を守ったり、法律を司ったりしてて国の根幹を支える存在だから、めっちゃ尊敬されてる。

 スタイルとしては軍事国家なんだろうけど、みんなのびのびしてる。

 最初の数日は選り分け直されたりしたけど、おれもだんだん慣れて作業が早くなってきた。

 じいさんに叱られることも減ってきた。

 毎日無心に葡萄を選り分ける。禅の修行みたいだな。

 じいさんが喜ぶように、ただそれだけ考えて葡萄の粒を拾う。

 それが上質の葡萄酒になる。

 普通の葡萄酒は木から刈り取ってそのままに。

 上級の葡萄酒は刈り取った房を選りすぐって。

 そして最上級の葡萄酒は粒を選んで。わかりやすい。

 働きながら、おれは棒で実戦の練習もしてる。

 もしスキル作戦がうまくいかなかったら、強い堕天使と戦うことになる。

 演武から少しでも実戦に近づけるように、必死で練習した。

 もちろん仕事は農夫だから、本業に支障が出ない範囲で。

 じいさんは日々自主練習するおれを面白がって冷やかしに来たりする。

 いい気なもんだ。

 その日もおれは小屋の中でカゴ一杯の葡萄を選り分けていた。

 サマエルから音信ないな。手こずってんのかな。

 そしてひらすら粒を選ぶ。

 そしたら、不意に窓の外が瞬時に明るくなった。なんだろう?

 立ち上がって外を見ると、葡萄畑から火の手が上がってた。

 なにが起きたのかわからない。畑の真ん中に発火物なんかない。

 上空から火が飛んできた。何個も飛んできて、葡萄畑を焼き始めた。

 窓から身を乗り出して火元を見上げると、白い翼を広げたなにかが飛び交ってる。

 ——やばい、たぶん戦争だ……!

 どうすればいいか一瞬迷って、おれは棒の片側を刃物で削り始めた。

 固くてなかなか削れないが、夢中で削って、なんとか棒の先を尖らせた。

 歪で使い物になるかわからないけど。

 じいさんたちが畑に出てる、なんとかしなきゃ!

 それしか頭になかった。

 どこの誰ともわからない行き倒れを助けてくれて、生き延びるすべを教えてくれて、今も生きるすべを与えてくれてる。

 そのじいさんたちを逃がさなきゃ!

 槍を持ったら体が震えた。

 大会に出る時とは比べものにならない緊張感。

 負けたら死ぬんだよな、と思ったが、現実感はなかった。

 今考えることはただひとつ、じいさんたちを、守る。

 小屋から出て、まっすぐに飛び上がった。

 不安はあった、にわか作りの槍もどきで太刀打ちできるのかどうか。

 でももうそんなことを考えていられない。賽は投げられた。

 相手は剣や弓で武装してて、こっちはまっとうな防具も武器もない。

 おれに気づいて直進してきた天使に槍先を突き出してみたけど、まったくダメだった。

 空中戦を想定しなかった致命的なミス。地面がないからまったく踏ん張れない。

 剣を払おうとしたけど、先を斜めに切り落とされて攻撃にならない。

 でも、ありがたい……これで本当に槍になった! 自分で削った槍よりも鋭利だ。

 飛ぶのが下手なのが幸いして、天使からの攻撃は当たりにくかった。

 予想したとこに予想した速度で飛ばないから、狙いかねているらしい。

 それでも、もっと飛ぶのが上手かったら、もっと楽に組み合えたのかもしれないって気がした。

 サマエルの指示に従って、なるべく飛ぶようにしてたんだけど、一朝一夕には上達しない。

 白い服と防具を着た金髪の天使が剣を振りかざして来て、おれは思わず翼でブレーキをかけたんだが、急停止の反動で体がのめって、上半身が前に飛び出した。

 しまった、やられる……!

 その時、視界に赤い飛沫が飛び散った。なにが起きたのかわからなかった。

 おれの前で剣を振りかざしていた天使の顔が目の前にあった、

 綺麗な顔が怒りかなにか、歪んでて気持ちが悪かった。

 不意に腕が重くなって、あわてて槍を握り直す。

 ズルズルと抜けていく感触があって、天使は真っ逆さまに畑に墜ちていった。

 なにが起きた……?

 はっと気づいた。ブレーキだ!

 急停止で踏みきりと同じ効果が出るじゃないか!

