『こくりゅう』に収容され、着替えを終えて艦長室に通された二人を待っていたのは、神崎の上官とレディ・ドラゴンだった。

 すかさず敬礼した神崎が告げる。

「根本大将、任務完了を報告いたします」

 陸上自衛隊大将が厳しい表情で告げる。

「神崎少佐、ご苦労だった。一〇〇作戦(ひとまるまるさくせん)の完了を確認した」そして、笑みを漏らした。「これで君は、日本人だと証明できたな」

「ありがとうございます」

 神崎の表情も緩む。だがそこには、幾分かの悲しみがにじみ出ている。

 矢作にとって、潜水艦の内部は初めてだった。すべてが珍しく、驚くことばかりだ。しかも、狭い。何より、彼らを迎えたのが大将だと言うことが一番のサプライズだった。

 自衛隊には大した知識がない矢作でも、大将とはかつての幕僚長で、陸海空自衛隊、あるいは自衛隊全体のトップであることは知っている。神崎は、その最高指揮官から与えられた作戦を遂行していたらしいのだ。

 大将と親しげにしていたレディ・ドラゴンが、矢作に笑いかけた。

「あんた、あたしがスパイだと信じ込んでいたろう?」

 矢作がうめく。

「中国人だろうと思っていたが……違うのか……?」

 レディ・ドラゴンの笑みが広がる。

「佃島生まれのちゃきちゃきの江戸っ子だよ。それはともかく、確かに中国の手先は日本のあらゆる組織にはびこっている。だからあたしも、わざとらしいチャイナドレスであんたに先入観を持たせた。そう思い込んでくれた方が自然に見えるし、操るのに都合が良かったからだ。だが、神崎は本物の北朝鮮のスパイだ。いや、だった」そして、大将を見る。「教えてやってもいいね? この男、これだけの荒技をやってのけたんだから」

 大将がうなずく。

「君がいいと思うならそうしたまえ。私も、矢作君には強い関心がある」

 うなずいたレディ・ドラゴンが語り始める。

「そもそもの始まりは、北朝鮮軍が自衛隊の奥深くにスパイを潜り込ませてきたことにある。その数、100人を軽く越えると予測されていた。第二次大戦後から着々と進められてきた日本への浸透工作の結果だ。戦後の混乱期なら警察予備隊なんかに紛れ込むのはさして難しくなかっただろうからね。もちろん、軍隊としての体裁を整えてからは、隊員の素性は厳しく審査されている。それでも、日本人を偽装することはできる。戸籍を乗っ取る〝背乗り〟とか、日本人との結婚による〝国籍ロンダリング〟がよく使われる手段だ。身分を偽装するネットワークが在日ヤクザたちとの間に出来上がっているんだ。そうやって北朝鮮は、自衛隊以外にも警察や消防などの公的機関や官僚組織、マスコミや政財界にも人員を送り込んだ。彼らは皆、いざとなったら〝祖国〟の指示に従うように訓練された〝軍人〟だ。そして、長い年月を経て着実に地位を上げ、日本人として組織に馴染んでいった。新興宗教で洗脳されたみたいな人間だから、目的を達成しようというモチベーションが半端じゃない。そこそこの幸せの方が落ち着けるという今の日本人の中に入れば、どんな分野でも頭角を現せる。もちろん精神的に破綻する脱落者も多いが、北朝鮮はどんどん新たな人材を送り込んできた。だが、彼らには横の繋がりがない。彼ら自身も、誰が味方か分からずに、孤独に耐えながら〝祖国〟からの命令が下る時をじっと待つだけだ。ひたすら眠り続ける休眠工作員――スリーパーとしてね。その命令は、日本が北朝鮮と敵対した時に発動されるはずだった。自衛隊内での破壊活動、国内でのテロ行為、ライフラインの破壊……日本という国のあらゆる場所に根を張った組織が一斉に蜂起したら、この国は戦うことすらできなくなる。それだけのスパイ網を、密かに築いていたんだ。亡命政権の樹立でいったん組織の機能は止まったように見えたが、構成員の情報は秘匿されたままだった。北朝鮮の体制が元に戻れば〝ゲーム〟も再開される。で、その駒の一人が、この神崎だった」

