ファントム・プリズンは、地下のコントロールセンターで管理されていた。すべてのドアの開閉や監視カメラ映像のチェックは制御室で行い、通信の傍受や解析はさらに下の階の通信室の担当だ。収監者が行う通信は公然と傍受され、解析され、警察との連携の下に犯罪のさらなる拡大を防いでいる。

 制御室の広さは五名の担当官がコンソールの前に並んで座るといっぱいになる程度だった。壁は、味気ないコンクリートの打ちっ放しだ。ホテルの一室の壁を分厚く強化したために、大きな面積が取れなかったのだ。しかも、彼らの前には制御用のキーボードとモニターがぎっしりと並べられている。さらに壁面には数十の大型画面が並び、監視カメラの映像を映している。

 監視カメラは看守たちのサングラスにも組み込まれていて、各人が見ている光景が確認できる。その画面の下には、看守の位置が小さな平面図上にプロットされていた。監視カメラは施設内だけではなく、広大な敷地にも置かれていた。死角になる区域には十台以上の自動制御無人ヘリコプター――ドローンが巡回し、侵入者の痕跡の有無を探査している。

 制御室に常駐する五名の自衛官の任務は、ほぼ施設の外へ向けたカメラ画像の監視に限られている。可能性は極めて低いが、収監者が攻撃されることへの警戒だ。退屈で単調な任務だが、集中力を持続しなければならない。しかも、ミスは許されない。それは、人間にとって最も困難な作業の一つだ。だからこそ、自衛官の訓練には有益な一面もあった。彼らの〝仕事〟の多くは、潜水艦や艦船での哨戒作業のように、〝退屈〟極まりないものなのだ。従って、この部屋に配属されたのは海上自衛官が多かった。

 一方、階下の通信室はサイバー防衛隊からの出向者が多くを占める。監視実務の中に抜き打ち訓練を数多く織り込み、緊張を途切らせない〝実戦訓練〟として積極的に活用されていたのだ。

 スタッフたちはファントム・プリズンが最高機密の訓練機関だとだけ教えられ、自衛隊各部門から一年程度の出向として単身で送り込まれている。〝看守〟業務などで収監者と直接することがない者は、経済犯罪者を収容している刑務所だということすら知らされていない。

 彼らは全員自衛官だが、着ているのは自衛官の制服ではなかった。実在する民間の警備会社のデザインをコピーした特注品だ。実際は自衛隊が警備を行っていることを隠すための偽装だが、多くの隊員は『民間警備会社とタイアップした訓練施設だ』という説明を疑っていない。

 ファントム・プリズンには、命を狙われる危険がある収監者が多い。収監者に敵対する〝組織〟にも、軍事的実力を持つものがある。当初はマスコミなどから所在地を秘匿するため、自衛隊の演習地という名目で廃業したホテル周辺を村ごと買い占めた。不景気のどん底で喘いでいた地方自治体にとっても、メリットが多い申し出だったのだ。だが、今では隊の戦闘力・防御力こそが最大の〝目玉〟になっていた。

 最悪の場合は国軍が戦って襲撃者を撃退するという保証が、〝要人〟を引きつけるのだ。コントロールセンターの任務は収監者の脱走を防ぐことではなく、彼らに〝絶対的な安全〟を約束することだった。

 モニター画面を精査し続ける自衛官たちの背後には、大柄な男ならすれ違うのがやっと程度の幅の通路があった。通路の端の扉が開いた。

 神崎が中に入る。男たちの視線が向かう。

 珍しく自衛隊の制服を着た神崎が、缶コーヒーが入ったビニールの袋をかざす。

「ご苦労。差し入れだ」

 一人が立ち上がって、軽く敬礼する。

「いつもながら、ありがとうございます」

 神崎は袋から缶コーヒーを取り出して、部下に差し出す――。

 その瞬間、缶の下から激しく白煙が噴き出した。神崎はその白煙を先頭の部下に向け、残りの缶を袋ごと通路に投げ付けた。袋の中で瓶が割れる音がして、そこからも白煙が立ち上がる。

 部下たちがうろたえる。

「所長⁉ 何を⁉」

 神崎は背後に手を回し、背中に隠していたガスマスクを二つ取り出して、一つを頭からかぶった。

 慌てふためく部下の中に、一人だけ背筋を伸ばして直立している者がいた。神崎に向かって、奇妙な敬礼をしている。そろえた指先をこめかみに当てるのではなく、手のひらを額にかざして、遠くを見るようにしている。かつて、共産圏国家の少年団が行っていたピオネール式だ。今でも北朝鮮の子供たちに教え込まれている。

