第2話 森の主

 葡萄畑を貫くまっすぐな一本道をひたすら歩いた。

 喉が渇いた、水が欲しい、汗がとめどなく流れる。

 エネルギーが足りない。体が重い。

 しばらくすると霧雨が一帯を覆い始めた。

 これは助かる。少なくとも汗は抑えられるから。

 ありがたい雨雲を拝んだら、目を見張るほど大きな龍が上空でとぐろを巻いてた。

 周囲を薄い雨雲が覆ってる。

 魔界なんだ——やっとそう思えた。

 あの龍は畑に雨を撒いてるんだな。

 じいさんたちには広すぎる畑に水を。

 龍を見たら急に怖くなった。

 おれがこれから戦う魔王はどんな奴なんだろう。

 蛇……噛まれたり巻き付かれて絞められたりしたら死ぬよな。

 大蛇だったら棒じゃ太刀打ちできない。

 作戦を考えようにも、なにも出てこなかった。

 せめて一矢報いよう、もし殺されてもまた別のところに行くかもしれない。

 それこそ元の世界に戻れるかも。だったらいっそ素直に殺されるか?

 そんなおいしい話はないか。死んだら人生そこまでか。

 重い体を引きずって、ひたすらまっすぐ歩いた。

 途中で何度も休まなきゃならなかった。

 視た目細いわりに体はけっこう鍛えてあるんだけど、補給ゼロじゃ厳しい。

 空腹で一昼夜、おれは自衛官か。レンジャー試験でも受けてんのか。

 なるほど、そういう設定にしよう。

 おれは極秘任務でこうして敵に近づき、倒さなきゃならないんだ。

 そう、ミッションだ。失敗するわけにはいかない。

 だったら最高の装備が欲しいけど、贅沢を言ってちゃいけない。

 自衛官はお仕着せなんだから、どんなに粗末な装備でも任務を果たすのだ。

 ようやく大きな森に着いて、それでもまだ続く一本道を歩く。

 暗くなってきた。一本道でなきゃ迷うところだ。

 本格的に暗くなってからうろつくのは危ないな。

 ここで朝まで待つのがよさそう。

 疲れてるし、うっかり暗いうちに樹に着いたりしたら取り返しがつかないし。

 たまたま目についた丸太に座った。ああ、座ると動きたくなくなるなあ。

「おい、お前」

 不意に上から声がして、驚いて頭を抱えた。

 薄暗い森でいきなり声が聞こえたら、誰だって縮み上がる。

「堕天使ではないな、何者だ」

 お前こそ何者だ、訊く前に名乗れ!

「ははあ、堕天の果実を獲りに行くつもりだな」

 言い当てられたから、もう認めるしかない。

「そうだよ。お前こそ何者だよ」

「無礼な。我はパパド、この一帯の領主。陛下直々のご下命で森と村の畑を守っている」

 ヘイカノゴカメイ?!