 レディ・ドラゴンが一息置いて神崎を見た。

 促された神崎が口を開く。

「私は、平壌で生まれ育ち、祖国にのみ忠誠を尽くすよう教え込まれ、日本人に化ける技を叩き込まれた。そして、キム・ジョンイルの側近の直属部隊員であることを隠し、自衛隊の隊員募集に応募した。身元はすべて、日本国内の組織が偽装した。役所や警察にも組織は浸透しているから、背乗りの戸籍を用意することなど容易い。入隊してからは、一度も祖国との連絡を取ったことはない。自衛隊のどの部署でも構わないから、少しでも高い地位に就くことが使命だった。常に身元を暴かれるのではないかという恐怖に怯えながら、ただひたすら努力を続けた。そして二〇年近くが過ぎ……祖国はリーダーが変わり、国の仕組みも変わった。私の上官だったチャン・ソンテクまでが惨殺された。ジョンウンは、実の叔父を殺して資金の流れを独占したんだ。同時に、秘密機関の命令系統も奪い取った。チャンに関わった者たちも、皆、粛正されていった。その中には、私の家族も含まれていた。父と母……そして、兄弟たちとその家族だ。全員、銃殺されたそうだ。生まれたばかりの姪まで、だ……。帰国した拉致被害者の聞き取りをした情報科からのブリーフィングで偶然それを知ったときは……ショックだったよ……。ジョンウンが異常だということは分かっていたが、まさかそこまで狂っているとは……。狂っているからこそ、お山の大将でいられた亡命前の体制に固執して、かつての北朝鮮を復活させたのだろうな……。私は完全に日本人を演じていたし、日本へ敵対することへの疑問は抱いてはいたが、国への忠誠心まで失ったことはなかった。だから結婚して家族を持つことは避け、一人で孤独に耐えてきた。だが、祖国は私の忠誠を裏切った。まるで、この世に存在してはならない邪魔者のように……。元々私たち特殊部隊員は、敵地に潜入したら自分で考え、判断するように訓練される。日本に来てからの私の考えは、揺らぎ続けていた。日本で暮らして自分の頭で考えれば、祖国が正常な国ではないことは分かる。だから、このまま祖国からの命令が下らないことをひたすら願っていたのだ……。このまま、日本人として死にたい、と……。ところが、この仕打ちだ。そして、思い知った。祖国とは、国家ではない。そこに住む人々だ。私の家族や友人だ。その絆があるから、私は耐えてきた……。耐えられた……。だが、絆が断たれれば北朝鮮に繋がれている理由は消える。心からキム王朝に忠誠を誓っていた訳ではなかったのだと、認める他はなかった。もう忠誠心を捨てても構わないのだと納得できた。マインドコントロールを解いてくれたのは、この日本だ。できれば北朝鮮には、国民の力で普通の国になってほしいとは思うがね……」

 矢作が問う。

「だが、あんたはどうやってファントム・プリズンの所長になったんだ?」

「計画が動き出した時には、すでに管理を任されていたんだよ。単なる偶然……悪夢のような偶然だ。だから、私が選ばれたんだ。命令は、本国から直接送られてきた。北が掴んでいた情報は見事なまでに正確だった。つまり、自衛隊の幹部の中には、隊員の配置を自由に変えたり、日本で監禁されている周金幣の情報を知り得る、高い地位のスリーパーがいる……」

 神崎が口ごもり、視線が大将に向かう。矢作に話しても構わないのかを判断しかねたのだ。

 大将がうなずく。

「言葉を濁す必要はない。すべてを話そう。自衛隊のトップレベルに、北朝鮮のスパイが潜んでいる。我々も、それを疑っていた。分からないのは、それが誰か、だった。周金幣がファントム・プリズンに収監されたこと自体は警察や政府関係者にも知る者は多い。およそ二〇人というところか。そのどこかから漏れた情報を元に、北朝鮮を配下に収めた旧瀋陽軍区がすベてを企てた。周が隠し持つ1兆ドルを奪え――とね。だが実際に作戦を遂行するには隊内の詳細な情報を掴み、手足となるスリーパーを適所に異動できなければならない。だから、切り札を動かした。自衛隊で周の件を知っていたのは私を含めて六名。そのうちの誰かが、スリーパーだったのだ」

