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矢作の下で神崎が縄梯子を掴む感触があった。とたんに、オスプレイが急上昇していく。その加速度は、咄嗟に梯子を抱きしめなければならないほど激しいものだった。
オスプレイのガトリングガンは、地上に向けて銃弾を吐き出し続けている。続々と集結している戦闘車両の装備には、○一式対戦車ミサイルも含まれているのだ。一人で扱えるために、装甲車のハッチから顔を出せば容易く発射できる優れた兵器だ。自動的に目標を追尾する機能を持つこのミサイルをいったん発射されれば、ホバリング中のオスプレイは難なく撃墜されてしまう。絶え間なく吐き出される弾幕は、ミサイルを持った兵士や車両を寄せ付けないための策だった。
矢作は激しい風と強引に包まれ、不安定な縄梯子に振り回された。下に目をやると、見る見る二本のタワーが小さくなっていく。それでも、上昇すれば自国の自衛隊員から撃たれる危険は減る。ほんの数分、梯子にしがみついているだけで、その〝攻略法〟も体得できた。揺れるリズムに感覚を同調させられれば、後はただの縄梯子にすぎない。『SHINOBI』でなら、第一ステージにしかならない程度の難易度だ。
矢作は、神崎に促されるまでもなく、軽々と縄梯子を登って後部ランプから機体に乗り込んだ。神崎がすぐ後に続く。
激しい風が渦巻く内部には火薬の臭いが充満していた。開いた扉の脇には、大きな機銃が据え付けられている。
ここは〝戦場〟なのだ。矢作は、望みもしないのにどんどんその深みに引きずり込まれていく……。
機内では、ケイコともう一人の男が周金幣を引きずり上げたところだった。自衛隊の迷彩服の男が巨体を持ち上げ、兵員用の椅子に座らせる。
矢作は疲れ果てたようにその正面の椅子に座った。緊張を解き、溜息を漏らす。この先、何が起きるのか予想がつかない。神崎は矢作を北朝鮮か中国まで連れて行く気らしいが、すでに砲火を交えている自衛隊がそれを見過ごすはずもない。おそらくは、空中戦が始まるだろう。
今は……今だけは、身体と気持ちを休めておきたかった。次の戦闘が始まるまで、ほんの数分でも構わないから、眠っておきたかった。だが、極限の緊張を強いられた神経が簡単にクールダウンできるはずはない。矢作はゆっくりとした深呼吸を繰り返しながら、放心したように機内を眺めていた。
太いベルトで周を椅子に固定した迷彩服の男が、背を伸ばして神崎に敬礼した。明らかに自衛隊員の姿とは違う。矢作にとっては奇妙に見える〝ピオネール式〟だ。神崎も、遠くを見るような形の、同じ敬礼で応えた。二人は顔見知りのようには見えなかった。階級は、神崎の方がはるかに上のようだ。
〝迷彩服〟が機体の壁の装置を操作すると、後部ランプがゆっくりと閉じていった。外に目をやると、機体は普通の航空機のように高速で水平に飛んでいる。いつの間にかヘリモードからの変換を終えていたのだ。しかも、地面が近い。閉まる扉に狭められていく外の風景の中を、緑一色の原生林が過ぎ去っていく。機体は、小刻みに左右に傾く。山並みを縫いながら超低空を飛んでいる。
タワーの近くでは地上からの攻撃を避けていったんは上昇したが、人員を収容したことで高速の移動が可能になったのだ。地上すれすれを飛ぶのはレーダーの探知を避けるためだということは、矢作にも理解できた。タワーにも、同じようにレーダーから隠れて接近してきたに違いない。
ランプが閉じると幾分か騒音が小さくなった気がしたが、それでも会話ができる状態ではなかった。矢作はただ、機内を珍しそうに見回すことしかできない。他の者たちも皆、じっと押し黙っている。ケイコは、相変わらず気を失ったままの周金幣の横に座っている。神崎と迷彩服は後部ランプ近くで向かい合っていた。
そのまま二〇分ほど飛行すると、オスプレイは移動を止めて垂直に降下した。わずかなショックの後に、揺れが止まる。着陸したようだ。迷彩服が後部ランプを開くと、素早く外へ出た。外は、やはり森の中だった。
席を立とうとする矢作を神崎が手で制する。かろうじて、その命令が聞こえた。
「またすぐ飛び立つ。そのまま座っていろ」
従う他はなかった。
迷彩服はすぐに戻った。大きなドラムバッグを二つ、両肩にかけていた。
「中身は確認しました。予定通りです」
神崎は言った。
「これで国に帰れるな」
うなずいた迷彩服の表情は、笑ってはいない。まだ危険は去っていない、ということだ。
と、オスプレイが上昇を始めた。後部ランプが閉じ始める。その先に見える風景が、突然変わった。一瞬灰色の砂浜が目に入ったと思うと、波打つ海岸に変わる。海上に出たのだ。
目指すは大陸――北朝鮮か、あるいはそれをコントロールしている瀋陽軍区だろう。日本海上を再び超低空で進むのだ。矢作は、オスプレイの航続距離は4000キロ近いと聞いたことがあった。出発点が北海道でも、片道飛行なら大陸内部深くまで到達できる。計画的に奪取した機体なら、仲間は整備関係者にも配置しただろう。燃料も満タンにしているはずだ。収容しているペイロードも四人の人間だけで、重量は軽い。もはや逃れる術はない。
神崎はドラムバックの一つを開けて、大型のアタッシュケースほどの大きさの装置を取り出した。通信機のようだ。それを横の椅子に置くと、もう一つのバッグを開ける。矢作には用途も分からない電子機器が現れた。迷彩服と二人で、それらを周囲に配置していく。
矢作の周りでは、異質な世界が存在感を広げていくばかりだ。盗みを強要され、人殺しに加担させされ、祖国を裏切らされ、拉致され、そして今は当然のことのように兵士として扱われている。何一つ、望んだことではない。矢作が求めたのは、〝家族〟の平穏にすぎない。
ただ、それだけなのに――。
矢作は、混迷を極める中国に連れ去られることを覚悟するしかなかった。
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