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 轟音に包まれたオスプレイの中で、矢作は兵員用の椅子に座ったまま機内を観察し続けていた。本能的に、脱出する方法を探していたのだ。だが、孤立無援の軍用機の機内から逃げることは物理的にも困難だ。海上を高速で飛行する機体から飛び出せたとしても、おそらくは海面に叩き付けられて無事ではいられない。公海上で漂っていても死を待つだけだ。自殺と見なされれば、子供たちが殺される。生きて脱出できたとしても、子供たちが人質にされている現状は変わらない。彼らが矢作のDNAを必要とすれば、再び拉致され脅迫されることさえあり得る。

 やはり、逃げ道はない――。

 周金幣は目を覚ましたが、椅子に縛られたままだ。どのみち、身じろぎしただけでケイコが握った拳銃をこめかみに突きつけられ、言葉を呑み込むしかない。

 ケイコは無言で、たまに機内を見回す。矢作と目を合わせようともしなかった。

 神崎と迷彩服は、ドラムバッグから出した機材を囲んでいる。

 矢作の耳はけたたましいエンジン音にも次第に慣れ、彼らの会話も時折聞き取れるようになっている。日本語で会話していた。長年自衛隊員として身分を偽っていた彼らにとって、軍事的な会話は日本語で行うのが自然なようだった。

 地上から回収した機材は、やはり通信機だった。彼らの仲間が本国との通信用に準備していたものらしい。片耳だけのヘッドフォンを付けて操作していた神崎が、迷彩服に向かって叫ぶ。

「三沢基地がスクランブルをかけた。こちらの迎えも探知されている」

〝迎え〟という言葉が耳に入った。それが何を意味するのか、正確には分からない。だが、神崎の組織が自衛隊にあらゆる場所に工作員と情報網を持っていることは間違いない。逐一、最新の情報がもたらされているらしい。

 彼らが互いにコンタクトをとっていたとは思えない。オスプレイに乗った時も、神崎と迷彩服は初対面のようだった。なのに彼らは、まるで長年訓練を共にしてきたチームのように無駄なく動いている。ファントム・プリズンへの攻撃から脱出まで、自衛隊の反撃をことごとく退けている。しかも、周金幣という超大物と、矢作のような〝ど素人〟を引き連れて……。

 彼らをコントロールする〝頭脳〟が、ずば抜けて優れているという証拠だ。

 しかもその作戦は、詳細で確実な情報を元に組み立てられている。でなければ、周の拉致に不可欠な要素だった〝オスプレイの強奪〟という離れ業まで実現することはできない。

 矢作は予想外の展開を見せ続ける事態に振り回されるばかりだったが、今から考えれば神崎たちはミスを冒してはいない。影武者が用意されていたことは探り出せなかったようだが、あらかじめ次のプランを準備し、平然と周金幣の拉致に移行した。トップシークレットには近づけなくても、手足となって働くスパイの数は充分だという証だ。

 それが、北朝鮮の実力なのだ。第二次大戦の終結を起点にして開始された、日本への〝侵攻〟の結果だ。戦後80年近く眠り続けてきたスパイ網が、中国の溶解を引き金に覚醒したのだ。

 中国は――いや、北朝鮮を操る瀋陽軍区は、周金幣の隠し資産を独占しようと企んでいる。ファントム・プリズンからの送金に失敗した以上、身柄を押さえて本人から絞り出させるしかない。何が何でも、周金幣自身を中国国内まで連れ帰る必要がある。

 周を追う自衛隊機に威嚇されて引き返すような事態があってはならない。武力での威嚇には、武力で対応しなければならない。

 だから、〝迎え〟が必要なのだ。

 自衛隊は絶対に自分から発砲してこない――これまで崩されたことがないその〝神話〟を信じて、何が何でも周を取り返そうとしている。

 だが、時代は激しく動いている。自衛隊も、中国崩壊以前とは違う。実戦部隊としての法整備や武装強化は、着々と行われてきた。万一、どちらかが戦端を開けば……。

 戦闘機同士の衝突では、上官の判断を仰いでいる時間の余裕はない。パイロット個人の反応が、そのまま国家の〝答え〟になる。日本海上を飛ぶオスプレイを中心に、自衛隊と中国軍が激突するのだ。それは、日中の全面戦争のゴングになるかもしれない事件だ。

 矢作は、否応無しに国際紛争という巨大な渦の中心で弄ばれていた――。

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