 レディ・ドラゴンが後を引き継ぐ。

「周資金強奪作戦の指揮官には、当然神崎が選ばれた。だが神崎は、命令を受けた直後に根本にすべてを告げた。そして根本が私にクロスカウンターを喰らわすプランを立案するよう依頼してきた」

 矢作はレディ・ドラゴンをじっと見つめた。

「は? 依頼、って……あんたも自衛官なのか?」

 レディ・ドラゴンがにやつく。

「ただの犯罪者、だよ」

「犯罪者?」

「犯罪者だが、この手の謀略の専門家でね。しかも根本は何年も前からの友達だ。あたしが何をできるかを良く知っている。自衛隊の中にはどこにスパイが潜んでいるか分からない。警察や公安も信用しきれない。隠密裏に対策を立てるには民間人を頼るしかないだろう? シナリオのゴーストライターってとこだね」

「自衛隊の幹部と知り合いの犯罪者だって……? だから、あんた、何者なんだよ……」

 レディ・ドラゴンは矢作の質問を無視する。

「北朝鮮も、周の口座を襲うにはジーンゲイトを破る必要があることが分かっていた。そこが唯一、越えられない難関だった。で、まずは下準備を整えた。腐れ縁だった5号様をファントム・プリズンに入れることで、ケイコを内部に送り込む。で、北朝鮮を罠にかける準備をすべて終えてから、〝鍵〟を登場させた」

「それが俺か……俺のDNAがあったから、こんな馬鹿げたマネを……? 何にために……?」

「第一の目的は、北朝鮮のスリーパーを一掃すること。可能なら正体を暴いて、二重スパイにするか、そのまま泳がせて偽情報を送り込むルートに変える。小物は処分する」

「最初からあそこで看守たちを殺す気だったのかよ……。俺まで死ぬところだったんだぞ!」

「これは、まぎれもない戦争だからね。だけど、あんたは生きている。看守としてファントム・プリズンに配備されたスリーパーの目的は、あんたを生きて周金幣のもとに送ること。しかも、ケイコがあんたのボディーガードに付けられていた。あんたは守られていたんだ」

「だが、絶対じゃない! 事実、何度も死にそうになった!」そして、気づいた。「俺は死んでも構わなかった……ってことか?」

 矢作の呻きはまたも無視される。

「否定はしないよ。でも、あんたが途中で死んだら計画が中途半端に終わりかねない。もっと大きな目的があったからね。心から、生きていてくれて良かったと思ってる」

「ふざけるな!」

「ふざけちゃいないさ。ケイコは瀋陽軍区のトップエイジェントでね、中国軍の下士官である証拠を情報科は握っている。あんたを助けるためになら、本当に命を捨てただろうね。それが瀋陽からの命令だったから。仮にあんたたちが死んだとしよう。タワー1にいた周が影武者だと暴ければ……っていうか、本物の周金幣に『暴かれた』と信じ込ませられれば、次の段階は神崎が単独で引き継ぐことになっていた。そして、拉致を決行する」

 矢作は諦めたようにつぶやく。

「捨て駒、かよ……。軍人じゃないのに……。っていうか、それじゃあ息子たちを殺すって脅迫したのは嘘だったのか⁉」

「その件は済まなかった。あんたを確実にファントム・プリズンに送り込まないと計画が動き出さないし、愛国心をかき立てられて反抗されるのもまずい。ましてや自殺なんかされたら、たとえ計画は何とか遂行できても寝覚めが悪くてしょうがない。あんたの身を守るための方便だったんだ。言い訳がましいが、ギャラはたっぷり弾むから。それで勘弁しておくれ」

 矢作はのど元まで出た悪態を呑み込んだ。何度も死を覚悟した。その度に、自分が死んでも家族には金が渡るんだと自分を慰めた。金を残すことは、正気を保つための最後の拠り所だった。

 その金は、矢作が自分の才覚で獲得した財産だ。父親としてのプライドを守るために、危険を覚悟で〝犯罪〟に飛び込んだのだ。その意味では、必ずしも自分が損をしたとはいえない。