 飛び方が下手なおかげで、いい戦法を思いついた。

 剣を持った連中を槍を水平に振り回して牽制、かかって来た奴は一撃で仕留めた。

 反撃を許したら殺される。

 こうなれば槍は剣よりも有利だ。リーチが違う。

 天使が三人ばかり墜ちたところで、奴らは急に態勢を整えて畑から離れ始めた。

 逃げる天使に注意しながら振り向くと、たくさんの影がこっちに向かっていた。

 あれは帝国軍なのか?

 天使らが逃げ出したのを見ると、間違いなく敵対勢力だろうけど。

 今のところ天使は逃げてるんだし、戦う必要はない。

 畑にいるはずのじいさんたちを探した。

 危険を脱したのか、巨大な龍が飛んできてる。雨を降らせてくれるのかな。

 畑の中でうずくまったじいさんたちをやっと見つけて、急いで降りた。

 葡萄の木に思いっきり突っ込んだけど、痛みは感じなかった。

「じいさん、じいさん! 大丈夫か!」

 じいさんはうずくまってただけでほぼ無傷だったが、ばあさんの方は肩を少し切ってて苦しんでた。

 すぐ近くの地面に矢が刺さってた。

 間一髪だった……。

「ダルー、しっかりしろ、もう大丈夫だ、気をしっかりもつのだぞ!」

 ばあさんはひどく痛がってた。天使の攻撃って本当にすごいんだな。

 空を見上げると、大勢の堕天使の群れが舞ってた。

 こんな地味な土地まで、大勢派兵をするのか。

「お前が、助けてくれたのか……」

「世話になってるから恩返ししなきゃ。……ダルーばあさん守れなくてごめん」

「なに、これくらいの傷なら治療兵が治してくれる。案ずるに及ばん」

 ばあさん、可哀想に……痛くて声も出せないみたいだ。

 じいさんが言ったとおり、間もなくすると三人の兵士がやって来て、ダルーばあさんを家に運んで行った。

 うずくまっていたじいさんが立ち上がって、おれを見上げた。

「すまんな、本当に助かった」

「助けるなんてことはできてないよ……三人落としたのが精一杯だった」

「兵士でも民兵でもない農夫が三羽撃墜とは大奮闘じゃ、報奨ものだぞ」

 戦ってる間はどうやってこいつらを落とすか、それしか考えてなかった。

 冷静に考えたら、事情はどうあれ『殺した』ことになる。死んでいればの話。

 傷だけなら捕虜とかになるんだろうけど、自分が攻撃したのを思い起こすと、胸や腹だった気がする。

 実際、そういう練習してたんだし。

 助かってないかもな、天使。

 そう思うと平静ではいられなかった。自分が命を奪ったんだ。

 けれど、そうしなきゃサモサじいさんたちが殺されたかもしれない。

 おれはどちらかを選ばなきゃならなかった。

 とっさに選んだのはじいさんたちを守ることだった。

 兵士じゃない善良な一般人に一方的に斬りかかる連中なんか、まともじゃない。

 敵が退くと間もなく、畑周辺は大雨になった。龍が水を撒いて火を消し始めたんだ。

 火事は鎮火したけど、作業小屋は全焼してしまった。

 片付けなきゃと思うんだけど、立ち上がれない。今さら腰が抜けてる。

 しょうがないなあ、おれ……。

 血で汚れた服を洗いたい。気持ちが悪い。サビ臭くて嫌な臭いだ。

 そこへ兵士が数名やって来た。

「お前は、怪我はないのか?」

 おれの顔や服が血で汚れてるからだ。

「あ……おれは大丈夫……です」

 兵士さんはおれから視線を離した。その先におれの手があって、やっぱり血で汚れてて、その先に汚れた槍が転がってた。

 兵士さんの顔つきが変わった。

「まさかお前が敵と戦ったのか? 防具もなく、その棒で?」

「あ。はい……じいさんたち危な——」

「このバカ者がっ!」

 すごい大声で怒鳴られて、おれは思わず縮こまって頭を抱えた。

「戦など我ら軍務の者に任せ、お前たちはいち早く安全なところへ逃げよ!」

 驚いた……戦って叱られるとは思ってなかったから。

 褒めてほしいわけじゃなかったけど、まさか叱られるとは。

「あ……すみません……」

「で、お前は傷を負っていないのだな?」

「はい、無事です、これ返り血です……」

「ならばよい——こたびの武勲、見事であった」

 兵士さんはそのまんま去って行った。

 おれは今、猛烈に感動している。この国の兵隊さん、すごい。

 そして戦後のドサクサに紛れて身元証明を求められずにすんだ。

 ほんと、登録しないとまずいぞ。この国、ちゃんとしすぎてる。

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