フェイズ4――戦闘
1
最上階のドアは開錠されていた。黒服の一人が扉に身を隠しながら鋼鉄製の重いドアを引く。
二人の男がホールに飛び出してきた。その姿は中国料理の料理人だ。だが手には、大型のナイフが握られている。調理用らしいが、中華包丁ではなく先端が尖っている。心臓に刺されば、ひと突きで死ねるだろう。
別の黒服二人が、両脇から飛び出して対峙する。戦闘はすぐに始まった。料理人が、ただの料理人ではないことは構えで分かった。巧みにナイフを操る二人の動きに合わせ、黒服たちが間合いを計る。互いの動きを読み合いながら、じりじりと距離を詰めていく。黒服の一人が、ナイフを避けながら料理人の腕を捩じり上げ、相手の腹に膝を叩き込む。もう一人の黒服は、振り下ろされたナイフを肘の先で受け止めた。金属がぶつかり合う音が響く。黒服の下に、金属製の〝鎧〟を隠していたのだ。まるで、忍者だ。
矢作は思わずつぶやいた。
「なんで待ち伏せしてるんだ⁉」
神崎が答えた。
『〝標的〟は並のVIPではない。自衛隊が設置したカメラを撤去し、施設内の各所に自分たち独自の監視装置を隠すことを要求してきた。訓練を積んだ戦闘員もボディガードに付けている。断ることはできなかった』
「刑務所なのに、なんで囚人の言いなりなんだよ⁉」
『そういう相手なんだ。だから、危険を冒す価値がある』
ドアを開けた黒服が、身を屈めて室内に飛び込む。同時に、銃声が轟いて黒服が後ろに弾かれた。肩を押さえている。
神崎の声が頭に響いたが、矢作に言ったのではなさそうだ。
『銃声か? 種類は?』
同時に、尻餅をついた黒服の小声が矢作の耳に入る。
「改造銃。偽装して運び込んだ部品をここで組み立てたようです。精度は良くありません。銃の総数は不明。重火器の存在も否定できません」
黒服の言葉が、こだまのように矢作の頭の中に響く。
『改造銃。偽装した部品を――』
彼らもまた、矢作と同じ通信機を体内に埋め込んでいるのだ。すべての通信機が神崎を通して繋がっている。今は、全員に同じ音声が聞こえるセッティングになっているようだ。頭の中を他人に占領されたような、腹立たしい気分だった。
矢作は思わずつぶやいた。
「うっとうしいな……」
神崎の声。
『矢作君、黙っていろ。君の身を守るために回線を繋げたが、通信を乱すな』
銃で撃たれた黒服はその間に身を引き、袖口に手を差し入れた。そこから、細身のナイフを引き出す。料理人のナイフを跳ね返したのは、彼らが前腕に隠し持ったナイフだったのだ。
矢作から、部屋の奥が見えた。銃を構えた執事風のダークスーツが進んできた。ナイフで争う二組を交互に見比べ、銃の狙いを定める。その銃は、まるでパイプ家具をでたらめに繋いだような奇妙な形をしていた。
同時に、タイミングを計っていたらしい黒服が、ドアの前に飛び出して身を転がした。激しく回転しながら手にしたナイフを投げる。黒服が膝を付いて立ち上がった時、ナイフは執事の顔面に突き刺さっていた。
矢作は神崎の指示を忘れていた。真っ青に血の気を失っている。
「殺したのか……⁉ まさか……盗みが目的だったんじゃないのかよ⁉」
『目的は盗みだ。だから、障害は排除する』
矢作の膝は、かすかに震えていた。争いは覚悟していた。ナイフで切り合うことにも、さほど驚きはなかった。だが、目の前で人が殺されれば別だ。謎に翻弄されるばかりで、感じる暇もなかった恐怖が爆発する。呼吸が荒くなる。自分をコントロールできない。
「ふざけるな! 人殺しは手伝わないぞ! そんなのは嫌だ! やめろ! やめさせろ!」
『黙れ』
「協力なんかしないぞ! すぐやめさせろ!」
『君は黙れ!』
その時、ケイコが叫んだ。
「危ない!」
矢作は目を上げた。ドアの奥に、新たな人影が現れていた。矢作に向けて銃を突き出している。
反射的に身体を避けていた。同時に、耳の横を銃弾が通過していく熱と空気を切り裂く音を感じた。警告がなければ、その銃弾は額を貫いていたかもしれない。
黒服が中に飛び込もうとする前に、銃を撃った男は姿を隠していた。
なぜか矢作は、撃たれたことを平然と受け止めた。驚いたのは、自分の反応の速さの方だったのだ。
矢作を見つめていたケイコが言った。
「よく避けられたわね……」
「警告してくれたからだ。ありがとう」