「まあいいさ……確かに、こうして生きてるんだからな。じゃあ、あんたたちは最初からあそこに影武者がいたことを知っていたんだな?」

「もちろん。私たち以外に知っていたのは、数人の幹部だけだ」

「じゃあ、何であんな危険な芝居を……? 何度も殺されかけたんだぞ?」

「幹部に紛れ込んでいるスパイはとてつもなく慎重だからね。それをあぶり出すには、並みの方法じゃ通用しない。まがい物には見えないリアリティが絶対条件だったんだ。だから、北朝鮮側の策略を逆用した。スリーパーたちは命令を受けると、あらゆるルートを使って周と同じDNAを探し始めた。それと同時に、自衛隊内の組織を動かし始めた。もう一年近くも前のことになる」

「そんなに前から……?」

「北朝鮮にも準備が必要だからね。おかげさまで、幹部の数人が目立たぬように部下の配置を換え始めた。ファントム・プリズンの看守やコントロール要員へスリーパーを異動させたんだ。プランBのためにオスプレイを強奪する準備も欠かせない。パイロットはもちろん、整備や管制にもスリーパーを配置する必要がある。一つ一つの配置転換は目立たないし、大して不自然ではなかった。だが、数は多い。それを重ねあわせると組織の全体像が見えてくる。同時に、敵が何を企んでいるかも分かってくる。おかげで、自衛隊内に入り込んだ奴らの組織はおおむね暴き出すことができた。で、それができたってことは、逆に『影武者がいる』っていう情報自体は漏れていない証拠になる。カウンターを仕掛けていることは見抜かれていない。影武者の件を知っている知っている人物は〝こっち側〟だっていう確認ができたわけだ」

 矢作は神崎を見た。

「あんた、影武者のことは知らなかったよな。あれは演技だったのか?」

「いや、本当に知らなかった」

「あんたも試されてた……ってことか?」

 神崎が肩をすくめる。

「当然だろう? 北朝鮮の工作員だったんだから」

 レディ・ドラゴンは平然と言った。

「むろん、それだけじゃ信用できない。この世界にはカウンターのカウンターっていう大技を仕掛けてくる手練もいる。中国も北朝鮮も、今じゃそういう人材が枯渇してることは確かだけど、気を抜くわけにはいかないからね。その後も、神崎はずっと監視していた。いつ裏切られてもいいように、こっちの手の内も全部は明かさなかった。知らせたのは、北に知られてもいいことだけだよ」

 神崎がにやりと笑う。

「この方は、そういう人なんだ。だから、命を預けられる」

 大将がうなずく。

「シナリオを依頼できるのも、そういう理由だ」

 矢作は言った。

「だけど……それだけのことでタワーをぶっ飛ばしたのか? ファントム・プリズンをぶち壊したんだぞ? 囚人にも死人がでてるんじゃないのか? そんなにしてまで看守に化けてたスパイを殺したかったのかよ……」

 レディ・ドラゴンが応えた。

「第二の目的を達成するための布石だよ。タワー1の崩壊を監視カメラで見ていた本物の周金幣を、腹の底から怯えさせる必要があった。所長が北朝鮮のスパイだと判断した自衛隊は、気化爆弾まで使って徹底した攻撃を仕掛けてきた。あたしにも予想外の素早さだった。おかげで危険はとんでもなく増したが、芝居じゃ出せない緊迫感が生まれた。周は、自衛隊が本気であんたを殺そうとしたのを目撃して、スリーパーがジーンゲイトを破る方法を発見したことを知った。あんたがその〝鍵〟だと確信した。その鍵が、神崎に守られながらじわじわと自分に迫ってくる。周はそれを、カメラで追い続けていた。もし自分の部屋まで侵入してくれば、自分は殺されて1兆ドル以上の財産が奪われる。周の生命線は、ジーンゲイトが他の者には破れないという確証だけだ。だから、最後の手段を打った。周はぎりぎりの瞬間まで待ってから、全財産をスイスから世界中の自分の口座に分散したんだ。つまり、あんたという〝鍵〟を無効にした。ジーンゲイトはスイス銀行にしか通用しないからだ。隠し財産をスイスから追い出すことがこっちの狙いだったんだよ。放っておけば拉致されると信じ込んでも、やはり同じ行動をとっただろう。北部戦区は金を奪うまでは命は取らない、と考えるだろうからね」

