日常に戻るその時に

@salty2019

 四十二日。これは俺がリミットの五十二・一キロまで、約八キロの体重を落とすためにかかった日数だ。これだけの時間をかけて、身体を、そして心を痛めつけるような激しいトレーニングをしながら食事制限をして減量し、計量に臨む。全ては後楽園ホールのリングに『立つため』に。『勝つため』ではない。この体重を落とす作業は最低条件だ。


 勝つためにはただ体重を落とすだけではいけない。


 ボクシングを含めた体重別のスポーツでは、いかに『自分が有利に戦える階級』を選ぶかが重要だ。身長やリーチ、骨格などの体型と相談しながら、自分自身が一番良い動きができる階級を選ぶ。無理な減量をすれば、筋力は落ち、敏捷性や注意力なども低下し、当然弱くなってしまう。単純に体重を落とすだけではなく、身体と心を研ぎ澄ますための減量をしなければならないのだ。そのためには栄養摂取、つまり食事の管理は重要な要素の一つだ。


 身長は百六十二センチ。一般的な体脂肪計で測定している体脂肪は十パーセント。試合が決まっていない時は、六十キロをキープしている。ここから一ヶ月半で八キロ削る。普段それなりに節制していても、試合前日の計量までに五十二・一キロまで落とすのは少々骨が折れる。だが、決して無茶ではない。


 減量に関連した知識を学んだことが無ければ「飲まず食わずでトレーニングすれば、体重は落ちるのでは」と思う人もいるだろう。ある面では真実だが、そんな体重の落とし方ができるのはせいぜい二日程度だ。三日もすれば運動パフォーマンスは著しく落ちることになる。代謝も落ち、体脂肪の減少も妨げられる。


 無謀な減量で得られるのは、多大なストレスと、それに耐える根性だけだ。そして、減量に耐える根性を鍛えても、試合に勝てるわけではない。


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 プロボクサーのトレーニング、特に試合前のそれは、短時間であっても過酷だ。質と強度に違いはあれど、世界チャンピオンでも、俺のような四回戦ボクサーでも『キツイ』トレーニングであることは、変わらない。


 一ラウンド三分。インターバルに一分の休憩を挟み、四ラウンド。最大十二分の殴り合いのためにキツイトレーニングをする。朝晩どちらか、もしくは両方で十キロ程度のランニング、百メートルダッシュなど、いわゆるロードワークなどとも呼ばれるラントレ行う。

 ジムでは、コンビネーションの確認をしながらサンドバッグやミットを打つのはもちろん、ペアを組んで30秒間フルパワーでサンドバッグを交互に叩きあう。それを十六分間続け、心拍数を上げて鍛える、高強度のインターバルトレーニングもある。

 そして、実際にリング上で実戦形式で戦うスパーリングなどを含め、合計九十分程度を集中してトレーニングをする。トレーニングが終われば、しゃがみこんで立ち上がれないくらいに追い込むこともザラだ。酸欠でチアノーゼを起こすこともある程に強度を上げることさえあるのだ。

 これを週に五から六日。計量の一週間前まで続ける。最後の一週間だけは疲労を抜き、体重、体調を整えながら、動きを確認する時間になるが、それまでは地獄だ。


 そして、ほとんどのボクサーが、トレーニングとは別に仕事をしている。ご多分に漏れず、俺も平日は会社員として働いている。ごく一部のスポンサー付きのボクサー以外は生活のために別の仕事をしなくてはならない。当然そちらも手を抜けない。


 そんな状況の中、カロリー計算をして、消費カロリーが摂取カロリーを上回るように食事を摂る。これが減量のベースとなる。

 もちろん、カロリー計算だけではない。たんぱく質、脂質、糖質のバランスも考えながら、満腹感を感じるようなメニューを作る。鶏肉や魚を中心にたんぱく質を取り、運動のためのエネルギーとなる糖質を、米を中心に摂取する。大量のキャベツの千切りと、茹でた鶏胸肉百グラム、そして米飯二百グラムという組み合わせがメインだ。

 もちろん、ビタミンやミネラルなども忘れない。足りない分はサプリなども使いながら、しっかりと身体に栄養を満たしていく。自炊を中心にどうしても無理な時は、コンビニの栄養素表示とにらめっこだ。


 毎食、摂取カロリーと摂取栄養素をメモし、基礎代謝の消費カロリーと運動による予測消費カロリーを計算する。

 あとどれくらい余裕があるのか、少しでも何か食べるものを増やせないのか、甘いものを食べる余裕はあるのか、そんなことを考えながらメモを眺める。

 余裕が出て甘いものを食べることもある。ハイカカオのチョコレートだ。一つ三十キロカロリー未満。カロリー計算もしやすく、脂質糖質量も調整しやすい。カカオ九十パーセント程のチョコレートがとてつもなく甘く、美味しく感じるのだ。

 

 また、トレーニングをしていれば、体内の水分が汗として排出される。それを補い、そしてより多くの水分を筋肉に含ませるために、一日に四リットル以上の水分を摂取する。日によっては六リットルを超えることもある。

