矢作の脳に神崎の声が響く。

『四人の看守が君を守って階上へ向かう。エレベーターホールで待て』

 それを察したケイコが矢作を見た。

 ホールの壁は淡いクリーム色に塗られている。ケイコのスーツは、その壁に溶け込むような保護色になっていた。

「指示があったの?」

「ここで待てとさ。看守が四人来るそうだ」

「四人……?」

「何か?」

「私が想像していたのはもっと秘匿性が高い作戦。ちょっと多すぎ……」

「作戦って……あんたも自衛官なのか⁉ 俺に何をさせたいんだ⁉」

「あなたは〝鍵〟。わたしたちは、あなたを〝扉〟まで連れて行くのが役目」

 ケイコが何者かよりも、自分が鍵だということに気持ちを奪われた。

「〝鍵〟だって? どういう意味だ?」

「分からない。そう聞かされていただけ」

 神崎の声。

『DNAだ。君のDNAが、たまたまある人物と一致していることが判明した。もちろん、100%同じではない。ほんの一部だ。だが、ジーンゲイト――DNA検出器が判定の基準にしている指標に限っては、見事に一致していた。だから、この作戦が決行できた』

 何か言いたそうなケイコを、矢作は手で制した。脳内で会話が始まっていることを伝えるために、人差し指でこめかみを示す。

「何だよ、DNAって……。そんなもの、いつ調べたんだ⁉」

『『SHINOBI』に参加する際には、毎回血液で健康状態をチェックされるだろう?』

「そのデータを盗んだのか⁉ なんでテレビ局が個人データを漏らすんだ⁉」

『自衛隊には、様々な情報ルートがあり、膨大な情報が流れ込んでくる。その一つがたまたま合致したまでだ』

「だから、何でたかだか強盗ごときがそんな情報まで……」

『まだ我々が単なる強盗だと思っているのか? 当然、国家が動いている』

「国家だと……? 何だよ、それ……。だが、どうしてDNAなんかが必要に……あっ、検出器って言ったな⁉ あれか⁉ スイス銀行に送金させる、あの装置に使うのか⁉」

『だから、わざわざ5号様に送金機の操作を説明させたんだ。使用法は分かってるな?』

「バカ言うな! 指紋とか口座番号とか、そんなものはどうするんだよ⁉」

『それは次の段階だ。指紋認証は死体でもできるし、送金先の情報はこちらから送る。唯一、ジーンゲイトを欺いて起動させる方法が見つからなかっただけだ。君が〝鍵〟になれば、〝扉〟が開く』

「なんで国の権力が使える自衛隊員が、囚人を襲わなくちゃならないんだ⁉」

『国家は一つではない』

「は⁉ ってことは、おまえらは……?」

『君が知る必要はない。生きたDNAさえあればいいのだ』

「くそ……じゃあ、騙して体力まで計ったのは何の意味もなかったのかよ……身体能力なんてどうでもよかったのか……」

『確認したかったのは、精神力の方だ。この状況に耐えられる強靭さがあるか、知らなければならなかった』神崎は会話を拒否するように言った。『エレベーターが着く』

 同時に、目の前のエレベーターの扉が開いた。中にはすでに、四人の看守が乗っていた。サングラスの黒服がずらりと並んでいる。まさに、『マトリックス』を思い起こさせる光景だ。彼らは、上階に身を隠した何者かの送金装置を矢作のDNAで起動し、預けられている金を奪おうとしている。5号様と同じスイス銀行を使っているとするなら、その金額は数兆円になる……。

 矢作は、自分が非現実的な世界に放り込まれたことを改めて思い知らされた。足元には、何が潜むのかも分からない深淵が待ち構えている。今はまだ、その淵に立っているに過ぎない。巨大な渦に巻き込まれるように、吸い込まれようとしている。

 逃げたかった。だが、もはや逃れる術はない――。

 足がすくんだ矢作を、ケイコがエレベーターに押し込む。

 ドアの上部に、階数を液晶表示があった。デジタルの表示は『29』になってる。ドアが閉じると、表示はさらに増えていった。

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