 矢作にはその言葉の意味が理解できなかった。

「どういうことだ……?」

「アメリカは、中国の高官の口座のほとんどを把握し、凍結できる体勢にある。だけど、周のスイス銀行口座にだけは手が突っ込めなかった。だからこそ、多くの不正資金があの口座に吸収されてここまで膨れ上がった。スイスのプライベートバンクの中枢――あの銀行だけが、今でもアメリカ政府の権力をも拒むブラックボックスだったんだ。だが、ケイマンやら他の国なら口座の凍結も可能だ。合衆国が正義の味方の仮面をかぶりながら、堂々と周資金を奪えるようになるんだよ。当然、日本にも相応の見返りがある。ファントム・プリズンなんぞ、安い代償だ」

「まさか……その金のためにあんな危険なことをさせたのか……?」

「150兆円以上だと言われているんだよ? それが、あんたの値段だ。それだけの値がつく命が、他のどこにある? 文句はあるまい?」

「命が金に換えられるのかよ⁉」

「じゃあ、世界を動かしたと言ったら、納得するかい?」

「何だ、それ?」

「ま、所詮それも、金の話ではあるんだけどね。神崎が、自衛隊のオスプレイを銃撃したろう? あの機体には、米軍の海兵隊幹部が同乗していた。戦闘の映像や通信、中国機を追っていたレーダー記録は、完璧に保存されている。〝証拠〟を残すことが、この作戦の目的でもあったからね。間もなく日米は、それを公開する。『中国軍が自衛隊からオスプレイを奪い、演習中の日米合同軍に発砲した』っていう衝撃の事実を、ね――」

 矢作は苛立ちをあらわにした。

「だからそれが何だっていうんだ⁉」

 それも、あっさり無視される。

「中国はね、羽振りが良かった時代に120兆円を軽く越えるとてつもない額のアメリカ国債を保有していた。だからアメリカはこれまで、中国がどんな非道を行っても大きな声で非難することができなかった。今じゃかなりの額が売りさばかれてるが、それでもハンパじゃない量が残っている。一気に売りに出されれば、さすがのアメリカ経済も痛手をこうむるだろうね。ま、キンタマを握られてるようなもんさ。それでも、中国が分裂する以前ならメリットが大きかった。経済的な結びつきが強まれば、よその国じゃ競争力がないアメリカ製品を売りつけることもできたからね。でも、風向きはいきなり変わった。アメリカは南シナ海での奴らの横暴を見過ごせなくなった。中韓の移民にはらわたを喰い荒らされて、マスコミや政治を牛耳られる危機にも気付いた。今じゃ中国系の大統領が生まれることさえ妄想とは笑えない。いかに金がすべての国だとはいえ、笑って見過ごせるものじゃないさ。国防省がずっと警告し続けていた恐怖が、現実になったんだ。しかも、多額のアメリカ国債を握った中部戦区がバカなマネをやらかせば世界経済をぶち壊しかねない。身内以外は誰も信用しない中国人の思考は、まともな人間には予測も理解もできないからね。分裂した中国に残ったアメリカ国債は、いつ炸裂するか分からない核爆弾並の脅威に化けたんだ。一刻も早く無力化する必要に迫られていた」

「そうは言っても、売った後なら他人の財産になってるだろうが……」

 レディ・ドラゴンがにやりと笑う。

「その国債には、ちょっとした仕掛けがあるんだ。登録制で全部に番号が振ってあって、こっそり売り払うことができない。しかもIEEPA――国際非常時経済権限法とかいう特別な条項が付けられている。中国がアメリカやその同盟国を武力攻撃したら、すべてが無効にできる――っていう都合のいい約束事だ。その条項の他にも、共産党幹部がアメリカに持ってる資産は全部凍結して没収できるっておまけ付きだ。中共幹部のメンタリティーはウォール街のグローバル資本家と親和性が高くて、今までは仲良く世界の経済を手玉に取ってきた。だが、腹黒さでは数段上をいく中国人がその程度で満足できるわけがない。中共を利用していたはずの資本家が、最近じゃ逆に劣勢に立たされてるらしいね。で、立て直しを図った。あんたのおかげでIEEPAが発動され、中共とのつながりが発覚した財産は全て没収だ。中国の国営企業が買い漁ったアメリカ企業の株も取り上げられる。昨日まで肩で風を切っていた元幹部が、一瞬で丸裸だ。全額合わせれば、数兆ドルは下らないだろう。それを、やっちゃったんだよ、あいつら。思い切り地雷を踏んだ。中国はオスプレイに穴をあけた瞬間に、何100兆円という資産を失ったんだ。代わりにアメリカがその金を懐に入れた」

