4
驚きの声を漏らしたのは、神崎だった。
「まさか……」
しばらく宙を泳いだ視線が、根本に向かう。
根本が顔を伏せて小さくうなずく。かすかに、笑いをこらえていた。
「済まなかったな。だが、極秘中の極秘事項だったものでね……。それを知っていたのは、レディ・ドラゴンと私の二人だけなんだ」
神崎は呆然とレディ・ドラゴンを見た。
「そういうことでしたか……やはり、あなたに命を預けたことは正解でした……」
レディ・ドラゴンが肩をすくめる。
「敵を欺くには、まず味方から――罠の基本だからね」
「本当は私も疑ってもいたんでしょう?」
「ま、疑われても仕方ない立場だからね。国の命運がかかっているんだから、見過ごすわけにはいかない」
「当然だと思います。で、いつからそんなトリックを企んでいたんですか?」
「この話を持ち込まれた時からだよ。5号様は軍人じゃないが、元々北朝鮮の手先だった。パチンコで荒稼ぎした資金を本国に流して核開発を進めた原動力の一人だ。北は、ケイコをファントム・プリズンに送り込むために5号様を利用した――つもりでいたが、実際は北の目に止まるようにあたしがあれこれ情報を流して誘導していたんだよ。5号様とあたしは古くからの付き合いで、昔、二人で組んで国の鼻を明かしたことがあってね。で、あいつはあたしの正体を知らずに、セキュリティ破り専門の凄腕犯罪組織のリーダーだと信じ込んでいる。だから5号様はあんたに『ジーンゲイト破りをレディ・ドラゴンに依頼しろ』と紹介したんだ」
「あなたに接触して根本大将と繋がりがあると明かされた時には、本当に驚きました……」
「だろう? あの段階で、作戦はほぼ固まっていたんだ。あんたが接触してきたってことは、計画が順調に動いている証拠だ。で、あたしはジーンゲイトを突破するための調査を開始した――って見せかけながら、次の段階に進んだ。まずは、この芝居の主人公の選定だ。それが終わって、『SHINOBI』の血液検査に偽データを紛れ込ませた。このデータはこっそり警察のデータバンクにも送られていると分かっていた。データバンクは警察内の北のスパイが監視している。一カ所にデータを紛れ込ませさえすれば、北の方から動き始めることが期待できた。案の定、北の命令を受けたあんたから『矢作直也を取り込め』と指示されて、拉致に使った建物や機材を準備した。当然、用意した機材にはDNAをごまかす仕掛けをごっそり詰め込んだけどね」
「自分はあなたの手のひらの中で踊っていた……ってわけですね……」
根本がつぶやく。
「お前だけじゃない。北朝鮮も、日本も、騙されたんだ」
レディ・ドラゴンはニヤニヤと笑っているだけだった。
自分を置き去りに進んでいく話を呆然と聞いていた矢作は、頭を抱えてうめいた。
「何だよ、それ……DNAが関係ないなんて……。それじゃ、俺は何だったんだよ……。誰でもよかったのかよ……」
レディ・ドラゴンは明らかに面白がっている。
「その通り。DNAに関しては、誰でもよかった」
「じゃあ、なんで俺なんだよ……」
「あんただから、あの修羅場を生き残れたんじゃないのかい?」
矢作が顔を上げる。
「修羅場……?」
「大した男だよ。あたしの期待を裏切らなかった。影武者のペントハウスに入るまでなら、確かに誰でもできるだろうさ。北朝鮮のスリーパーたちが守ってくれるんだからね。だがその先は、本気で自衛隊と戦わなくちゃならない。命がけの脱出が続く。下手な芝居を打てば、周に見破られる。周が腹の底から怯えなければ、隠し資産は絶対に手放さない。だから、こっちも賭けだった。臨場感が増すように、自衛隊には何も知らせていなかったからね。当然、本当に北朝鮮からの攻撃を受けていると判断する。しかも、指揮をとるべき神崎が敵側だ。だから向こうもこっちの裏をかこうとする。どんな反撃を仕掛けてくるか予測できない。実際、気化爆弾まで持ち出してきた。即席の指揮官が予測以上に的確な判断を下したってことだね。だからあれは、正真正銘の戦争だった。その中で臨機応変に対処して、タワー2へ移動しなくちゃならない。そんな離れ業、誰にでもできるわけじゃない。何よりも、人間離れした身体能力が欠かせない」