 そして安定した質の良い睡眠を取る。

 こうすることで代謝が上がり、脂肪が落ちやすくなっていく。これを繰り返していくと、計量日近くには市販の体脂肪計では、計測下限値の五%になっていることも珍しくない。


 もちろん常に線形に落ちていくわけではない。代謝の状況によって停滞してしまう時だってある。

 じわじわと溜まる疲労。手間はかかるし、好きなものを食べられない食事制限。落ちない体重。増える一方のストレスと不安。


 ここで『体重が落ちないから食事や水分を減らし、より多くのトレーニングをする』ような、無茶な方法に走ってしまえば終わりだ。

 こんな時には、代謝を上げるために普段以上のカロリーを摂取することがある。『チートデイ』と呼ばれる日を作る。

 ただ、それも無闇矢鱈にたくさん食べれば良いわけではない。糖質、特に米飯を中心に摂取する。チートデイと言えども好きに食べられるわけでないのだ。

 減量には明確な理論があり、それを知ることと、日々の記録と実践がとてつもなく重要だ。


 減量に失敗して、リミットをオーバーすることは、ボクサーとして最も恥じるべきことの一つだ。リングに立つための最低条件を整えることさえできない。KO負けすることの比ではない恥だ。

 もし試合が中止になれば、チケットを買ってくれた人にどんな顔をして会えばいいのか。

 試合に負ける恐怖。怪我、後遺症への恐怖。命を失うことへの恐怖。そして、それだけでなく、リングに立つことさえできないかもしれないという恐怖を感じながら、トレーニングをし、食事をする。

 食事をする度に『もしかしたら』という恐怖を感じながらも、しっかり食べる。食事をすることへの恐怖を感じながら、箸を動かすのだ。理論的には正しいはずだと頭では理解していても、この恐怖が消えることはない。



 計量前夜。ここまで体脂肪を削り、身体と心を研ぎ澄ませてきた。ここから最後の仕上げ、『水抜き』だ。

 この時点で五十四・五キロ程度。つまり二・四キロオーバー。これを体内の水分を汗として排出して、体重を軽くする。筋量を維持したまま体重を落とすために、体脂肪では落としきれなかった分を、水分の排出で補うのだ。

 ここで汗をしっかり出すには、当然体内の筋肉に水分がしっかり含まれている状況を作らなくてはならない。つまり今までの減量の総決算のようなものだ。

 身体に大きな負担がかからないように、半身浴で少しずつ時間をかけて汗を出す。浴槽へ出たり入ったりを繰り返しながら、約二時間かけて、少し多めに二・六キロほど落とす。ここからほんの少し水分を摂取しつつ調整をする。

 それでも軽い脱水状態のため、口の乾きと体温の上昇、倦怠感は抑えられない。そのうえ、計量と試合への不安が常にそばにある。そんな状態で眠り、翌日の計量に備えるのだ。


 無事に計量が終われば、身体に水分を戻すために少しずつ経口補水液などを摂取していく。一時間ほどかけて二リットル程度を補給した後、少しずつ食事を取る。米飯をよく噛み飲み下す。あまり胃の負担になるものは控える方が良い。ここで身体にエネルギーを蓄えていく。


 そして翌日、リングの上で、眩しいスポットライトを浴びながら、殴り合う。



 試合が終わって三日も経てば、体重は計量時から五キロ程度は増えている。鏡を見なくとも、顔と腹回りがふっくらしてきたのがわかる。

 試合後の食事は、勝敗に関わらず身体を癒やしてくれる。だが、ファイタースタイルで戦う俺は、試合後すぐに食事を楽しめるコンディションにはなりにくい。

 もらったパンチで口の中は切り傷だらけ。頭がぶつかり、フックももらったこめかみ付近は腫れ、口を開けると酷く痛む。しっかり噛むような食事はできない。

 そんな状況であっても、今までの減量メニューとは違い、カロリーも栄養も計算せずに、好きなように食べられるというだけで心は踊る。



 寝る前になって空腹感を感じれば、減量中には絶対にできないことをする。


 ケトルに水を入れ、お湯を沸かす。封を切って、お湯を注ぐのだ。


 緑のたぬき。


 サクサクではない。出汁をたっぷり含み、柔らかくなった天ぷら。少し長めに待った蕎麦の食感。熱さが口の中の傷に少し沁みる。そして口の中に味が拡がる。


 日常の味。


 そう、日常に戻ってきたんだと感じさせてくれるのだ。気がつけば毎試合後、緑のたぬきを食べている。緑のたぬきが、いつも日常に戻してくれている。

 熱さが、そして塩気が、口内の傷だけでなく心の傷にも沁みてくる。勝っても負けても、日常に戻してくれるのだ。


 でも、やはり、勝って日常に戻りたい。そう心から思うのは、ボクサーだからだろう。リングに立って、闘ったからだ。そして、それは誇りと呼ばれるものかもしれない。


 日常に戻るその時に、緑のたぬきがこんなことを思わせるのだ。

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