「まさか……だって、撃ったのは神崎じゃないか⁉」

「そう。中国は撃てないからね。中国側は周の資金は喉から手が出るほど欲しかったが、アメリカ国債を失うことはできない。だから『絶対に自衛隊には発砲するな』と厳命していた。だから、代わりに神崎が撃った。その証拠をきっちり残した。『北朝鮮のスパイが、事実上の上部組織になった北部戦区に命じられて、日米を攻撃した』っていう動かぬ証拠だよ。しかもこの作戦には、北部戦区の人民解放軍下士官――つまりケイコも参加している。中朝の共同作戦であることは明らかだろう? 中国は内戦状態にあるが、国債を握っている中部戦区は『中国は一つだ』と主張し続けている。だったら北部戦区が引き起こした日米への戦争行為は、〝一つの中国〟が責任を取らなくちゃならない。しかも瀋陽は、虎の子のステルス戦闘機まで送ってきた。言い逃れなどできはしない。それが、この作戦の第三の目的だったんだよ。そして作戦は、完璧に成功した。しかも犠牲は最小限ですんだ。すべて、あんたの力だ」

 矢作が苦しそうにつぶやく。

「最小限……? 人があんなに死んでるんだぜ? それで成功っていわれても……」

 根本大将がうなずく。

「確かに死人は出た。ただし、死んだのは〝こちら側〟の人間ではない。驚くべきことに、隊員の被害は極めて微小だった。囚人たちにも被害はなかった」

 矢作の頭に、悲しげな表情を見せたケイコの姿が浮かぶ。

「何なんだよ! あっち側なら死んでもいいっていうのか⁉ 生身の人間なんだぞ! 人の命を何だと思ってるんだ⁉」

「向こうは戦争を仕掛けてきたんだ。我々は応戦したまでだ。それが、軍の責務だ」

 確かに、中国の一戦区が膨大な資金を手に入れれば、それは再び軍備強化に投下され、近い将来日本に牙を剥く。世界の混迷がさらに深まる。その理屈は理解できる。彼らは軍人としての〝仕事〟をしただけだ。

 矢作は、悔し紛れのように噛み付く。

「もっとやりようがあっただろうが……。自衛隊が守ってたのに周を攫われ、建物もボロボロにされて、恥ずかしくないのかよ……」

 根本が微笑む。

「その通りだ。オスプレイまで奪われたんだからな。世間ではこの先何十年も、自衛隊最大の汚点として語り継がれるだろう。真実は隠すが、マスコミからは〝平和ボケが生んだ失態〟として袋叩きされるだろうし、後始末は並大抵のことでは終わらない。実態を知らない世界からは徹底的に非難される。私も、辞職しなければならない。だが、諜報の世界のトップに立つ者――世界を動かすほんの一握りの人間だけは、この鮮やかな作戦に驚愕し、賞賛するだろう。アメリカにも馬鹿でかい恩を売った。力が落ちたとはいえ、今でもアメリカの存在感は無視できないからな。作戦が失敗した場合の傷に比べれば、はるかに望ましい。日本をアメリカと対等なパートナーとして建て直すには、自力で国を守れる防衛力増強が不可欠だが、そのためにも都合がいい」

 レディ・ドラゴンがうなずく。

「あたしたちの世界は、そういう場所なんだよ」

 矢作は呆れたように言った。

「まさか……なんでそんなとてつもない謀略に巻き込まれたんだよ……たまたまDNAが似てたからって……」

 レディ・ドラゴンはカラカラと笑い声を立てた。

「それな……本当にすまないと思ってる。実は、あんたのDNAは周金幣とは似ても似つかない。あたしがでっち上げた与太話なんだ。だいたいそんな都合がいい偶然、あるわけがないじゃないか。一兆分の一っていう確率なんだよ? そんなあり得ない話を信じ込ませるために、命がけの芝居が必要だったんだよ。DNAなんて、実はどうでもよかったんだ」

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