「だから『SHINOBI』プレーヤーに目をつけたのか……? 自衛官とか警官とか、他にも体力バカはいるだろうが。何で『SHINOBI』だったんだよ……?」
「自衛隊に巣食ったスリーパーを狩り出す作戦に、自衛官が使えるわけがないじゃないか。警官や消防の公務員も安全じゃない。確実にスパイではないといえる民間人が必要だったんだ」
「だったら、オリンピック選手だっていい。体操の強化選手とか、いっぱいいるだろうが……?」
「それも考えた。だがね、あいつらの筋肉は偏ってるんだ。決まった種目だけに向けて身体を作ってるからね。指先で壁を登れる奴なんていやしない」
「ボルダリングやってりゃできるさ」
「少しはマシだけど、脚力も持久力も必要だろう? 壁に張り付いてるだけとは限らないんだから。その点『SHINOBI』はすばらしい。全身の筋肉をくまなく鍛えてるし、敏捷性や判断力もずば抜けている。何より、テレビの企画にすぎないから、選手が特別な有名人だというわけでもない。男娼として送り込むにはぴったりだ。あんなところにオリンピックのメダリストを送り込んだら、目立ちすぎて罠にならないからね。……って、実は第二候補はクライマーだった。第三候補はパルクールパフォーマー、そしてスタントマン。候補は、五人用意していたんだ。あらゆる情報を摺り合わせて、最終的にあんたに決めた」
「だけど、何で俺なんだ⁉『SHINOBI』の選手は他にだっている!」
「あんたは独り者だからね。親も死んでるし、会社もクビになっている」
「死んでも隠せるってことか⁉」
「ま、それは否定しない。だが、悲しむ者が少ないのも事実だろう? しかも、従わなければならない理由もある」
「息子たちで脅迫できる……ってことか。おまえら、それでも人間か?」
「できれば、一般人は巻き込みたくはなかった。だけど、国の命運がかかった作戦だ。時間も豊富じゃなかったからね……贅沢も言ってられなくてね。済まないとは思ってるよ」
「畜生、だからって……何で俺だったんだよ……宝くじにだって当たったことがないのに……運が悪すぎるだろうが……」
「運じゃない。あんたの実力が、トップクラスだからだ。今回の『SHINOBI』じゃいきなりしくじったが、あれは自分にプレッシャーをかけすぎたからだろう? 考え過ぎなんだよ。潜在的には有り余る能力を隠し持っている。理性や恐怖心が能力を押さえ付けてしまうんだ。そういう人間ってな、本能的に動くしかない危機に放り込まれると、タガが外れて爆発的な力を発揮する。火事場の馬鹿力、ってヤツだよ。あんたはそういうタイプだと睨んだ。実際、そうだった」
「そんなことを言われても、うれしくも何ともない……。俺としては、選ばれなかった方がよかった……」
レディ・ドラゴンの目つきが鋭く変わる。
「本気かい? 選ばれなかったら、宝物は見つからずじまいだったんだよ」
「宝物?」
「見つけたろう?」
「何を?」
「あんた自身を。なあ、楽しくなかったかい?」
「は? 何を言ってる?」
「訳も分からずに戦場に叩き込まれて、自分の力と頭だけで切り抜けてきて――楽しくなかったか、って聞いているんだ。あんたは、アドレナリンに浸っている時が一番幸せになれる人間なんだ。っていうより、浸っていないと幸せになれない人間だ。だから『SHINOBI』が辞められなかったんじゃないのか?」
「何でそんなことが分かる⁉ 他人のことを勝手に決めつけるな!」
「確かに、人の気持ちなんてそう簡単に分からないけどね。あんたの過去は徹底的に調べた。すべてを重ねあわせてプロファイルした結果だよ。拉致して閉じ込めた時に身体機能を確認したのは、あくまでも最終チェックに過ぎない。でも、間違っちゃいないだろう? 自分を認めることだ。もう一度聞こう。楽しくなかったかい?」
矢作は、もはや否定し続けることができなかった。
「分かったよ……俺はどうせ、半端者だ。普通の会社でじっとしてはいられなかった。普通の家庭でも満足していられなかった。そのくせ、スポーツ選手を目指すとか、何か特別な夢を持ってる訳じゃない……なんか、そんなルールに縛られた世界にいると落ち着かなくてな……ああしろこうしろって言われるのに耐えられないんだ……だから、ただ障害を越えれば何をやってもいいっていう『SHINOBI』の単純さにはまった……というか、我を見失った。ルールの中じゃ何もできない……つまり、俺は出来損ないだ。中途半端な人間なんだよ……だから家族も失ったんだ……」