その通りではある。だが、銃を目視すると同時に身体が反応していた。自分でも信じられなかった。こんなに身体が自由にコントロールできたのは、『SHINOBI』を制覇した時以来だ。あの感覚が、戻ってきている。昨夜は、ケイコたちを相手にあれほど激しく体力を消耗したというのに……。
思い当たる理由は、ケイコが用意したドリンク剤だ。あのドリンクが全身の細胞を活性化していることをはっきりと感じる。
と、肩を撃たれた黒服が、室内に何かを放り込む。軽い爆発音とともに白煙が噴き出す。同時に、ナイフを投げた黒服が扉を閉じた。ドアがロックされるかすかな音が矢作の耳に届く。
神崎が管制室からの遠隔操作で閉じたようだ。彼らの行動は、見事に連携が取れていた。
二人の黒服が、エレベーターホールで格闘を続ける仲間の助けに入った。一人は肩の傷を押さえながら、鋭い回し蹴りで料理人のナイフを弾き飛ばす。その一瞬の隙に、戦い続けていた黒服が料理人ののど元に手刀を叩き込む。のけぞった料理人の額を掴んだ黒服が、そのまま壁にぶつける。ぐしゃっと頭蓋骨が砕ける音がして、料理人が床に崩れた。
ケイコは矢作を守るように前に立ち、彼らの抗争を冷静に見つめている。
もう一組も間もなく決着がついた。料理人が突き出したナイフを、一人が腕ごと抱えて押さえ込む。もう一人の黒服が別の腕をねじ上げ、全身で回転する。料理人の両肩の骨が同時に外れ、うめき声が上がる。ナイフを奪った黒服が、料理人の胸にそのナイフを突き立てた。
命を奪う一撃を、ためらうことはなかった。
黒服たちの動きは、計算され尽くしたように乱れなく連携していた。まるで、舞台上の殺陣のようだ。これが演技なら、倒れた料理人もすぐに立ち上がる。だが、彼らは動かずに、その下から血溜まりが広がっていく。
現実なのだ。目の前で、生身の人間が切り刻まれている。人が殺されていく……。
矢作がうめく。膝の震えは大きくなるばかりだ。
「ウソだろう……なんだって、こんなこと……なんなんだよ、こいつら……」
ケイコが言った。
「特殊部隊。あなたを守るために死ね、と命令されている」
「なんなんだよ、それ……。そもそもあんた、何者なんだ……?」
神崎の声。
『詮索するなと命じたはずだ。息子を守りたくないのか?』
「そんなのあるかよ⁉ 人殺しなんか嫌だ! そんなことはできない!」
『殺すのは、私の部下だ。黙って従え』
「嫌だよ……そんなの嫌だよ……」
神崎の声は、今までになく冷たく単調だった。ゆっくりと、一言一言を区切るように話しかける。
『何度も言わせるな。従わなければ君の息子と元妻は死ぬ。君が我々の邪魔をすれば、やはり彼らは死ぬ。私が殺す。最初は、息子だ。実の父親が裏切ったから殺されるのだと教えて、ゆっくりと切り刻む。だが、君は殺さない。殺される彼らの姿を録画し、君に見せよう。泣き叫び、恐怖に歪む彼らの顔を見せてやろう。血溜まりの中で君を恨み、命乞いをしながら息絶えていく姿をその目に刻むがいい。君は、自分の身代わりに家族を殺させた自分を呪いながら、一生を過ごすがいい。いいか、君は殺さない。もしも我々から逃れようとして自殺を図れば、必ず阻止する。そして、その時も家族を殺す。彼らを救う手段は、一つしかない。我々に従え』
なぜ自分がこんな窮地に追い込まれたのか――もう矢作には分からなかった。逃げ出す術も思いつかない。だが、息子たちを傷つけさせるわけにはいかない。
自分が死のうが、人として許されない罪を犯そうが、家族に危害を及ぼすわけにはいかない……。
守らなければならない……。
それは、矢作が己に課した使命だった。
恐怖を組み伏せようと、矢作は深呼吸を繰り返した。抵抗はできない。誰も助けてはくれない。やるしかないのだ。ならば、無理だと分かっていても落ち着かなければならない。
『SHINOBI』のステージに立ったときと同じだ。頼れるのは自分だけ。己の力だけで、障壁を乗り越えなければならない。そして、その時のために矢作は心と身体を鍛え続けてきたのだ。
膝の震えが、弱くなっていく。
「分かったよ……そんなことはしないでくれ……頼むから……」
『それならいい』そして、全員に命令が飛んだ。『強制換気を始めた。ガスの効果は30秒で薄まる。体勢を立て直せ』
黒服たちは撃たれた仲間の止血を行い、料理人から奪ったナイフを構えた。彼らが用意できた武装は、細身のナイフと何らかのガスだけだったようだ。他は〝現地調達〟――殺して奪え、ということだ。