 それを確認した神崎は、その男に二つ目のガスマスクを放り投げた。男は素早くガスマスクを装着した。その間に、他の部下たちはばたばたと倒れていった。白煙の主成分はセボフレン――気化させて使用する医療用の麻酔薬だった。自衛隊の装備品ではない。

 神崎はマスク越しのくぐもった声で、部下に言った。

「坂本伍長、君がメンバーだったのか。心強い」倒れた部下をまたいで奥に進み、メモをわたす。「まず、この房のドアをすべて解錠しろ。そこの看守は我々のメンバーだ。次にその他のドアをすべてロックしろ。隊員の動きを分断する。この制御室の換気扇を廻せ」

「了解しました!」

 伍長と呼ばれた坂本は、素早くコンソールに戻って館内のドアを操作した。

 国軍機能を一部獲得した自衛隊は組織改編の過渡期にあり、先行して実施されたのは階級の呼称を国際標準に合致させることだった。今は、軍法の制定を進める段階にある。

 神崎は胸ポケットからスマートフォンに似た通信機を取り出す。通信機のタッチパネルを操作すると、ワイヤレスで繋がっているヘッドセットに命じた。

「直ちにエレベーターホールに出ろ」

 神崎は、その指令が〝誰〟に届くかは知らされていなかった。直前に連絡が入ったのは、房の番号だけだ。だがファントム・プリズンの看守に、五人の〝仲間〟がまぎれていることは教えられていた。そのうちの一人は制御室にいるはずだった。それが坂本だということは、この瞬間まで分からなかったのだ。あと四人、看守の中に〝部下〟が潜んでいる予定だ。その〝部下〟には、矢作の体内に仕込んだのと同じ通信機が入っている。

 神崎はさらにパネルを操作して通信先を矢作に切り替え、命じる。

「作戦を開始する。秘書に『新聞はないのか?』――と尋ねろ」

 矢作に指示を送ると、再び通信する相手を変えて部下たちに周囲の状況を確認させた。今のところ、彼らの他にはエレベーターホールに出ている自衛官はいない。

 矢作との会話に戻った神崎は、その動揺を押さえつけるために命じる。

「――だがそれは、君の息子たちの死も意味する。考えている時間はない。行動で答えろ」

 わずかな間を置いて、耳に装着したヘッドセットに矢作の声が流れる。

『分かった。言うことを聞く』

「そっちの看守は倒れたか?」

『ああ。秘書が倒して、ホールに出たところだ。あんた、なんか声が変だぞ』

「気にするな。秘書の指示に従え」

『言われなくても、引きずられてるようなもんだ』

 神崎はにやりと笑うと、坂本に言った。

「ホールに出た看守の人数は?」

 壁のモニターを室内画像に切り替えて内部を隅々まで確認していた坂本は、瞬時に答えた。

「四名であります。他に男女のペアが一組」

 通信機で確認した情報と一致している。互いに事前の打ち合わせがないままの作戦のため、神崎が複数の情報源で状況を確かめながら計画を進めていたのだ。

「作戦は順調だ。最上階のドアロックを解錠しろ」そして、通信機の接続先を部下たちに戻すと命じた。「任務を伝える。29階に待機している男女を守って、ペントハウスへ送り込め。男の方はこの計画の〝鍵〟だから、絶対に死なせるな。進路に自衛官はいない。〝標的〟は最上階から4フロアを独占し、一〇名の使用人を使っているはずだ。だが、私の元へも正確な内部情報はもたらされていない。治外法権の扱いになっていて、監視装置もすべて取り払われている。あらかじめ不測の事態が起きることを想定しろ。ただし、殺傷力が高い銃器は持ち込ませていないとの確証は得ている。〝標的〟のスタッフ全員が最高度の訓練を受けた戦闘員だと思え。万一抵抗してきたら、殺すことをためらうな。彼らは自衛官ではない。何をしても国際問題化することはない。エレベーターで行ける一番上の34階から突入しろ。その一階上のペントハウスに〝標的〟がいるはずだ。〝標的〟はこちらの攻撃を監視カメラで追尾していると考えて対処しろ。作戦開始だ。以上」

 四名の返事が一斉に流れ込む。

『了解』

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