14 終希

 木々の間から村が見えるか見えないかというところまで登ったとき、ようやく恐ろしい爆発音が鳴り止んだ。

「終わった……」

 終始ペースを変えず振り向きもしないで手を引き続けた龍がようやく立ち止まり、するりと手が離される。自由になった腕で右目を拭い、左の頬の火傷をそうっとつついて痛そうに顔を歪めた。火傷で下瞼が大きく腫れ上がり、目は殆ど開いていなかった。

「痛くない?」

「痛いよ」

 あのとき冷やしていればもっと良かったのだろうけど、今はどうすることも出来ない。大丈夫じゃないと言われても困るだけだった。

 気まずさに目を逸らし足跡の続く先を目で追った。いつの間にか日が傾き空が赤く染まっている。二人が通って草が踏み荒らされた跡がずうっと向こうまで続き、倒木の先に何度振り向いても信じたくない光景が広がっていた。

 瓦礫は山に囲まれたすり鉢の底にあった。鼻をつく焦げた匂いが微かに昇ってきている。

 灰色に似た白い煙から黒く細い線が九つ、ゆっくりと立ち上り、ここまで届く前に消えてしまった。あれは人が死んだ時に上がる煙で、骸が変化したものだ。もういい加減信じざるを得ない。

 ずっとあの村だけが俺たちの全世界だった。色々な人がいて、端から端まで走ると息が切れるほど広い。そう思っていた世界はこうしてみるとドールハウスのようにちっぽけで、視界の半分にすら到底及ばないほどだった。

 それでも、俺の全てだった。

 もう俺には大切なものなど何も無い。家もなければ家族もいない。好きな人も趣味も気力ももう無かった。思考は止まり、何もする気が起きない。面白いものを探してみようとか走ってみようとか、今までだったら当然のようにやっていたそんなことすら興味が無い。村は無くなってしまった。大切なものは全て研究者に奪われてしまった。

「うっ……ひっく、うぁぁ……」

 自分で捨てたくせに泣いている龍がもうよく分からない。

 俺は泣けなかった。それまで満たされていた幸せを失いぽっかりと空いた穴には、炎が静かに居座っている。大量の水で消されるまではずっとそのまま燃え続けているのだろう。しかしその炎は目につくもの全てを壊したいと思うほど過激でもなく、今研究者の目の前に立って殴り殺してやりたいとも思わなかった。いずれ同じ苦しみを返してやる。

「しかし――」

「――、――だ!」

 人の声がした。研究者がいる村の入口はここから見るとちょうどすり鉢の反対側で普通の声ならば聞こえるはずがないのだが、家という遮断物がなくなりしんと静まり返った今ならよく聞こえる。言い争っていれば尚のことだった。

 研究者達は機材を片付けている。全身空調機のついたスーツに身を包み、涼しげな顔で車に乗り込んでいく。一台目が去り、二台目が去り、白くて丸っこい一台だけになった。最後に残った車は暫く動き出さずに同乗者を待っていたが、三十秒も待たずしびれを切らした運転手がずかずかと両腕を大きく振りながら降りてきた。

 大通りのど真ん中に同い年くらいの子供がへたり込んでいた。右手には火炎放射器を持ち、虚ろな目で呆然と自分が爆破した村を見つめている。

「てめえが……やったのか……」

 ふらふらと木の陰から出てたとき、ずっと虚ろな目で遠くを見ていたその子が強力な磁石に引っ張られるように顔を上げた。今まで経験したことの無い距離の対話だったが、俺には「目が合った」と分かった。瞳孔の位置まで見えていたかどうかは分からない。ただ、運転手に引きずられていく彼女は遥か先の俺を見つけて――笑っていた。

「殺してやる」


 ババアに言われた通りに山を登り、山頂にたどり着いた時にはもう日が暮れていた。

 暗闇の中、赤い光が下に見える。まだ燃え続けている家財おもいでと満月に近い月が霞んだ空の向こうから故郷の位置を知らせてくれる。龍はあれからずっと泣き続けて涙は涸れ、殆ど何も見えない暗闇の中で呆然と村を見続けていた。

 炎を見たまま「フィフティ」と呟いた。頬が焼けただれ左目が半分しか開いていない。何か言いたくて返事を待っていたようだったが、俺はそれを無視した。

「……何で皆を見殺しにしたんだ」

 感情的にはならなかった。なんだかもう疲れてしまって、龍に怒りをぶつける元気なんて無くなっていた。

「皆がいなくなっても平気に見えた?」

「……」

 もう皆は帰ってこない。もう二度と話すことは出来ず、きっと写真も燃えてしまったから顔を見ることも出来ない。思い出の中だけでしか会えなくなってしまった家族を一人ずつ思い浮かべては憎しみとやるせなさがこみ上げてくる。石を力なく蹴り飛ばすと、コロコロと転がっていって龍の足に当たった。龍がそれを拾い上げて俺の足下に投げつけると、泥が頬に冷たく跳ねた。

「平気なわけ、無いだろ! お前こそ、皆死んじゃったのにどうして泣かないでいられるんだよ!」

 胸ぐらを掴まれてぐっと首が絞まる。苦しいけれど別にそんなことどうでも良かった。寒々しく浮かんだ白い光を見上げ、いつも見ていた四角い空すらもう見えないんだと知る。空はこんなに広くて、何もない。ただ真っ暗な闇が際限なく広がっているだけでなんの面白みもない。

 いくら叫ばれて怒鳴られてもこの結果は変わらない。俺が出来ることは何もなかったし、この先何をしても生き返ることはない。ただ一つ後悔しているのは、どうして皆の手を離してしまったのか、と言うことだった。

「……泣いても何も変わらねえよ」

 目を逸らすと赤い光がぼんやりと見える。乱暴に解放された襟を適当に直して村を見下ろした。

「終希」

「は?」

 龍が聞いたことのない単語を口にした。隣に立ち、遠くの空を見つめている。

「お前のことだよ、フィフティ」

 眼下では未だに炎が燻っていた。

「終わりに、希望の希。意味は――」

「希望の終わり……絶望か。いいなそれ、俺は今日生まれてフィフティは今日死んだんだ」

 終希、それは家族で過ごした日々の終焉。そして皆の命を道半ばで終わらせた罪人の名。それを俺につけた龍は俺一人にその罪を背負わせようとしていた。

 心に刻む自分の名前にこれ以上ふさわしいものは無いだろう。首に刻まれた真名とは重さが全く比べものにならない。俺は名前と共に託された復讐の炎で心臓を動かし生き続けることを誓った。果たされることなく焼失した希望ふくしゅうを成し遂げるために、家族がつけてくれた名前を一生背負っていこう。

「殺してやる、全員、一人残らず絶望の底で殺してやる。だから絶対に死なない。あいつらに地獄を味わわせる日まで生きてやる」

「フィフティ、違う、俺はそんな意味で言ったんじゃ……フィフ」

 肩に触れる手を振り払った。また一人だけ辛いことから逃げようとする龍のことが何も分からなくなってしまい、あんなに強固だと思っていた家族の絆はガラスが割れるように壊れてもう殆ど感じられなくなってしまった。

「終希だろ、龍」

「……ごめんね」

 何かを決心したように口をぎゅっと結び、嘘で作り固めた笑顔を向ける。気分が悪くて、腹が減るのをごまかし地べたに寝転んだ。

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