「あんた、陛下に会ったことあるのか!?」

「無論。お目通りせずに直々のご下命を賜えるか」

「葡萄酒作りのじいさんは会えないって言ってたのに」

「じいさんというのはサモサのことか? サモサは幾度も陛下よりお褒めを賜っている、葡萄酒作りの名手よ。国に貢献できてこそ、陛下のお召しを賜れる」

 バサバサと羽音を響かせておれの前に降りて来たのは、銀色の羽根のフクロウみたいな鳥だった。丸い金色の目がギョロッと大きくて少しビビった。

「お前……人間か?」

「そうだよ。気がついたらこっちにいたんだ」

「なるほど、このままでは長くもたぬな。それで堕天の果実か。気概があるな」

「ここで会ったのもなにかの縁、少しでもいいから手を貸してくれないかな?」

「ことわる」

 即答です。

「だが、その身を憐れんで多少の情報ならやってもよいぞ」

「ほんと?!」

「条件がある。血を舐めさせよ。人間の血は美味と聞く」

 きたよ、それっぽいのが。

 でも考えてみれば人間界でも猛禽類は肉食だ。ここに限らない。

「噛まれるの嫌なんだけど」

「爪で引っ掻くならよかろう」

 しょうがないから左腕を出したら、手首の少し上あたりに爪を立てられた。

 痛かったけど我慢した。どんな情報でも貴重だもんな。

 そして滲んだ血を小さな舌で舐め始めた。

「ふむ、くせがなく、うまみはあってもくどくはない。舌触りも滑らか。これは珍味」

「血やったんだから、情報」

「もっと舐めさせよ。見合うだけの情報はやる。……肉もうまそうだな」

「よせよ!」

 冗談じゃない、嘴で生身引きちぎられるとか、ありえないし。

「健康体だったらも少し甘かったんだろうけど、今血糖値足りない」

「なに? 本来はもっと甘いのか!? 舐めさせよ!」

「じゃあ堕天の果実獲らないと」

「答えは〝人間〟だ!」

 は? なにそれ。

 いきなりなに言ってんの?

「答えは人間、決して間違うな」

 まさかのクイズ対決? スフィンクス的な?

 なら答え知ってりゃ完勝じゃん。レベル0のおれでもいけそう。

 そもそも、答えから遡って質問もわかった気がする。

 それきっと人間界にもあるクイズだわ。四本足、二本足、三本足だろ。

「獲った果実をその場で食うでないぞ? せっかくの人間の血を味わえなくなるからな」

 血糖値下がりすぎて死にそうだ。

「これ以上消耗したら、どんどんまずくなるよ。だから食っちまう」

 フクロウは不満気だ。でも事実だからしかたがない。

「致し方なし、もう少し舐めさせろ」

 吸血フクロウ。

 しつこく舐めてる間、とりあえず堕天するけど人間界に戻りたいことを話した。

 そのために『陛下』に会わなくてはならないらしいことも。

 血を舐めるのをやめて、フクロウがおれを見た。

「この不敵者め、言葉がない」

「不敵かな、やっぱ」

「謁見とは陛下直々のお褒めを賜るもの。なにかしら国に寄与する技能でもなければ、お目通りは適わぬ。お前は自分の都合で目通りを願いたいのだろう。門前払いだぞ」

 うーん、おれは訪問者に害意がなければウエルカムだけどなー。

 むしろ正義を背負った勇者のパーティの方が門前払いじゃない?

 でも確かにおれは自分の都合だけで動こうとしてる。

 正義すらもなく、自分都合で。

 ——それでも、おれは……。

「なにか方法ないのかな?」

「ある」

「教えて。も少し血舐めていいから」

 フクロウは血を三度ばかり舐めて言った。

「帝国軍にてもっとも上位にある五名の司令官を倒す。確実にお褒めを賜れる」

「無理」

 即答。なにその超ハードモード。

 五人も大悪魔倒せって? クソゲー無理ゲーの類い。

 パーティならまだいいけど、おれ単身じゃん。

 でも万一蛇さんに勝ったとしても、その先は攻略情報がないのも確かで。

 ああ、スマホで調べられるもんなら即行調べたい。

「無理は違いなかろうが、話というものは聞いておいて損はない。聞かせてやろう」

 パパドが言うには、対戦は誰でも望めるし、挑戦を受ける義務がある。

 堕天使同士は喧嘩しても死なないので、相手に降参させるべし。

 競技場で一対一、有観客試合。勝ち上がれば五試合目が御前試合。

 最終戦の相手は帝国軍総司令。

「やっぱ無理ゲー。木の棒でどうやって偉いひと倒すの」

「それは我も知らぬ」

「やっぱ無理。どう考えても無理!」

「ならば陛下へのお目通りは諦めよ。堕天して葡萄酒でも作って暮らせ」

「嘘でしょ……」

「長い時をかけて葡萄酒造りの腕を磨けば、あるいはお目通り適うやもしれん」

 めちゃくちゃ気の遠い話。

 聞いて損しない話なんか、なにもなかった。絶望的な気分になっただけで。

「……とりあえず蛇倒してくるわ」

「我に教わったとかと言うでないぞ、奴は謀略が嫌いだ」

「うん、おれも我が身可愛いから逆ギレされても困るし」

「夜明け前にここを発て。森を抜けた緑の丘の上にある一本の樹がそうだ」

 答えは『人間』。パパドのおかげで少し気が楽になった。

 樹を守護する蛇、倒せるといいなあ。

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