矢作は、ぼんやりと彼らを見つめていた。落ち着きは戻り始めている。もう、観念するしかない。ならば、できることは神崎の目的に沿って全力を尽くすだけだ。それが、彼らの手から家族を救う唯一の策だ。
気持ちが固まると、自分の身体の中を点検するように意識をそれぞれの部位に集中させて、深呼吸をした。大量に取り込んだ酸素が脳を活性化させ、思考が働き始める。ドリンク剤の活性効果は、思考にも及んでいるようだった。様々な疑問が一気に膨れ上がって渦巻いた。
ここは自衛隊の支配下にある演習地の中だ。当然、所長の神崎も部下の黒服も、正式な自衛隊員に決まっている。これだけ大量の人員を、身分を偽装して自衛隊の中に送り込むことなど不可能だからだ。彼らに与えられた本来の任務は、収監者を監視して保護することにある。だが神崎が率いる黒服たちは、最も重要なはずの収監者を攻撃している。神崎が嘘をついていないなら、その収監者から〝大金〟を奪おうとしている。5号様とケイコも、その計画に組み込まれている。神崎たちは正規の自衛隊員でありながら、ファントム・プリズンの内部に独自の犯罪組織を作り上げていたことになる。
そんなことが可能なのか――?
彼らは、〝犯罪組織〟と呼べるような単純なものなのか――?
この計画は、国家規模の計画だと言っていた。一方で、目的は盗みだとも言い切っている。国家は一つではない、とも……。
それはいったい、何を意味するのか――?
これほどの高いセキュリティーを搔い潜って独自の戦闘集団を侵入させるには、長い準備期間ととてつもない資金、そしてバックアップするための大掛かりな組織が不可欠なはずだ。彼らがVIPを攻撃しているなら、それは日本という国家に反逆していることになる。
日本に反逆する巨大組織――おそらくは敵対する国家だ。それなら、図式としては理解できる。
すぐに頭に浮かんだのは北朝鮮だった。
数年前にロシアへ亡命した政権は、一度は日本と協力関係を築いた。ロシアは対価として羅津港までの領土の割譲を受け、新たな不凍港を手に入れた。だが、今では時代が逆行したかのように反日的な行動を取っている。彼らが日本との協調路線を選ぶのは、自分たちが弱って助けが必要な時だけなのだ。それが100年以上前から続いている日本と朝鮮半島との関係だ。そして彼らは、日本を攻撃する最大の手段を一度たりとも放棄していなかったのだ。
彼らは在日朝鮮人として多くの人材を日本に根付かせ、実業界やマスコミ、政界などに影響を及ぼす存在に育て上げた。リベラルな思想や人権擁護を盾にしながら、日本の世論を自国に有利に導く工作を繰り返している。日本のみならず、世界各国の社会に溶け込みながら、いざという時には過激な民族的主張を行う勢力となっている。
彼らが自衛隊内に潜伏していないという保証はない。厳しい身分調査があって自衛隊員や警官にはなりにくいとしても、戸籍を偽れば不可能ではない。しかも、いわゆる〝スパイ〟なら、自衛隊に潜伏するために非合法な手段も用いるだろう。
それは、中国でも韓国でも同様だ。
彼らは断じて単純な窃盗団などではない。そんな〝スパイ〟たちが集結したのでなければ、矢作が目にしてきた〝手際の良さ〟は説明できない。5号様が言ったように、『それなりのステイタスとルートを持つ専門職』が暗躍しなければ不可能な犯罪――というよりは、明らかな〝軍事行動〟が実行されている。
だが、その〝標的〟とはいったい何者なのか……?
矢作はいつの間にか、日本に弓を引く者たちの先頭に立たされているようだった。国に反逆することなど考えたこともないし、望んでいない。むしろ、混迷する世界の情勢を見ながら、安全な日本に生まれた偶然を喜んでいた。家族や自分を守ってくれた日本という国に、心から感謝してきた。
その祖国を裏切る理由はない。裏切りたくはない。今すぐにでも逃げ出したかった。しかし、それは息子たちの命を危険に晒すことに直結する。家族を傷つけ続けてきた矢作には、絶対にできない選択だった。
再びドアからロックが外れる音が聞こえた。
黒服たちが身構える。
もはや、従うしかないのだ――。
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