レディ・ドラゴンは繰り返した。
「楽しくなかったのかい?」
矢作は涙をこらえるように叫んだ。
「楽しかったよ! だからダメなんだよ! こんな男が家族なんか持っちゃいけなかったんだ。いい大人が、自分を見失っちゃおしまいなんだよ!」
「どんな気持ちだった?」
「は? 何が⁉」
「爆発から逃れてタワーにぶら下がった時とか、ロープで隣のタワーに移る途中に銃撃された時とか、自分の命がいつなくなるかも分からない瞬間に、どんな気持ちがした?」
「どんなって……何がなんだか分からなかったけど、頭がしびれるように、それなのに何もかもがはっきり見えるみたいで、心臓はバクバクいってるのに身体の隅々にまで力が漲ってきて……ああ、楽しかったよ! 今までで一番楽しかったよ! それが悪いのかよ⁉」
レディ・ドラゴンは優しく微笑んだ。
「あんたはそういう男なんだよ。家族より『SHINOBI』を選んだ。そんな自分を素直に認めるんだ。これじゃダメだと思うから、つらい思いをする。常識に縛られるから息苦しくなる。認めてやるだけでいい。あんたはルールで縛れない男だ。素直に生きればその力が本当に発揮できる。なにしろ、あれだけ厳しい戦場から生きて帰ってきたんだからね。あんたは、普通じゃない、とびっきり弾けた男なんだ」
矢作はじっとレディ・ドラゴンを見つめた。
その通りなのだ。
今までは、自分の気持ちと常識の狭間ですりつぶされるようにして生きてきた。妻と子供を守るのが夫の役目だと自分を押さえつけ、それが普通なのだと思い込もうとしてきた。縮こまって生きてきた。だが、自分はそんな人間ではなかった。仕事や家族だけに縛られて満足できる男ではなかった。
矢作は、攻めることしかできない人間だったのだ。
重荷から解放された気分だった。
矢作はレディ・ドラゴンに微笑み返した。
「そう……なのか?」
レディ・ドラゴンは小さくうなずいた。
「いい顔だよ」
矢作は思い出したように言った。
「ケイコはどうなるんだ?」
「どうなるんだろうね……あの娘は何一つも失敗せずに、完璧に任務をこなした。だけど、作戦自体は惨敗だからね。瀋陽がどう考えるか……。あの娘自身が選んだことだから、どうなったところで諦めるしかないだろうね」
矢作には分かった。ケイコは自分で選んだ道を貫いた。それは、家族を守り抜くという道だ。矢作と同じだ。どんなに苦しくても、他に選択肢はなかった。それは、自分を〝殺す〟道でもあった。
改めて、ケイコは〝戦友〟だったのだと思う。
矢作には、その苦闘の先に自分自身を発見するという驚きがあった。解放があった。だが、解放された理由は、多分〝運〟でしかない。自分が日本という国に生まれ、そして作戦が〝成功〟したからだ。矢作自身が作り出した結果ではない。
果たしてケイコも、同じように解放されるのか。
そう願う他に、できることはなかった――。
矢作は尋ねた。
「ケイコは、いつから5号様の部下だったんだ?」
「ファントム・プリズンに入る直前からだ。この作戦のために瀋陽が送り込んだ軍人だからね。あいつの監視役さ。今じゃ5号様は、瀋陽の監視から逃れられてほっとしてるんじゃないか? ま、ケイコがいたおかげで、あんたとは楽しめたようだけどね。気になるかい?」
「命の恩人、だからな。今後、どうなったのかが分かったら知らせて欲しいんがだ……」
レディ・ドラゴンは根本を見た。
根本が答える。
「気にしておこう。情報科が掴んだら、必ず教える」
矢作はうなずいた。そして、肩の荷を下ろしたように晴れやかに言った。
「ところで……5号様に言ってた〝長靴〟って、何のことだったんだ?」
レディ・ドラゴンは不意を突かれ、一瞬顔を赤らめたようだった。
「馬鹿野郎……女に向かってそんな恥ずかしいこと聞くんじゃねえよ」
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